1989年当時の古い写真を整理していると、タイに移り住んで間もない頃、チ゛ャオプラヤー河の対岸にあるトンブリ区を歩いている時に撮影した仏像の製作所らしき写真(?)が出てきました。
トンブリ王朝(1768-1782)の首都だった町の裏通りをブラブラ歩いていると、苔むしたブロック塀の向こうに金色の仏像の上半身が見えたのを、今でも明瞭に覚えています。何か唐突な感じがして、反射的にカメラのシャッターを押したのだと思います。

トンブリの裏通りのブロック塀の向こうに唐突に現れた金色の仏像
裏通りとはいえ、行き交うタイ人の通行人がいたに違いないのですが、タイ語の勉強を始める前だった当時の僕は、聞きたいことを質問する能力もなく・・・何も分からないままに、カメラのシャッターだけを押し続けたのでしょう。
そのような訳で、写真内容に関する備忘録の一片すらも残っておらず、そのままPCの未整理理写真ファイルの中で眠り続けていたのです。

トンブリ区で見た仏像の印相は、悟りを開いた後の釈迦が悪魔を追い払ったポーズの降魔印
2006年、タイ中部のピサヌロークへ旅した時、民芸博物館内にある金胴仏(こんどうぶつ)の仏像製作所を見学するつもりだったのですが、時間的な都合で見ることが出来ずに悔しい思いをしたことがあります。それ以来、今日に至るまで、金胴仏の製作現場を見るチャンスに恵まれていません。
1989年に僕がトンブリで見たものが、若しも仏像製作所だったならば・・・金胴仏の製作現場を見るために、態々、ピサヌロークまで足を延ばす必要はありません。チ゛ャオプラヤー河を渡りさえすれば、念願の金胴仏(こんどうぶつ)の製作現場を見ることが出来るのです。

トンブリ区で見た降魔印の坐像は半跏趺坐
1989年に撮影したこの場所が、現在もトンブリ区に存在しているかどうか定かではありませんが、捜して見ることにしました。
雨模様のために、自宅に閉じ籠もりぱなしの憂鬱な一日でしたが、明日は晴れてくれるかな・・・晴れならば、トンブリ区に出かけて見たいな。
トンブリ王朝(1768-1782)の首都だった町の裏通りをブラブラ歩いていると、苔むしたブロック塀の向こうに金色の仏像の上半身が見えたのを、今でも明瞭に覚えています。何か唐突な感じがして、反射的にカメラのシャッターを押したのだと思います。

トンブリの裏通りのブロック塀の向こうに唐突に現れた金色の仏像
裏通りとはいえ、行き交うタイ人の通行人がいたに違いないのですが、タイ語の勉強を始める前だった当時の僕は、聞きたいことを質問する能力もなく・・・何も分からないままに、カメラのシャッターだけを押し続けたのでしょう。
そのような訳で、写真内容に関する備忘録の一片すらも残っておらず、そのままPCの未整理理写真ファイルの中で眠り続けていたのです。

トンブリ区で見た仏像の印相は、悟りを開いた後の釈迦が悪魔を追い払ったポーズの降魔印
2006年、タイ中部のピサヌロークへ旅した時、民芸博物館内にある金胴仏(こんどうぶつ)の仏像製作所を見学するつもりだったのですが、時間的な都合で見ることが出来ずに悔しい思いをしたことがあります。それ以来、今日に至るまで、金胴仏の製作現場を見るチャンスに恵まれていません。
1989年に僕がトンブリで見たものが、若しも仏像製作所だったならば・・・金胴仏の製作現場を見るために、態々、ピサヌロークまで足を延ばす必要はありません。チ゛ャオプラヤー河を渡りさえすれば、念願の金胴仏(こんどうぶつ)の製作現場を見ることが出来るのです。

トンブリ区で見た降魔印の坐像は半跏趺坐
1989年に撮影したこの場所が、現在もトンブリ区に存在しているかどうか定かではありませんが、捜して見ることにしました。
雨模様のために、自宅に閉じ籠もりぱなしの憂鬱な一日でしたが、明日は晴れてくれるかな・・・晴れならば、トンブリ区に出かけて見たいな。