《①ラーマ二世の生誕地で見た別荘の続きです》
19世紀に書かれたタイ王朝年代記によると、現王朝の二代目の王様だったラーマ二世(1768年生~1824没)は、“ タイの古典的な舞踏劇(ラコーン ละคร )や仮面劇(コーン โขง )の戯作の創作、作詞、作曲、更には、芝居の音曲を演奏するタイ式楽団(ピパート ปี่พาทย์ )の育成など、タイの古典的芸術分野の発展に心を傾注するあまり、特筆すべき政治的功績を残すことが出来なかった ” ・・・・とあります。

ラーマ二世の胸像
タイ王朝年代記の記述によると、歌舞音曲に現を抜かしたラーマ二世の生活は、日本の元禄時代(16世紀後半~18世紀初め)の如き、さぞかし華美で、遊興娯楽に満ち溢れた生活だったかのように思えなくもありません。しかし、サムッツ・ソンクラーム県 จ.สมุทรสงคราม に復元された別荘を見た限りでは、“ これが王様の生活? ” と思うくらいに、随分と地味で質素な生活に見えて仕方ありません。
今回のBLOGでは、ラーマ二世の寝室、居間(下写真)などに置かれていた生活用具などの写真を、特段の解説を付けることなく、羅列して見たいと思います。

ラーマ二世の伝統的高床式木造建築の階上の渡り廊下
総チーク材で建てられた別荘(上写真)は、現在では贅沢の極致に属する家屋だと言えますが、19世紀前後のタイ北部の山中には、自生するチークの木が豊富にあり、地方の富裕者の家屋の殆どは、総チーク材で建てられていたようです。因みに、現在のタイは、チーク材の伐採を固く禁じています。


左:ラーマ二世の居間 右:居間に備えられていたランプ、飲料水とお酒(?)


左:ラーマ二世の寝室 右:寝室に備えられていた鏡台、ランプ、香水瓶、洗顔タオル


左:皮で包まれた鉄製の旅行鞄 右:木製の整理箪笥(?)と本棚(?)

ラーマ二世が愛したタイ式古典楽器
上写真には写っていませんが、ラーマ二世は、三弦の胡弓(ソ-・サーム・サーイ ซอสามสาย )を上手に弾きこなす奏者だったという記録が残っています。
話は少しばかり逸れますが、
日本の天皇が皇位の “ しるし ” として持つ“ 三種の神器 ”(やたの鏡、くさなぎの剣、やさかにの曲玉)がありますが、タイの王様は、下記の五種の宝器(カクッツ・タ・パン กกุธภณฑ์ )をお持ちなのだそうです。
① 戦勝の王冠 プラ・マハー・ピチャイ・モンクッツ พระมหาพิชัยมงกุฎ
② 吉祥の短剣 プラ・セーン・カン・チャイスィー พระแสงขรรค์ชัยศรี
③ 御司令の杖 ターン・プラ・ゴーン ธารพระกร
④ 団扇払子 ワーン・ラ・ウィチャニー วาลวิชนี
⑤ 御靴 チャローン・プラ・バーツ ฉลองพระบาท
すると、タイの友人が・・・
彼 『 ラーマ二世は・・・違いますよ 』
僕 『 エッ、何が違うの? 』
彼 『 ラーマ二世は、七種の王器を持たれていました 』
僕 『 何故なの? 』
彼 『 そのようなことを大事に思われる方だったのでは? 』
彼の説明によると、ラーマ二世は、①~⑤の宝器に加えて、⑥ 傘蓋(チャッツ ฉัตร ) と ⑦ 御刀 (プラセーン・ダープ พระแสงดาบ )も保有されていたのだとか。
タイ人の彼は、ラーマ二世のことになると、慎重な言い回しになるのが常なのですが・・・僕の推察によると、彼の個人的意見は、19世紀に著された“ 王朝年代史の ラーマ二世評 ” に近いような気がします。
19世紀に書かれたタイ王朝年代記によると、現王朝の二代目の王様だったラーマ二世(1768年生~1824没)は、“ タイの古典的な舞踏劇(ラコーン ละคร )や仮面劇(コーン โขง )の戯作の創作、作詞、作曲、更には、芝居の音曲を演奏するタイ式楽団(ピパート ปี่พาทย์ )の育成など、タイの古典的芸術分野の発展に心を傾注するあまり、特筆すべき政治的功績を残すことが出来なかった ” ・・・・とあります。

ラーマ二世の胸像
タイ王朝年代記の記述によると、歌舞音曲に現を抜かしたラーマ二世の生活は、日本の元禄時代(16世紀後半~18世紀初め)の如き、さぞかし華美で、遊興娯楽に満ち溢れた生活だったかのように思えなくもありません。しかし、サムッツ・ソンクラーム県 จ.สมุทรสงคราม に復元された別荘を見た限りでは、“ これが王様の生活? ” と思うくらいに、随分と地味で質素な生活に見えて仕方ありません。
今回のBLOGでは、ラーマ二世の寝室、居間(下写真)などに置かれていた生活用具などの写真を、特段の解説を付けることなく、羅列して見たいと思います。

ラーマ二世の伝統的高床式木造建築の階上の渡り廊下
総チーク材で建てられた別荘(上写真)は、現在では贅沢の極致に属する家屋だと言えますが、19世紀前後のタイ北部の山中には、自生するチークの木が豊富にあり、地方の富裕者の家屋の殆どは、総チーク材で建てられていたようです。因みに、現在のタイは、チーク材の伐採を固く禁じています。


左:ラーマ二世の居間 右:居間に備えられていたランプ、飲料水とお酒(?)


左:ラーマ二世の寝室 右:寝室に備えられていた鏡台、ランプ、香水瓶、洗顔タオル


左:皮で包まれた鉄製の旅行鞄 右:木製の整理箪笥(?)と本棚(?)

ラーマ二世が愛したタイ式古典楽器
上写真には写っていませんが、ラーマ二世は、三弦の胡弓(ソ-・サーム・サーイ ซอสามสาย )を上手に弾きこなす奏者だったという記録が残っています。
話は少しばかり逸れますが、
日本の天皇が皇位の “ しるし ” として持つ“ 三種の神器 ”(やたの鏡、くさなぎの剣、やさかにの曲玉)がありますが、タイの王様は、下記の五種の宝器(カクッツ・タ・パン กกุธภณฑ์ )をお持ちなのだそうです。
① 戦勝の王冠 プラ・マハー・ピチャイ・モンクッツ พระมหาพิชัยมงกุฎ
② 吉祥の短剣 プラ・セーン・カン・チャイスィー พระแสงขรรค์ชัยศรี
③ 御司令の杖 ターン・プラ・ゴーン ธารพระกร
④ 団扇払子 ワーン・ラ・ウィチャニー วาลวิชนี
⑤ 御靴 チャローン・プラ・バーツ ฉลองพระบาท
すると、タイの友人が・・・
彼 『 ラーマ二世は・・・違いますよ 』
僕 『 エッ、何が違うの? 』
彼 『 ラーマ二世は、七種の王器を持たれていました 』
僕 『 何故なの? 』
彼 『 そのようなことを大事に思われる方だったのでは? 』
彼の説明によると、ラーマ二世は、①~⑤の宝器に加えて、⑥ 傘蓋(チャッツ ฉัตร ) と ⑦ 御刀 (プラセーン・ダープ พระแสงดาบ )も保有されていたのだとか。
タイ人の彼は、ラーマ二世のことになると、慎重な言い回しになるのが常なのですが・・・僕の推察によると、彼の個人的意見は、19世紀に著された“ 王朝年代史の ラーマ二世評 ” に近いような気がします。