ムアン・ボラーンで知り合った大学生から聞いた寝釈迦仏の姿形の話は、今でも明瞭に記憶しています。
彼 『 寝釈迦仏 พระปางไสยาสน์ は、違う意味を持った種類の姿形があります 』
僕 『 寝釈迦仏は、入滅の姿 พระปางปรินิพพาน ではないのですか? 』
彼 『 違います。例えば、此処の寝釈迦は、阿修羅に慈悲を与える姿を表しています 』
『 仏教用語では、パーン・プローッ・アスリン・タ・ラーフー พระปางโปรดอสุรินทราหู です 』
『 火曜日生まれの人の守り本尊としても有名ですね 』
『 仏教用語では、プラ・プラチ゛ャム・ワン・アンカーン พระประจำวันอังคาร です 』
僕 『 それでは、入滅の仏像は、どのような形をしているのですか? 』
彼 『 右手の位置と形が違うので直ぐに分かります 』
彼から聞き込んだ、本物の入滅仏が安置されているという ワット・プラ・パトム・チェディ วัดประปฐมเจดีย์ (ナンコンパトム)に、早速足を運んでみました。
プラ・パトム・チェディ寺院の巨大な仏塔を取り囲むようにして、鎮座まします様々な仏像のなかに、目的の入滅仏を見つけることができました(下写真)。

両目を閉じ、右腕を寝床に横たえ、手の平が上向きになった入滅仏
左手の置かれた位置、両足の形、右脇を下にしたスタイルは、普通の寝釈迦仏と変わりませんが、右手の位置と形は、今まで見たことの無いスタイルです。
仏像に近づき、お顔と右手の平をじっくり眺める内に、頭部が枕の上に直接置かれていることに気付きました。僕の記憶では、頭部が枕の上に直接置かれた寝釈迦仏(下写真)を見るのは・・・おそらく初めての経験です。

頭部が枕の上に直接置かれた入滅姿の釈迦仏
近くにいた三十歳代のタイ人の若者に質問をして見ました。
僕 『 この仏像は、入滅仏(プラ・パーン・パリニッパーン) พระปางปรินิพพาน ですか? 』
彼 『 ??? 眠っている仏像(プラ・ノーン) พระนอน だよ 』
僕 『 入滅仏ではないのですか・・・ 』
彼 『 入滅仏って何? 眠っている仏像だよ 』
若者が立ち去ると、僕と若者の会話を聞いていたらしい還暦過ぎの男性が助け舟を出してくれました。『 これは、入滅の姿 พระปางปรินิพพาน だよ、タイ人なのに、入滅仏 พระปางปรินิพพาน も知らないなんて・・・』
やはり、この横たわった釈迦仏が入滅仏であることに間違いないようです。右手で自分の頭を支える力を失った釈尊が、右手を寝床に力なく延ばし、頭を枕に沈める姿を、今一度、じっくり観察してみると、入滅する様子を表した仏像に見えてくるから不思議です。
釈尊が80歳で入滅された地は、インド東部のクシーナガルです。仏陀がトン・サーラー・インディア ต้นสาละอินเดีย (沙羅の樹)の下で入滅されると、沙羅の花(下写真)が一斉に開花して、釈尊の遺体を飾ったといわれています。

トン・サーラー・インディアの花 (沙羅の花) 日本名:ホウガンボクの花
タイ仏教では、釈尊は沙羅の樹の下で生まれ、沙羅の樹の下で入滅されたと言い伝えられていることもあって、トン・サーラー・インディア(インド・サーラーの樹)は、タイ仏教の聖木とされています。


左:タイ語名、トン・サーラー・インディア ต้นสาละอินเดีย (日本名:ホウガンボク)
右:高木(約30m)に生る直径25cm前後の球形の実
先ほどの初老の男性にお礼の合掌をして行こうとすると・・・
『 プラ・パーン・パリニッパーン พระปางปรินิพพาน (入滅仏) の姿形の異なる仏像が、少し歩いた向こう側にも安置してあるから是非とも見て行きなさい 』と勧められました。
勧められるままに行って見ると、其処にも、初めて見るプラ・パーン・パリニッパーン พระปางปรินิพพาน (入滅仏)が安置されていました。
その仏像についても、機会があれば、触れて見たいと思います。
彼 『 寝釈迦仏 พระปางไสยาสน์ は、違う意味を持った種類の姿形があります 』
僕 『 寝釈迦仏は、入滅の姿 พระปางปรินิพพาน ではないのですか? 』
彼 『 違います。例えば、此処の寝釈迦は、阿修羅に慈悲を与える姿を表しています 』
『 仏教用語では、パーン・プローッ・アスリン・タ・ラーフー พระปางโปรดอสุรินทราหู です 』
『 火曜日生まれの人の守り本尊としても有名ですね 』
『 仏教用語では、プラ・プラチ゛ャム・ワン・アンカーン พระประจำวันอังคาร です 』
僕 『 それでは、入滅の仏像は、どのような形をしているのですか? 』
彼 『 右手の位置と形が違うので直ぐに分かります 』
彼から聞き込んだ、本物の入滅仏が安置されているという ワット・プラ・パトム・チェディ วัดประปฐมเจดีย์ (ナンコンパトム)に、早速足を運んでみました。
プラ・パトム・チェディ寺院の巨大な仏塔を取り囲むようにして、鎮座まします様々な仏像のなかに、目的の入滅仏を見つけることができました(下写真)。

両目を閉じ、右腕を寝床に横たえ、手の平が上向きになった入滅仏
左手の置かれた位置、両足の形、右脇を下にしたスタイルは、普通の寝釈迦仏と変わりませんが、右手の位置と形は、今まで見たことの無いスタイルです。
仏像に近づき、お顔と右手の平をじっくり眺める内に、頭部が枕の上に直接置かれていることに気付きました。僕の記憶では、頭部が枕の上に直接置かれた寝釈迦仏(下写真)を見るのは・・・おそらく初めての経験です。

頭部が枕の上に直接置かれた入滅姿の釈迦仏
近くにいた三十歳代のタイ人の若者に質問をして見ました。
僕 『 この仏像は、入滅仏(プラ・パーン・パリニッパーン) พระปางปรินิพพาน ですか? 』
彼 『 ??? 眠っている仏像(プラ・ノーン) พระนอน だよ 』
僕 『 入滅仏ではないのですか・・・ 』
彼 『 入滅仏って何? 眠っている仏像だよ 』
若者が立ち去ると、僕と若者の会話を聞いていたらしい還暦過ぎの男性が助け舟を出してくれました。『 これは、入滅の姿 พระปางปรินิพพาน だよ、タイ人なのに、入滅仏 พระปางปรินิพพาน も知らないなんて・・・』
やはり、この横たわった釈迦仏が入滅仏であることに間違いないようです。右手で自分の頭を支える力を失った釈尊が、右手を寝床に力なく延ばし、頭を枕に沈める姿を、今一度、じっくり観察してみると、入滅する様子を表した仏像に見えてくるから不思議です。
釈尊が80歳で入滅された地は、インド東部のクシーナガルです。仏陀がトン・サーラー・インディア ต้นสาละอินเดีย (沙羅の樹)の下で入滅されると、沙羅の花(下写真)が一斉に開花して、釈尊の遺体を飾ったといわれています。

トン・サーラー・インディアの花 (沙羅の花) 日本名:ホウガンボクの花
タイ仏教では、釈尊は沙羅の樹の下で生まれ、沙羅の樹の下で入滅されたと言い伝えられていることもあって、トン・サーラー・インディア(インド・サーラーの樹)は、タイ仏教の聖木とされています。


左:タイ語名、トン・サーラー・インディア ต้นสาละอินเดีย (日本名:ホウガンボク)
右:高木(約30m)に生る直径25cm前後の球形の実
先ほどの初老の男性にお礼の合掌をして行こうとすると・・・
『 プラ・パーン・パリニッパーン พระปางปรินิพพาน (入滅仏) の姿形の異なる仏像が、少し歩いた向こう側にも安置してあるから是非とも見て行きなさい 』と勧められました。
勧められるままに行って見ると、其処にも、初めて見るプラ・パーン・パリニッパーン พระปางปรินิพพาน (入滅仏)が安置されていました。
その仏像についても、機会があれば、触れて見たいと思います。