《前回BLOGからの続きです》

庭園内の小川の手前に、赤茶色をした木造の西洋建築(下写真)が保存されています。この建物の二階から、小川の向こう岸に建つ小さな中世の城郭のような洋館に向けて、支柱で支えられた瀟洒な渡り廊下が延びています。まるで水上に浮かぶアルプスの洒落た山小屋のように見えなくもありません。


渡り廊下の向こうに見える赤茶色の木造の西洋建築

遠目に見ても、この建物の様式は、前回BLOGで紹介したタイと西洋の折衷型の高床式建築と異なり、従来のタイ風建築では見られなかった三階建ての構造になっていることが見て取れます。

早速、この建物(下写真)に近づいて見ると、タイ語で、“ プラ・タムナック・マーリー・ラーチャ・ラッタ・バンサン ”พระตำหนักมารีราชรัตับัลลังก์ と書かれています。タイ語のプラ・タムナック พระตำหนัก とは王族の別荘を意味します。

この建物(下写真)には、素人の僕が見る限りでは、中部タイや北部タイで生まれた伝統的木造様式は何一つ取り入れられていないように見えます。なんとなれば、季節の風を取り込んでエアコン効果を生む高床式構造、天井を張らないで空気を循環させる切妻構造、各部屋に囲まれるように配置されたテラスなど、タイ風建築の特徴は何ひとつ見当たりません。

高床の下部スペースは、一階の部屋となり、今までの一階部分は二階、天井が張られた切妻の破風の内部空間は屋根裏部屋(三階)に姿を変え、屋根には明かり取りの出窓が幾つも設けられています。


建物名:プラ・タムナック・マーリー・ラーチャ・ラッタ・バンサン พระตำหนักมารีราชรัตับัลลังก์

プラ・タムナック(別荘)の意味は分かるのですが、その後に長々と続くタイ語の意味が分かりません。近くにいる数人のタイ人観光客に聞いて見ました。

A『 プラ・タムナックは王族の別荘御殿を意味するので、多分、王族の名前でしょう
B『 バンサンは“ 王様の御座 ”を意味する王室語ではないですか?
C『 人名辞典を引かないと分からないが、人名だと思います

結局、彼等の意見は纏まらなかったのですが、Aさんの意見が、何となくですが、説得力があるような気がしました。因みに、王族の別荘御殿は“ プラ・タムナック ”พระตำหนัก ですが、一般人の別荘は“ バン・パック・ターク・アーガーツ ”บ้านพักตากอากาศ と呼んで区別されているようです。

この建物の二階から延びる渡り廊下は、小川の反対側に保存されている瀟洒な中世風の城郭(下写真)に通じています。この御伽噺に登場しそうな小城は、晩年のラーマ六世がこよなく愛された“ プラ・タムナック・チャーリ‐モンコン・アーツ ”と呼ばれる有名な別荘御殿(プラ・タムナック)です。


渡り廊下で通じている瀟洒な中世風城郭の裏手

下の写真は、ラーマ六世のお気に入りの宮殿、“ プラ・タムナック・チャーリ‐モンコン・アーツ ”を正面から見たカットです。外観を見るかぎりは、フランスのルネサンス様式と英国調の折衷建築ですが、内部構造は、タイの熱帯気候にマッチするように工夫されているようです。

この日は、タイ国立芸術大学の写真専攻(?)の男女学生が大挙して撮影に訪れていましたが、殆どの学生の関心は、この別荘御殿の建築様式にあるらしく、指導教授の提言を聞きながら、様々な角度から撮影を試みていました。


建物名:プラ・タムナック・チャーリ‐モンコン・アーツ พระตำหนักชาลีมงคลอาสน์

上写真の右端に写っている犬の銅像は、ラーマ六世が溺愛した愛犬“ ヤーレー ”の在りし日の姿ですが、チョット不鮮明なので、ヤーレーのアップ(下左写真)を添付しておきましょう。

ヤーレー ”は、ラーマ六世がナコンパトムの刑務所を訪れた折に、刑務所長から貰い受けた黒白の入り混じった雑種の仔犬でした。 ヤーレーは、四六時中、王様に纏わり付いて離れなかったといいますから、王様も犬も相思相愛だったのでしょう。


左:王様の愛犬ヤーレーの銅像  右:王様がヤーレーを哀悼して書いた長編詩

或る夜のこと、成長したヤーレーは、何を思ったのか宮殿を抜け出し、王室護衛隊司令部の敷地内にいた犬と激しい格闘になります。それを鎮めようとした司令部士官は、王様の愛犬のヤーレーとは知らずに銃撃をして殺してしまいます。愛犬の死を悲しんだラーマ六世が詠みあげた哀悼の長編詩が、ヤーレーの銅像の基盤に埋め込まれていました(上右写真右)。

タイ人の親子連れがその長編詩を指でなぞりながら読み合っていました。詩歌用の特殊な単語を散りばめた余りに高尚な名文であるがために、僕のタイ語能力では、到底太刀打ちできません。

話を本筋に戻しましょう。
この時代(日本の大正時代)に至ると、タイの王族や貴族、そして資産家の邸宅は、上記写真のプラ・タムナック・チャーリ‐モンコン・アーツの別荘御殿ほどではないにしても、欧米風の煉瓦建て洋館が主流となり、タイの伝統的高床式木造住居は、急速にその姿を消していったようです。

後世になって、現国王の皇太后(故人)が、タイ北部地域の再植林事業の基地として、チェンラーイの山中
に建築された“ ドーイ・トゥン・パレス ”(下写真)は、北部タイの伝統的木造建築(ラーンナータイ様式)とスイスの山小屋スタイルを折衷したものですが、これ等は極めて珍しいケースだと思います。


スイスの山小屋+北部タイ様式で建てられたドーイ・トゥン・パレス(於:チェンラーイ)

その後、タイ風建築⇒西洋館⇒タイ+西洋の折衷⇒西洋式を主とした折衷建築⇒タイ風を主とした折衷建築・・・といったような時代の変遷を経る中で、タイ独特の建築様式が生まれ、確立していくことになります(下写真)。

ラーマ六世の宮殿公園内にあった“ プラ・ティー・ナン・ピマーン・パトム ”(下写真)は、その分かり易い一例だと思います。


建物名:プラ・ティー・ナン・ピマーン・パトム พระที่นังพมานปฐม ฯ

主たる建物の屋根部分にタイ風様式の破風を構成する切妻様式、それに付随する補完的な建物の屋根も何層にも重なるタイ式屋根を採用しています。白い外壁には、西洋式の大きな長方形窓を設けていますが、窓枠を飾る金綺羅金の彫刻、そして窓の開閉扉の絵図などは、何れも伝統的なタイ模様で埋め尽くされています。

ラーマ六世がお住まいになられた宮殿公園を訪れた目的は、古代都市公園内で見かけた中部タイの伝統的高床式住居(再現)の本物を見るためだけだったのですが・・・まさか、これほどの歴史的変遷を感じることのできる建築を目の当たりにすることが出来るとは!!、全く予想外のことでした。

建築は全く素人の僕ですが、この日は望外の幸いとなりました。