《前回BLOGからの続きです》
『 ナコン・パトムに、本物の中部タイの伝統的高床式住居があるわよ!』
古代都市公園(ムアン・ボラーン)の係員から耳寄りな情報を得た僕は、早速、バンコクから西へ55kmのナコン・パトム県に向かいました。五月初旬に続いて二回目の訪問です。
目指すは、ラーマ六世王(1881年生~1925年没)が皇太子時代にお住まいになられていた“ プラ・ラーチャ・ワン・サナーム・チ゛ャン ”と呼ばれる宮殿です。
走り慣れた国道四号線を西へ走ること一時間弱、ナコン・パトムの町の交差点をUターン、東に少し戻って信号を左折、真っ直ぐ進んだ突き当たりに目指す宮殿がありました。
僕 『 大人2名、入場料は幾らですか? 』
係 『 二人で60バーツですよ 』(約180円)
入場料を払いながら、何気なく告知板を見ると、“ 外国人は50バーツ、タイ人は30バーツ ”と書いてあります。別に誤魔化す気持ちも無いので正直に申告すると・・・
僕 『 アノー、僕は外国人ですが・・・ 』
係 『 アラ、何年タイに住んでいるの? 』
僕 『 五年くらいかな 』
係 『 気にしないで大丈夫よ、どうぞお入りなさい 』
何が大丈夫なのかよく分かりませんが、お言葉に甘えて“ プラ・ラーチャ・ワン・サナーム・チ゛ャン ”の広々とした宮殿の庭園内へ足を進めました。

ラーマ六世が皇太子時代に住まわれた宮殿の敷地に広がる緑地公園
緑の木々が茂る敷地内に、瀟洒な別荘のような建物が点在し、運河のような小川、遊戯ボートの浮かぶ池などが配置された様子は、ユッタリ感もあって気持ちが和みます。暫し、小川の傍らのベンチに腰を降ろし、庭園を吹き抜ける涼風に身を委ねます。
隣のベンチにいた親子の会話に耳をそばだてると・・・その昔、皇太子だったラーマ六世は、敷地内の宮殿を照らす月を眺めるのがお気に入りで、“ 月が照らす宮殿 ”( プラ・ラーチャ・ワン・サナーム・チ゛ャン พระราชวังสนามจันทร์ )と命名されたのだそうです。
広い園内を移動するための二人の乗りの電動車を勧められましたが、気持ちの良さそうな庭内なので歩いて巡ることにしました。“ 右⇒ ルアン・タップ・クアン ”เรือนทับขวัญ (吉兆の家)を示す道路標識に沿って進むと、その小道の木々の緑の向こうに、見たことのあるような赤茶色の木造建築が見え隠れしています。
近づくにつれて、建物の全容が次第に姿を現します。間違いありません。これこそ、古代都市公園(ムアン・ボラーン)で見た中部タイの伝統的高床式住居の“ ソックリさん ”、否!、本物の中部タイの伝統的高床式住居 ”です。

本物の中部タイの伝統的高床式住居(階段のある場所が正面玄関)
古代都市公園(ムアン・ボラーン)では、伝統的高床式住居の周囲を一周することが出来なかったのですが、此処の建物は周囲を巡りながら眺めることができ、高床の床下構造も容易に観察出来ます。
地上約2mある高床の下は、想像したよりも広くて高く、乾季の北風、暑季の南風が通り抜けるようになっています。エアコンの無い時代でしたが、自然のエアコン装置の役割を兼ねていたことが分かります。
更に、当時、高床式住居に住んでいた農民は、この広いスペースを、農作業や運搬に用いる牛車(クゥイアン เกวียน )や洪水で住居が水に浸かった時に用いる小型の木船の置き場、或いは、農作業場、子供の遊び場、ハンモックを吊るして赤子を寝かせたり、家鴨や鶏などの飼育場として有効利用していたと聞きました。

本物の中部タイの伝統的高床式住居(正面玄関の真反対側に当たる裏側)
家屋の構造材、壁材、屋根材は、伝統に従って耐久性の高いチーク材が使われていました。家屋の周囲に張られたチーク材の外壁には、中部タイの伝統模様と呼ばれる“ ルーク・ファク ”ลูกฟัก (下左写真)が装飾されています。長方形の窓の開閉戸は内開き方式(下左写真)ですが、やや地上に近い位置にあるテラス(チャーン・バーン ชานบ้าน )の壁窓(上写真)には安全を考慮して木製の格子戸が設えてあります。
一見すると、古臭い木造家屋の感じがする“ 中部タイの伝統的高床式住居 ”ですが、この当時の家屋は、総チーク材で建てられていたことが分かります。しかし、豊富にあったチーク材も、現在は伐採禁止令が出されて入手困難となり、マホガニーなどの堅木が代用されているのだとか。


左:中部タイの伝統模様が施された外壁と内開きの開閉戸
右:天井板は無く、丸見えの引っ掛け瓦(撮影:古代都市公園)
暑気は南から北への風の通り抜け、乾季は北から南への風通しを重要視する中部タイでは、風の流れを妨げる部屋の天井は張られず、素焼きの赤茶けた無采瓦の裏側とそれを引っ掛ける縦横の桟が丸見えです(上右写真)。この引っ掛け瓦の方式は、現在も、寺院や一般の家屋の屋根で広く用いられています。
中部タイの伝統的高床式住居の外周を見終えてから、見学者専用に設けられた階段を上ろうとすると・・・国家芸術局の係員の女性に声を掛けられました。
『 手下げ鞄は階下のロッカーへお預け下さい 』
『 撮影禁止です 』
『 カメラもロッカーへお預け下さい 』
何事にも鷹揚なタイですが、国家や王室が管理する寺院や建物は、何故か撮影禁止の場所が多いような気がします。ストロボ光線で痛む恐れのある絵画や芸術品ならば理解できるのですが、このような木造建築でも撮影禁止とする理由が今ひとつ分かりません。とは言っても、ルールはルールです。几帳面で真面目な日本人を代表する一人として、大人しく従ったのはいうまでもありません。
見るもの全てが、古代都市公園内の中部タイの伝統的高床式住居と瓜二つでした。部屋の大きさと配置、客間に掲げられたラーマ六世の写真までも同じなのです。古代都市公園で既に撮影済みの僕としては、改めて撮影する必要性は全くありませんでした。
タイ人の大金持ちが個人資産を投じて、タイの遺産の復元、移築、再現、保存を図るために造った“ 古代都市公園 ”(ムアン・ボラーン)の価値の偉大さを、つくずく思い知らされました。
ラーマ六世の愛した“ 吉兆の家 ”(中部タイの伝統的高床式住居)の見学を終えてから、庭園内に残されている異なったタイプの別荘を巡り歩くことにしました。
次回のBLOGに続きます。
『 ナコン・パトムに、本物の中部タイの伝統的高床式住居があるわよ!』
古代都市公園(ムアン・ボラーン)の係員から耳寄りな情報を得た僕は、早速、バンコクから西へ55kmのナコン・パトム県に向かいました。五月初旬に続いて二回目の訪問です。
目指すは、ラーマ六世王(1881年生~1925年没)が皇太子時代にお住まいになられていた“ プラ・ラーチャ・ワン・サナーム・チ゛ャン ”と呼ばれる宮殿です。
走り慣れた国道四号線を西へ走ること一時間弱、ナコン・パトムの町の交差点をUターン、東に少し戻って信号を左折、真っ直ぐ進んだ突き当たりに目指す宮殿がありました。
僕 『 大人2名、入場料は幾らですか? 』
係 『 二人で60バーツですよ 』(約180円)
入場料を払いながら、何気なく告知板を見ると、“ 外国人は50バーツ、タイ人は30バーツ ”と書いてあります。別に誤魔化す気持ちも無いので正直に申告すると・・・
僕 『 アノー、僕は外国人ですが・・・ 』
係 『 アラ、何年タイに住んでいるの? 』
僕 『 五年くらいかな 』
係 『 気にしないで大丈夫よ、どうぞお入りなさい 』
何が大丈夫なのかよく分かりませんが、お言葉に甘えて“ プラ・ラーチャ・ワン・サナーム・チ゛ャン ”の広々とした宮殿の庭園内へ足を進めました。

ラーマ六世が皇太子時代に住まわれた宮殿の敷地に広がる緑地公園
緑の木々が茂る敷地内に、瀟洒な別荘のような建物が点在し、運河のような小川、遊戯ボートの浮かぶ池などが配置された様子は、ユッタリ感もあって気持ちが和みます。暫し、小川の傍らのベンチに腰を降ろし、庭園を吹き抜ける涼風に身を委ねます。
隣のベンチにいた親子の会話に耳をそばだてると・・・その昔、皇太子だったラーマ六世は、敷地内の宮殿を照らす月を眺めるのがお気に入りで、“ 月が照らす宮殿 ”( プラ・ラーチャ・ワン・サナーム・チ゛ャン พระราชวังสนามจันทร์ )と命名されたのだそうです。
広い園内を移動するための二人の乗りの電動車を勧められましたが、気持ちの良さそうな庭内なので歩いて巡ることにしました。“ 右⇒ ルアン・タップ・クアン ”เรือนทับขวัญ (吉兆の家)を示す道路標識に沿って進むと、その小道の木々の緑の向こうに、見たことのあるような赤茶色の木造建築が見え隠れしています。
近づくにつれて、建物の全容が次第に姿を現します。間違いありません。これこそ、古代都市公園(ムアン・ボラーン)で見た中部タイの伝統的高床式住居の“ ソックリさん ”、否!、本物の中部タイの伝統的高床式住居 ”です。

本物の中部タイの伝統的高床式住居(階段のある場所が正面玄関)
古代都市公園(ムアン・ボラーン)では、伝統的高床式住居の周囲を一周することが出来なかったのですが、此処の建物は周囲を巡りながら眺めることができ、高床の床下構造も容易に観察出来ます。
地上約2mある高床の下は、想像したよりも広くて高く、乾季の北風、暑季の南風が通り抜けるようになっています。エアコンの無い時代でしたが、自然のエアコン装置の役割を兼ねていたことが分かります。
更に、当時、高床式住居に住んでいた農民は、この広いスペースを、農作業や運搬に用いる牛車(クゥイアン เกวียน )や洪水で住居が水に浸かった時に用いる小型の木船の置き場、或いは、農作業場、子供の遊び場、ハンモックを吊るして赤子を寝かせたり、家鴨や鶏などの飼育場として有効利用していたと聞きました。

本物の中部タイの伝統的高床式住居(正面玄関の真反対側に当たる裏側)
家屋の構造材、壁材、屋根材は、伝統に従って耐久性の高いチーク材が使われていました。家屋の周囲に張られたチーク材の外壁には、中部タイの伝統模様と呼ばれる“ ルーク・ファク ”ลูกฟัก (下左写真)が装飾されています。長方形の窓の開閉戸は内開き方式(下左写真)ですが、やや地上に近い位置にあるテラス(チャーン・バーン ชานบ้าน )の壁窓(上写真)には安全を考慮して木製の格子戸が設えてあります。
一見すると、古臭い木造家屋の感じがする“ 中部タイの伝統的高床式住居 ”ですが、この当時の家屋は、総チーク材で建てられていたことが分かります。しかし、豊富にあったチーク材も、現在は伐採禁止令が出されて入手困難となり、マホガニーなどの堅木が代用されているのだとか。


左:中部タイの伝統模様が施された外壁と内開きの開閉戸
右:天井板は無く、丸見えの引っ掛け瓦(撮影:古代都市公園)
暑気は南から北への風の通り抜け、乾季は北から南への風通しを重要視する中部タイでは、風の流れを妨げる部屋の天井は張られず、素焼きの赤茶けた無采瓦の裏側とそれを引っ掛ける縦横の桟が丸見えです(上右写真)。この引っ掛け瓦の方式は、現在も、寺院や一般の家屋の屋根で広く用いられています。
中部タイの伝統的高床式住居の外周を見終えてから、見学者専用に設けられた階段を上ろうとすると・・・国家芸術局の係員の女性に声を掛けられました。
『 手下げ鞄は階下のロッカーへお預け下さい 』
『 撮影禁止です 』
『 カメラもロッカーへお預け下さい 』
何事にも鷹揚なタイですが、国家や王室が管理する寺院や建物は、何故か撮影禁止の場所が多いような気がします。ストロボ光線で痛む恐れのある絵画や芸術品ならば理解できるのですが、このような木造建築でも撮影禁止とする理由が今ひとつ分かりません。とは言っても、ルールはルールです。几帳面で真面目な日本人を代表する一人として、大人しく従ったのはいうまでもありません。
見るもの全てが、古代都市公園内の中部タイの伝統的高床式住居と瓜二つでした。部屋の大きさと配置、客間に掲げられたラーマ六世の写真までも同じなのです。古代都市公園で既に撮影済みの僕としては、改めて撮影する必要性は全くありませんでした。
タイ人の大金持ちが個人資産を投じて、タイの遺産の復元、移築、再現、保存を図るために造った“ 古代都市公園 ”(ムアン・ボラーン)の価値の偉大さを、つくずく思い知らされました。
ラーマ六世の愛した“ 吉兆の家 ”(中部タイの伝統的高床式住居)の見学を終えてから、庭園内に残されている異なったタイプの別荘を巡り歩くことにしました。
次回のBLOGに続きます。