《前回BLOGの続きです》

夕方四時、雨が小降りになった頃を見計らって、バンコクのドゥスィット地区にあるワット・インタラー・ウイハーンへ出かけました。このお寺は初めての訪問でしたが、道に迷うこともなく、約三十分もすると、車窓の前方に、赤屋根の本堂(布薩堂)、そして、高さ四十mの釈尊の立像の上半身が見えて来ました(下写真)。


低く垂れ込める雨雲の手前に見える本堂と仏像

駐車場の空きスペースを捜しながら、細い路地を奥へと進むと・・・なんとしたことか、行き止まりです。困り果てていると、寺院の係員らしき親切な小父さんが、路地の片側の引戸方式の門を開け、門内の芝地に招じ入れてくれました。

門内に車を乗り入れると、なんと! 其処は、遠くからも見えた黄金色の釈尊像(下写真)が立っている庭でした。小父さんの支持に従って、巨大な仏像の足元の直ぐ近くに車を駐車して見上げると、目の前に高さ40mの立像が高々と聳えています。


(左)釈尊立像の全身。足元で祈る人間が小さく見えます。
(右)釈尊の足元から見上げると、尊顔が遥か上方に小さく見えます。

降りそそぐ雨に濡れた釈尊の足元で、ハスの蕾を手にしたタイ人信者が、祈りを捧げます。児童も祈ります。若い青年男女も祈ります。中年も年配者も、全ての人が、ウイサーカ・ブーチャの日に徳を積むために祈ります。


釈尊の足元で一心に祈る若い女性

釈尊立像が安置された場所の直ぐ隣の敷地にワット・インタラー・ウイハーンの本堂(布薩堂)があります。係員の了解を得て車を置いたまま、徒歩で本堂に向かいました。

仏陀伝と思われる色絵が描かれた寺門を通ると、カンボジア風の玉蜀黍スタイルのプラ・プラーン(仏塔)、そして、セイロン風の釣鐘スタイルのチェディ(仏塔)に挟まれるようにして、本堂(布薩堂)の切妻屋根を構成する派手な模様の破風が迎えてくれます。天気さえ良ければ、金綺羅金模様が燦燦と輝くのでしょうが・・・チョット残念です。


仏陀伝が描かれた寺門(左) & 雨雲の中で鈍い光を放つ本堂の破風

ワット・インタラー・ウイハーンが建てられたのは、アユッタヤー時代後期(江戸時代中期)だとされていますが、当初の寺院名は、ワット・ライ・パリックと呼ばれていたようです。

この寺院のシンボルでもある高さ40mの釈尊の立像は、タイ人なら誰もが知っている高僧のルアン・ポー・トーの手によって1824年(江戸時代中期、文政七年)に完成されました。現在は、ルアン・ポー・トーの像が安置された瞑想室のある寺院としても知られています。僕も入室して瞑想の真似事をしてみました。

閉じられていた本堂(布薩堂)の窓扉が、いつの間にか開かれ、三々五々、僧侶が集い始めました。間もなく、僧侶が一同に揃って行うウイサーカ・ブーチャーの夕方の読経が始まります。


左:閉じられた本堂の窓 、中:高僧ルアン・ポーの坐像 、右:開けられた本堂の窓

開け放たれた窓から堂内を覗き込むと、天井と壁の全面に仏陀伝らしき絵画が描かれ、正面の御本尊の背面の壁には、大きな寝釈迦像が描かれていました。

二十五人前後の僧侶が本堂(布薩堂)に集うと、筆頭僧の音頭とりによって、ウイサーカ・ブーチャーの夕方の読経が始まりました。荘厳な読経の声が本堂内の隅々に響き渡ります(下写真)。意味は分からなくとも、読経には、心に満ちる音楽と同じような要素があるような気がします。


本堂(布薩堂)でウイサーカ・ブーチャーの夕方の読経をあげる僧侶

低い塀に囲まれた本堂や仏塔の外周は、信者が巡ることの出来る回廊になっています。タイ仏教では、低い塀に囲まれた回廊(下写真)のことを、ターン・プラ・タクスィンと呼び、神聖な本堂や仏塔の周りに設けられています。

ウイサーカ・ブーチャーの日の満月が出る頃になると、仏教信者は、灯りの付いた蝋燭とハスの蕾みを手にして合掌し、回廊を時計回りに三巡します。この右遶三匝(うにょうさんぞう)の行為を、タイ語で、タクスィン・ナー・ウォラ・ロッツと呼びますが、ウイサーカ・ブーチャーの日の右周り三巡は、特に大きい善果があると信じられています。

僧侶の読経が終わると、気の早い二人の信者が、今日のような雨天では、満月が出ることもないと思ったのでしょうか、それとも、小雨の間に済まして置こうとでも考えたのでしょうか、右遶三匝(うにょうさんぞう)の行為を早々と始めました(下写真)。


右回りに三回巡って積徳の行為を行う本堂の回廊と右遶三匝を始めた二人の信者

すると、それを見ていた多くの信者が、次から次へと本堂の回廊(ターン・プラ・タクスィン)に裸足で上がり、火を灯した蝋燭とハスの蕾みを合掌した手に挟みながら、右周り三巡の積徳の行為を始めたのです。

時折強く吹く風が、直ぐに蝋燭の灯りを消してしまいそうになります。蝋燭の灯りが消えると、善果が薄くなるために、灯りを点け直してやり直さなければなりません。蝋燭の灯りが消えないように、思わず合掌の手を解き、片手で蝋燭の灯りを守ります。


蝋燭の灯りが消えないように・・・本堂の回りを右回り三巡する信者

暗くなるにつれて、本堂の回廊を巡る信者の数がドンドン増え始め、遂には、信者の列が回廊の周りを埋め尽くす状態になります。祈りを呟きながら回る人、目を薄く閉じて回る人、何かを語り合いながら回る人、祈る姿は千差万別です。


回廊の周りを埋め尽くす信者の列(於:帰途に立寄ったワット・パトゥム・ワナー・ラーム・ラーチャ・ウォラ・ウィハーン)

数日前に、タイの友人が、いつに無く厳かな表情で、僕に言ったことを想い出しました。

ウイサーカ・ブーチャーの日は、朝から夜に至るまで、法喜の境地に浸ります
早起きして寺院に行き、僧侶にタック・バーツ(寄進)を行います
その後で、僧侶から仏陀伝の法話を聞きます
夜は寺院に参拝、蝋燭に火を灯して合掌し、寺院の回廊を右回りに三度巡ります

日本の潅仏会(花祭り)とは、似ても似つかぬタイの“ 仏誕節? ”、“ 三仏忌? ”、“ 三仏節? ”つまり、神聖な ウイサーカ・ブーチャ( 誕生、成道、入滅 )の祭事でした。