《チャンタブリの小旅行の続きです》

ケーブル・カーで辿り着いた丘陵の頂上は意外に狭く、傾斜面に幾つもの建物が重なるようにして建ち並んでいるために、建築物の全容を一目で見ることが出来ません。それでも、首筋がチョット痛くなるくらいの角度で仰ぎ見ると、仏教寺院とは思えないようなメルヘンチックな光景が広がっていました。

切妻になった白色の破風を縁取る赤色、青色の屋根を縁取る白線と幅広の橙色、屋根の突端で輝く黄金のチョーファー(棟飾り ช่อฟ้า )・・・ここまでは、いつも見慣れたタイ仏教寺院の特徴ですが、屋根の上に乗るチベット様式(?)のような黄金色の構造物との折衷は、今まで只の一度も見たことがありません。


メルヘンチックな仏教寺院のワット・カーオ・ス・ギム

さて、前回BLOGの終わりで触れた、どうやら勘違いをしている二人連れのタイ人女性の話に戻しましょう。彼女達は、意外な展開に驚いている僕を、寺院の応接間へと案内し、直ぐに戻るからと言い残して出て行きました。待つこと数分、寺院の事務局を司る人(?)らしき男性と一緒に戻って来ました。僕と男性は互いにタイ式の合掌(ワイ ไหว้ซึ่งกันและกัน )をします。

挨拶が終わると、男性は、早口のタイ語で喋りはじめました。
今回の瞑想コースを担当している○○です
遥々、日本から御参加頂いてありがとう御座います
二日間の御参加でしたね。宿泊所は用意してありますよ
それでは、瞑想コースの御説明をします

日本人は、日本語を話す外国人と接する時、馬鹿丁寧に一語一語ゆっくりと話す人が多いですが、タイ人は、相手のタイ語能力を一向に頓着せず、日常の速度でベラベラと喋りまくる人が多いような気がします。アメリカ人もその傾向が強いですね。

彼がタイ人女性と打ち合わせを始めました。
男 『 瞑想の奥義は、君が彼に英語で通訳する役目だよね?
女 『 この方には英語なんか必要ないわ
男 『 君の親しい人だったの?
女 『 さっき会ったばかりだけど、二日間がとても楽しみだわ

いささか鈍感な僕ですが、ここまで来ると、彼等の大きな勘違いを指摘せざるを得ません。今日の僕がこの寺院に来た目的は、『 泊まりがけの瞑想コースに参加することではなく、寺院見学をしたくて立ち寄っただけ 』 だと説明し、お手間を取らせたことを深く謝りました。

女A 『 アラ、そうだったの、恥ずかしいわ、すみません
女B 『 だから、貴女は“ おっちょこちょい ”なのよ
女A 『(男性に向かって)お詫びに、○○僧侶を御紹介してあげて、御願い !
男性 『 喜んで !

彼の後に付いて行くと、特大サイズの寺院建築の模型(下写真)が置いてある広間に出ました。隣接する丘陵の頂きに、信者の寄進によって建築中の寺院の仏塔だとのこと。ラオスのビエンチャンを旅した時に見た黄金の仏塔“ パー・タートルアン ”を流線型にしたような建物です。



その模型の前に着座されていた初老のお坊さんを紹介されました。先ずは、腕に巻く白い聖糸(サーイ・スィン สายสิญจน์ )を頂き、ありがたい聖水(プロム・ナーム・モン พรมน้ำมนต์ )を頭から掛けて頂きました。

相も変わらず、信仰心の薄い僕ですが、最近はこの程度の儀式は余り抵抗もなく受けられるようになりました。少しばかりの御賽銭(タム・ブン ทำบุญ )もさせて頂きました。

暫くの間、タイでの生活に関わる雑談を僧侶と交わした後に、事務局の男性の勧めに従って、屋上のアンティーク博物館(下写真)を参観することにしました。此処に収められているアンティークの品々は、お金で買い集めたものではなく、全て信者から寄進されたものだそうです。


屋上に建てられたアンティーク博物館

博物館は五時に閉館するために、残念ながら、全てを見ることは出来なかったのですが、骨董的な中国の調度品や仏像などが所狭しと陳列してありました。カメラのストロボが不調で、思うように撮影が出来なかったのですが、ほんの一部(下写真)を掲載しましょう。


頭陀僧の黄金仏像(左)と異国風の釈尊の坐像(右)


様々な姿をしたアンティークな小仏像(左)と木彫の寝釈迦像(右)

博物館を観覧途中に五時が過ぎてしまったのですが、僕の大好きな遊行仏の骨董的品々を見ることが出来たのは望外の喜びでした。返す返すも残念なのは、カメラのストロボ不調です。

博物館の見学を終えて屋上の広場に出ると、カーオ・ス・ギムの山麓に広がる緑の密林(下写真)が、黄昏の近いチャンタブリの空の下に展開していました。270度の眺望を眺めながら、『 次に来るチャンスがあれば、瞑想会にでも参加してみようかな・・・ 』 などと実現しそうにもないことをフト思ってしまいました。


カーオ・ス・ギムの山麓に広がる緑の密林

ケーブル・カーの側の龍神に守られた石段を下っていると、四人の小僧さん(ネーン เณร )とすれ違いになりました。失礼かとも思ったのですが、『 何歳? 』 と聞くと、二人の小僧さんが、無邪気に、『 15歳 』、『 13歳 』 と答えます。

彼等は、このまま成長して僧侶になるのでしょうか?それとも、暫く御勤めをした後に還俗するのでしょうか? とても興味があったのですが、聞きそびれてしまいました。


龍神に守られた石段と七つの頭を持つ龍神

最初から最後まで、無計画な小旅行でしたが、何とも楽しい出会いが連続した旅でもありました。最初に行ったフルーツ祭りの会場、其処で知り合った若者の案内で訪れた果樹園、何となく立ち寄った寺院で出会った背の高い寺男さん、瞑想寺院で知り合った二人連れの女性や親切な方々・・・彼等との一期一会の縁は、いつまでも僕の心に残ることでしょう。

二日間の泊まり込みで瞑想を実践する彼女達の幸せを心から祈りたいと思います。若し機会があれば、彼女の通訳で瞑想の奥義を究めたいものです。