バンコクの韓国街で友人と焼き肉を食べている時、右隣の席からは韓国人客の声が、左隣の席からは、日本人男性客の声が聞こえて来ました。韓国語と日本語を同時並行で耳にすると、韓国語は全く理解できない僕ですが、二つの言葉は母音の強い同系統の言語のように聞こえます。両国の言葉を理解できない人は、随分と喧嘩早い、キツイ言葉だなと思うのではないでしょうか。

衝立越しに聞こえる声高の日本語を、喧嘩言葉としてではなく、興味ある話題として、しっかり聞き耳をそばだてている僕がいました。

男A 『 日本の仏教は大乗仏教だが、タイの仏教は小乗仏教
男B 『 何が違うの? 』
男A 『 大乗仏教は進歩的、小乗仏教は保守的

その昔に開催された世界仏教会議で、『 小乗仏教 』 の表現は使用禁止になったと聞いています。『 小乗 』 という意味は、『 大乗 』 から見た“ 蔑称 ”なので、現在は、正式名称の 『 上座仏教 』 の名で呼ばれていると思っていたのですが・・・

仏教の宗派を大きく分けると、インド、チベット、ベトナム、中国、韓国、日本で信奉されている 『 大乗仏教 』 (北伝仏教)、そして、スリランカ、タイ、ラオスなどで信奉されている 『 上座仏教 』 (南伝仏教)の二つに分けることが出来ます。
注:大乗仏教 Mahayaan มหายาน 、上座仏教 Himayaan หิมยาน 

男A 『 タイに伝来した仏教は小乗仏教だったのさ
男B 『 どうして? 』
男A 『 インドからスリランカに伝来したのが小乗仏教だったのさ

尤もらしいけれども “ 違います !”
タイ族が自前の国家である“ スコータイ王朝 ”(鎌倉時代)を形成した初期の時代までは、“ サンスクリット系の大乗仏教 ”が信奉されていた形跡が、南タイのナコンスィー・タマラートのワット・マハータート(下写真)に残されています。しかし、最初は、サンスクリット系の大乗仏教寺院として建立されたマハータート寺院も、サンスクリット系大乗仏教が衰退する14世紀後半になると、“ 上座仏教 ”の寺院として建て替えられてしまいます。


大乗仏教から上座仏教(スリランカ様式)に建て替えられた南タイのマハータート寺院
左:同寺の仏塔(古代都市公園で撮影)右:同寺の全貌(ナコンスィータマラート市で撮影)

男A 『 タイは小乗仏教なので、タイの仏像は全て釈迦仏なのさ
男B 『 へー・・・』
男A 『 タイでお地蔵さんや観音様を見たことあるかい?
男B 『 ないな・・・? 』

この説も尤もらしいのですが・・・実は、僕も、この説を何の根拠もなく信じていたのです。しかし、パタヤの海の見える丘の頂きに在る中国寺院で見た“ 中国系大乗仏教の艶やかな観音菩薩像 ”(下右写真)、そして、古代都市公園(ムアン・ボラーン)で見た、“ 筋骨逞しいインド系大乗仏教の観音菩薩 ”(下左写真)、そして、その観音菩薩像に頭を深く垂れて祈るタイ人を見た時に、自分の考えが間違っていたことに漸く気付きました。


左:古代都市公園で見たインド系大乗仏教の観音菩薩(男性)
右:パタヤの中国寺院で見た中国系大乗仏教の観音菩薩 (女性)
注:観音菩薩 kuan-im กวนอิม

大乗仏教 』 には、今は廃れてしまった“ サンスクリット系の大乗仏教 ”があったと先述しましたが、実は、今もタイで生き残っている“ 中国系大乗仏教 ”の存在を迂闊にも見過ごしていたのです。

仏教誕生地のインドで創造された観音菩薩は男性でしたが、チベットを経由して中国に至る頃には、何故か女性化してしまいます。何れにしても、“ 観音菩薩は大乗仏教の仏像 ”であり、“ 上座仏教の仏像 ”ではありません。

パタヤの“ 中国観音菩薩 ”に熱心に祈りを捧げる女性二人に訊ねると、バンコクのヤワラートに住む中国系タイ人の多くは、“ タイ上座仏教 ”ではなく、“ 中国系大乗仏教 ”を深く信奉しているのだそうです。タイの東北(イサーン)の国境近くに住むベトナム系タイ人も然りだそうです。

古代都市公園の“ インド観音菩薩 ”に親子並んで祈るタイ族タイ人に、その理由を訊ねると、『 御利益がある仏像であれば宗派に関係なく拝む 』 という返事が戻って来ました。これもタイらしい風習だといえます。

インド観音菩薩 ”の直ぐ側の人工池の中央に、仏陀を頭上に高々と抱え、迫り繰る悪魔を竜神と共に追い払う黄金色の観音様がありました。この典型的な“ 中国系大乗仏教の観音様 ”を、池の端から拝む人も少なくありません。


古代都市公園で見た大乗仏教の観音菩薩


左:池の側の小公園で笹札に願を掛ける中国系タイ人の若い女性(古代の都公園)
右:釈迦仏を頭上に抱え、悪魔を追い払う中国系大乗仏教の観音様(古代の都公園) 

タイ文部省宗教局統計部によると、以前は、タイ上座仏教と中国系大乗仏教の統計は区分していたそうですが、現在は、仏教徒として一括管理をしているので、大乗仏教の人数は不明なのだそうです。

タイ国民の中に占める大乗仏教の信奉者が余りにも少ないのが、その理由だとは思いますが・・・悪戯に宗派の違いを強調するような行政手法は厳に慎むべきだと思います。

政争を無血軍事クーデターで決着する傾向のあるタイですが、少なくとも、タイ仏教の世界では、宗派間の憎しみや争いを起こして欲しくないと思います。