チョンブリの寺院で涅槃仏と遊行仏を見学してから、バンコクへ続く国道三号線を走行していると、対抗車線の道路端に、黄色い花の束を撓(たわわ)に咲かせた“ゴールデン・シャワー”(金雨花)の並木が続いていました。タイ人は、“ゴールデン・シャワー”(金雨花)のことを“トン・クーン” ต้นคูล と呼びます。


チョンブリで見たゴールデン・シャワー
少し前の僕のBLOGで、僕の個人的な好みは、華々しく脚光を浴びる“ゴールデン・シャワー”よりも、道路端に地味に咲く“ルアン インディア” เหลืองอินเดีย (印度の黄色花)の花だと書いたことがあります。


僕の好きなルアン・インディア(印度の黄色花)
日本に住んでいた頃は、野原に咲くレンゲ草(げんげ)が大好きだった僕ですが、タイに移り住んでから、いつの間にか“黄色い花”が好きになってしまいました。タイという気候がそうさせたのでしょうか!?
タイの人々は、裕福な人も、貧しい人も、老若男女を問わず、兎にも角にも“黄色”が滅茶苦茶に大好きです。タイには曜日ごとに定められた七色の吉兆色があるにも拘わらず、何故に“黄色”だけが殊更に持て囃されるのでしょうか?
あるタイの友人は、崇敬する現国王の誕生曜日が月曜日(黄色の日)だからと説明し、だからこそ、タイの国花は“ゴールデン・シャワー”だと言うのです。前者は納得できるにしても、後者はチョット眉に唾したくなるような気がしないでもありません。


カンチャナブリで見たゴールデン・シャワー(金雨花)
国花が現役の王様の誕生曜日色で決まるのならば、 新しい王様の即位の都度、“タイの国花”が制定されることになります。何でも有りのタイとは言っても・・・こればかりは、俄かには信じ難いことです。
彼の説によると、タイには法律で制定された“国花”(ラーチャ・プルック ราชพฤกษ์ )は存在しないと言うのです。それが証拠に、タイの国花らしきものは、“稲”、“蓮(ハス)”、“睡蓮(スイレン)”の如く、時代背景や為政者によって異なる歴史を歩んできたと言うのです。


左:蓮(ハス) 右:睡蓮(スイレン)
そして、今は、為政者や庶民も、現国王の誕生曜日である黄色の“トン・クーン”ต้นคูล、つまり“ゴールデン・シャワー”(金雨花)を“ラーチャ・プルック”(国花)として心から愛でる様になったと言うのです。
賢明な彼は、僕に質問を投げかけて来ました。
彼 『 日本に国花を制定する法律があります? 』
僕 『 聞いたことがないな 』
彼 『 日本の国花は菊ですか?桜ですか? 』
僕 『 菊は天皇の紋章、桜は庶民の心の花・・・』
そう言えば、海外TVで記者発表をしていた福田首相の演題に“五七の桐”が取り付けてありました。この桐のマークは、昔の日本国有鉄道のマークと同じですね。僕の家内の実家の花紋は、花弁が四枚足りない五三の桐ですが、これは、家内の祖先が、誰に許可を得るでもなく、勝手気儘に流用したものが続いているのだと思いますが・・・


左:日本国総理大臣の花紋 右:五七の桐の花紋
総理大臣の桐の花紋、天皇の菊の紋章、日本人の“庶民の心の花・ヤマ桜”にしても、法律で制定された花紋とはとても思えません。多分ですが、長く積み重ねられた日本の歴史の中で慣習化されたものだろうと思います。非⇒理⇒法⇒権⇒天、天の声、つまり、庶民の慣習は法律よりも強し!です。
皆さんのBLOGを拝見していると、日本は、今や、サクラの季節到来ですね。僕の古いBLOGで触れたことがありますが、タイ在住の日本人の間で、“タイ桜”と呼ばれている“チョンプー・パンティップ”ชมพูพันธ์ทิพย์ という五弁の花(下写真)があります。


チョンプー・パンティップの花
しかし、この花の花弁は、桜の花弁よりもかなり大きくて重く、舞い落ちる時は、垂直にポトンと落下しますので、花吹雪の如く舞い散るサクラのような風情はとても期待できません。
若しも、タイの花の中で“タイ桜”を捜すならば、日本名で“コチョウ・センナ”と呼ばれる“ガン・ラ・パ・プルック”กัลปพฦกษ์ (下写真)ではないでしょうか? なんとなく、“染井よしの”に似ているような気がしないでもありません。


左:ガン・ラ・パ・プルックの花 右:ルアン・インディアの花
考えて見れば、二十年近くもの間、桜の国・日本の季節を経験していない僕が、ホーム・シックになることもなく、日々元気に過ごせているのは、“ガン・ラ・パ・プルック”(上写真)や、ルアン・インディアの花のお陰かもしれません。


チョンブリで見たゴールデン・シャワー
少し前の僕のBLOGで、僕の個人的な好みは、華々しく脚光を浴びる“ゴールデン・シャワー”よりも、道路端に地味に咲く“ルアン インディア” เหลืองอินเดีย (印度の黄色花)の花だと書いたことがあります。


僕の好きなルアン・インディア(印度の黄色花)
日本に住んでいた頃は、野原に咲くレンゲ草(げんげ)が大好きだった僕ですが、タイに移り住んでから、いつの間にか“黄色い花”が好きになってしまいました。タイという気候がそうさせたのでしょうか!?
タイの人々は、裕福な人も、貧しい人も、老若男女を問わず、兎にも角にも“黄色”が滅茶苦茶に大好きです。タイには曜日ごとに定められた七色の吉兆色があるにも拘わらず、何故に“黄色”だけが殊更に持て囃されるのでしょうか?
あるタイの友人は、崇敬する現国王の誕生曜日が月曜日(黄色の日)だからと説明し、だからこそ、タイの国花は“ゴールデン・シャワー”だと言うのです。前者は納得できるにしても、後者はチョット眉に唾したくなるような気がしないでもありません。


カンチャナブリで見たゴールデン・シャワー(金雨花)
国花が現役の王様の誕生曜日色で決まるのならば、 新しい王様の即位の都度、“タイの国花”が制定されることになります。何でも有りのタイとは言っても・・・こればかりは、俄かには信じ難いことです。
彼の説によると、タイには法律で制定された“国花”(ラーチャ・プルック ราชพฤกษ์ )は存在しないと言うのです。それが証拠に、タイの国花らしきものは、“稲”、“蓮(ハス)”、“睡蓮(スイレン)”の如く、時代背景や為政者によって異なる歴史を歩んできたと言うのです。


左:蓮(ハス) 右:睡蓮(スイレン)
そして、今は、為政者や庶民も、現国王の誕生曜日である黄色の“トン・クーン”ต้นคูล、つまり“ゴールデン・シャワー”(金雨花)を“ラーチャ・プルック”(国花)として心から愛でる様になったと言うのです。
賢明な彼は、僕に質問を投げかけて来ました。
彼 『 日本に国花を制定する法律があります? 』
僕 『 聞いたことがないな 』
彼 『 日本の国花は菊ですか?桜ですか? 』
僕 『 菊は天皇の紋章、桜は庶民の心の花・・・』
そう言えば、海外TVで記者発表をしていた福田首相の演題に“五七の桐”が取り付けてありました。この桐のマークは、昔の日本国有鉄道のマークと同じですね。僕の家内の実家の花紋は、花弁が四枚足りない五三の桐ですが、これは、家内の祖先が、誰に許可を得るでもなく、勝手気儘に流用したものが続いているのだと思いますが・・・


左:日本国総理大臣の花紋 右:五七の桐の花紋
総理大臣の桐の花紋、天皇の菊の紋章、日本人の“庶民の心の花・ヤマ桜”にしても、法律で制定された花紋とはとても思えません。多分ですが、長く積み重ねられた日本の歴史の中で慣習化されたものだろうと思います。非⇒理⇒法⇒権⇒天、天の声、つまり、庶民の慣習は法律よりも強し!です。
皆さんのBLOGを拝見していると、日本は、今や、サクラの季節到来ですね。僕の古いBLOGで触れたことがありますが、タイ在住の日本人の間で、“タイ桜”と呼ばれている“チョンプー・パンティップ”ชมพูพันธ์ทิพย์ という五弁の花(下写真)があります。


チョンプー・パンティップの花
しかし、この花の花弁は、桜の花弁よりもかなり大きくて重く、舞い落ちる時は、垂直にポトンと落下しますので、花吹雪の如く舞い散るサクラのような風情はとても期待できません。
若しも、タイの花の中で“タイ桜”を捜すならば、日本名で“コチョウ・センナ”と呼ばれる“ガン・ラ・パ・プルック”กัลปพฦกษ์ (下写真)ではないでしょうか? なんとなく、“染井よしの”に似ているような気がしないでもありません。


左:ガン・ラ・パ・プルックの花 右:ルアン・インディアの花
考えて見れば、二十年近くもの間、桜の国・日本の季節を経験していない僕が、ホーム・シックになることもなく、日々元気に過ごせているのは、“ガン・ラ・パ・プルック”(上写真)や、ルアン・インディアの花のお陰かもしれません。