《パタヤーの海とプルメリアの続きです》
バンコクに戻るのを止め、以前にも泊まったことのあるジョムティアン海岸のホテルを電話予約しました。これで、今日と明日の夕方までは、心行くまで無計画の小さな旅を楽しむことが出来ます。
パタヤーの南端の小山の頂きにある海軍記念公園を出て、隣接地の小さな寺院へ向かう小道の途中に、ヒンドゥー教の創造神・プラプロム(大梵天)の乗りものの “ ホン” と呼ばれる鳥が、今にも大空に飛び発つかの如く、高いポールの上で身構えています。タイ独特のラーイ・カノック紋様が施された “ ホン” は、バラモン教やヒンドゥー教を部分的に取り込んだタイ仏教寺院の境内で見かけられる彫像です。
プラプロム(大梵天)=phra-phrom พระพรหม 、 ホンHong หงส์

ヒンドゥー教の神・プラプロムの乗り物とされる鳥のホン
実は、海軍記念公園と同じ小山の頂きの東に寺院があったなんて知りませんでした。寺院の門標を見ると、 ワット・カーオ・プラバート・パタヤー ( パタヤーの仏足寺院)とあります。仏足寺院とは、仏陀の足跡を祀っている寺院という意味です。パタヤーに仏足跡(仏足石陣)寺院があったなんて全くの初耳です。

ワット・カーオ・プラバート・パタヤー วัดเขาพระบาทพัทยา の正門
仏足石と言えば、アユッタヤー時代(江戸時代初期)に、サラブリ県(タイ中部)で発見された “ 仏陀の足跡 ”は余りにも有名です。言い伝えによると、サラブリの猟師が山中で仏陀の足跡を見つけ、その中に溜まった水を浴びると、身体中の傷がたちどころに治癒したのだとか。
それを聞いたアユッタヤー王朝のソンタム王は、仏足石を囲う尖堂(モンドップ มณฑป )を建立。それ以降、タイで最もありがたい寺院の一つとして、今も参拝客が引きも切らない聖地(下写真)となっています。フランスの奇跡の聖地 “ ルルド ” のような存在かも知れません。


サラブリの仏足寺院の 尖堂と仏足石
余談になりますが、サラブリの仏足寺院を建立したソンタム王は、山田仁左衛門長政などで知られる日本人義勇兵を宮廷の護衛兵として厚遇し、日本の朱印船を積極的に受け入れた人物です。
パッタヤーの仏足寺院の尖堂(モンドップ)は、サラブリの仏足寺院とは比較にならないくらい小規模なものでした(下写真)。


パタヤーの仏足寺院の尖堂と仏足石
仏足石を納めた 尖堂の内部は狭く、中央に配置された仏足石を取り囲む壁には、釈尊が悟りを開き、入滅するまでの様子を描いた壁画が描かれ、その前に安置された仏像は、信者が貼り付けた金箔(ピット・トーン)に包まれて鈍く輝いています。


瞑想する仏陀(左)と入滅(右)の้壁画と祈りを捧げるタイの娘さん
何処の寺院でもそうなのですが、真剣に祈りを捧げるタイの娘さんの後ろ姿がとても印象的です。僕の祖父や祖母の代までは、確実に存在していた仏教信仰ですが、今は、何処に消え失せたのでしょう。少なくとも、僕は生まれて此の方、只の一度も宗教的な信仰心を抱いたことがありません。
実は、僕が選んだ今年の海外旅行先は、なんとしたことか!インド東部の仏跡地なのです。パッタヤーの尖堂内部の四面の壁に描かれているブッダ・ガヤ(悟りの地)、クシナガール(入滅の地)、そして、生誕の地のルムピニ(ネパール)などの歴史的な仏教遺跡を、自分の目と足で確かめて見たいと思っています。
狭い敷地内には、尖堂(モンドップ)の他にも小さな礼拝堂が幾つかあります。寺院が小高い丘の頂きに在る所為か、参拝者は、年配の人よりも、若者の姿が圧倒的に多いようです。仏教寺院やヒンドゥー神の祠をデートの場所として好んで選ぶタイの若い男女・・・日本ではチョットお目にかかれない光景ですね。


左:小さな礼拝堂で祈るタイ人の若い男女
右:外人男性とタイ女性、友人同士?恋人同士?それとも夫婦?
礼拝堂の横の小部屋では、僧侶がタイ人信者の手首に聖糸(サーイ・スィン)を巻く儀式(下写真)を行っていました。聖糸とは、三宝を意味する3または3の倍数の未漂白木綿糸を寄り合わせた糸です。タイ人は、老若男女を問わず、聖糸を手首に巻きつけていると、厄を払い、幸福と繁栄がもたらされると信じています。

僧侶に聖糸 สายสิญจน์ を巻いてもらう信者(パタヤー仏足寺院)
その昔、僧侶から手首に巻かれた聖糸が日数の経過とともに汚れてしまい、捨てるに捨てられず、ホトホト困ったことがあります。タイ人によると、自然に切れて落ちるまで手首に巻いて置くのだとか。それ以来、僕は聖糸の儀式に近付かないようにしています。これって、罰当たりなのでしょうかね。


左:水曜日の仏像(左側)、木曜日の仏像(右側)
右:金曜日の仏像(左側)、土曜日の仏像(右側)
境内からタイ湾を望める場所に、日曜日から土曜日の吉兆の仏像が並んでいました。タイ人は自分の生まれ曜日の仏像の前に置いてある黒っぽいバート(鉢 บาตร )に寄進をして合掌します。僕は土曜日生まれなので、上右写真の右端の仏像に、20バーツを寄進しようと思ったのですが、折り悪く小紙幣も硬貨も無く、(止むを得ず)100バーツ紙幣を一枚寄進して置きました。
これで、罰当たりから少しは開放されるのでしょうか? 信仰心が無い割には、些細なことに拘る僕でした。
バンコクに戻るのを止め、以前にも泊まったことのあるジョムティアン海岸のホテルを電話予約しました。これで、今日と明日の夕方までは、心行くまで無計画の小さな旅を楽しむことが出来ます。
パタヤーの南端の小山の頂きにある海軍記念公園を出て、隣接地の小さな寺院へ向かう小道の途中に、ヒンドゥー教の創造神・プラプロム(大梵天)の乗りものの “ ホン” と呼ばれる鳥が、今にも大空に飛び発つかの如く、高いポールの上で身構えています。タイ独特のラーイ・カノック紋様が施された “ ホン” は、バラモン教やヒンドゥー教を部分的に取り込んだタイ仏教寺院の境内で見かけられる彫像です。
プラプロム(大梵天)=phra-phrom พระพรหม 、 ホンHong หงส์

ヒンドゥー教の神・プラプロムの乗り物とされる鳥のホン
実は、海軍記念公園と同じ小山の頂きの東に寺院があったなんて知りませんでした。寺院の門標を見ると、 ワット・カーオ・プラバート・パタヤー ( パタヤーの仏足寺院)とあります。仏足寺院とは、仏陀の足跡を祀っている寺院という意味です。パタヤーに仏足跡(仏足石陣)寺院があったなんて全くの初耳です。

ワット・カーオ・プラバート・パタヤー วัดเขาพระบาทพัทยา の正門
仏足石と言えば、アユッタヤー時代(江戸時代初期)に、サラブリ県(タイ中部)で発見された “ 仏陀の足跡 ”は余りにも有名です。言い伝えによると、サラブリの猟師が山中で仏陀の足跡を見つけ、その中に溜まった水を浴びると、身体中の傷がたちどころに治癒したのだとか。
それを聞いたアユッタヤー王朝のソンタム王は、仏足石を囲う尖堂(モンドップ มณฑป )を建立。それ以降、タイで最もありがたい寺院の一つとして、今も参拝客が引きも切らない聖地(下写真)となっています。フランスの奇跡の聖地 “ ルルド ” のような存在かも知れません。


サラブリの仏足寺院の 尖堂と仏足石
余談になりますが、サラブリの仏足寺院を建立したソンタム王は、山田仁左衛門長政などで知られる日本人義勇兵を宮廷の護衛兵として厚遇し、日本の朱印船を積極的に受け入れた人物です。
パッタヤーの仏足寺院の尖堂(モンドップ)は、サラブリの仏足寺院とは比較にならないくらい小規模なものでした(下写真)。


パタヤーの仏足寺院の尖堂と仏足石
仏足石を納めた 尖堂の内部は狭く、中央に配置された仏足石を取り囲む壁には、釈尊が悟りを開き、入滅するまでの様子を描いた壁画が描かれ、その前に安置された仏像は、信者が貼り付けた金箔(ピット・トーン)に包まれて鈍く輝いています。


瞑想する仏陀(左)と入滅(右)の้壁画と祈りを捧げるタイの娘さん
何処の寺院でもそうなのですが、真剣に祈りを捧げるタイの娘さんの後ろ姿がとても印象的です。僕の祖父や祖母の代までは、確実に存在していた仏教信仰ですが、今は、何処に消え失せたのでしょう。少なくとも、僕は生まれて此の方、只の一度も宗教的な信仰心を抱いたことがありません。
実は、僕が選んだ今年の海外旅行先は、なんとしたことか!インド東部の仏跡地なのです。パッタヤーの尖堂内部の四面の壁に描かれているブッダ・ガヤ(悟りの地)、クシナガール(入滅の地)、そして、生誕の地のルムピニ(ネパール)などの歴史的な仏教遺跡を、自分の目と足で確かめて見たいと思っています。
狭い敷地内には、尖堂(モンドップ)の他にも小さな礼拝堂が幾つかあります。寺院が小高い丘の頂きに在る所為か、参拝者は、年配の人よりも、若者の姿が圧倒的に多いようです。仏教寺院やヒンドゥー神の祠をデートの場所として好んで選ぶタイの若い男女・・・日本ではチョットお目にかかれない光景ですね。


左:小さな礼拝堂で祈るタイ人の若い男女
右:外人男性とタイ女性、友人同士?恋人同士?それとも夫婦?
礼拝堂の横の小部屋では、僧侶がタイ人信者の手首に聖糸(サーイ・スィン)を巻く儀式(下写真)を行っていました。聖糸とは、三宝を意味する3または3の倍数の未漂白木綿糸を寄り合わせた糸です。タイ人は、老若男女を問わず、聖糸を手首に巻きつけていると、厄を払い、幸福と繁栄がもたらされると信じています。

僧侶に聖糸 สายสิญจน์ を巻いてもらう信者(パタヤー仏足寺院)
その昔、僧侶から手首に巻かれた聖糸が日数の経過とともに汚れてしまい、捨てるに捨てられず、ホトホト困ったことがあります。タイ人によると、自然に切れて落ちるまで手首に巻いて置くのだとか。それ以来、僕は聖糸の儀式に近付かないようにしています。これって、罰当たりなのでしょうかね。


左:水曜日の仏像(左側)、木曜日の仏像(右側)
右:金曜日の仏像(左側)、土曜日の仏像(右側)
境内からタイ湾を望める場所に、日曜日から土曜日の吉兆の仏像が並んでいました。タイ人は自分の生まれ曜日の仏像の前に置いてある黒っぽいバート(鉢 บาตร )に寄進をして合掌します。僕は土曜日生まれなので、上右写真の右端の仏像に、20バーツを寄進しようと思ったのですが、折り悪く小紙幣も硬貨も無く、(止むを得ず)100バーツ紙幣を一枚寄進して置きました。
これで、罰当たりから少しは開放されるのでしょうか? 信仰心が無い割には、些細なことに拘る僕でした。