《ラーンナータイ王国の最初の首都-4》

昨日は休憩を兼ねて、チェンマイの『ワット チェディー ルアン』(寺院)の日没前から日没後までの写真を御覧頂きました。

『ワット チェディー ルアン』は、ラーンナータイ王国の二番目の首都のチェンマイの寺院です。建立されたのは西暦1411年(室町時代の初期)ですが、1545年の地震(?)で大きな被害を受け、約86mの高さの仏塔が崩壊してしまいました。現在は高さ42mまで修復された仏塔の根元部分が残るだけとなっています。



崩壊したワットチェディールアンの仏塔(復元)

崩壊した原因は、1545年の地震による倒壊説、或いは、1775年のビルマとのチェンマイ奪回戦争時の砲撃説の二節があります。何れにしても、復元にあたっては、崩壊前の仏塔の絵図が存在しないために、現在のタイの建築家の想像力によって新しく設計されたものだそうです。口喧しい人から、『全く新しい仏塔・・・』などと悪評されることもあるとか・・・

今日の主題から逸脱してしまいましたが、遺跡の復元作業に当たって、現代的な想像力が入り過ぎたり、復元に使用する素材や手法が余りに現代的過ぎると、遺跡としての価値が大幅に減衰してしまうこともあります。


左:チェンマイ・チェディールアン寺院の復元されたセメント象 
右:スコータイ・スィーホン寺院の発掘時に近い象の遺跡

個人的な好き嫌いはあるにしても、遺跡好きの僕としては、行き過ぎた復元遺跡よりは、遺跡の発見時の原型を極力保とうとする『スィーホン寺院遺跡』の方が好ましいように思えるのですが・・・皆さんの御意見は如何でしょうか?

さて、話をワット チャーン カム遺跡に戻しましょう。


チャーンカムの原形をとどめない位に崩壊した仏塔のすぐ側に、八本の四角柱の台と壁の一部を残す長方形の遺跡(下左写真)が残っていました。チャーン カム寺院の礼拝堂の遺跡です。近日中に行われる『ピッカネート(象頭人身の神)に祈る儀式』(下右写真)に備えて色とりどりの旗指物が飾られてはいますが、可能な限り発掘時の姿を保とうとする意欲が感じられる遺跡です。

 
左:チャーン カム寺院の礼拝堂の遺跡
右:儀式のために飾られたピッカネート(象頭人身の神)


『象が蹲って仏塔を支える』という意味を表す寺院名(チャーンカム寺院)の所為だからでしょうか、礼拝堂遺跡の祭壇の辺りに、ピッカネート(象頭人身の神)の彫像(上右写真)が置かれていました。

ピッカネート(พิฆเนศはガネーシャとも呼ばれる象頭人身の神です。ヒンドゥー教で最も敬われている『シヴ神』(破壊の神)の息子です。タイでは『富の神』、『芸術の神』として、商店主や芸樹家、一般のタイ人も含めて深く信仰されている神です。日本では、大聖歓喜天、又は、聖天の名で呼ばれているようですが・・・浅草の待乳山聖天が有名だと聞きました。

礼拝堂近くで露店を開いていたタイの小母さんが、片手に紙切れをヒラヒラさせながら、『ピッカネート儀式の入場券を買ってよ!』、『一等席の券を安くするから買って頂戴!』と売り込みをかけて来ました。今からバンコクへ戻るからと言って丁重にお断りをしたのですが、『儀式の日にバンコクから来て頂戴!』などと言って簡単には引き下がりません。

タイ人の男性ガイド曰く、インドのヒンドゥ教で最も尊敬されている神は『シヴァ神』(破壊の神)ですが、タイ仏教で最も崇敬されている神は『ヴィシュヌ神』、第二位が『シヴァ神』なのだそうです。


僕 『破壊の神が何故に高い尊敬を受けるのですか?』
彼 『シヴァの本質的意味は吉兆ですよ』
僕 『吉兆と破壊の関係が理解できません』
彼 『生き物を苦しめる悪の神を破壊して慈悲を与えるのです』 
僕 『障害を起こす魔神を押さえ込む神ですか?』
彼 『その通りです』


タイ人観光客の男性が、ニッコリと笑いながら付け加えました。

彼 『シヴァ神はリンガ(男根像)でも表現されているよ』
僕 『リンガはタイの寺院でも見かけますね』
彼 『生命力の象徴ですから繁栄のシンボルなのです』


シヴァ神 = 魔物を破壊する神 = 繁栄の神 = リンガ 
シヴァ神の息子 = ピッカネート(ガネーシャ) = 富の神 = 芸術の神


バラモン教、ヒンドゥ教、仏教等に疎い僕は(宗教分野全てに疎い)、シヴァ神とピッカネート(ガネーシャ)が親子関係だったなんて・・・本で読んだことはあるのでしょうが、頭には全く残っていません。

彼らと会話を楽しむ中で知り得た現場情報です。きっと知識の一つとして記憶できると思います。

次回BLOGで、長く続け過ぎた『チェンマイの遺跡』を終えるつもりです。