《 ラーンナータイ王国の最初の首都を訪ねて 》
タイ人観光団の楽しみは、遺跡見学というよりは、御寺参りをして徳を積む(タムブン)ことにより、
現世の利福と来生の冥福を祈ることにあるようです。
礼拝堂でお祈りを終えた彼らの殆どは、
そのまま境内の休憩所に向かい、お喋りを兼ねた喫茶タイムに入りました。
中には、早々と馬 (下写真)に乗ってインフォメーション センターに引き上げる人もいます。

最終的に、遺跡見学に向かったのは、
男女二組のタイ人とガイド、そしてタダ乗り観光客の僕を含めた六人でした。
礼拝堂の出入り口から右方向に回って進むと、緑の林の向こう側に、
赤や黄色の旗指物に取り囲まれた煉瓦の遺跡( 下左写真 ) が垣間見えます。
近づくと、古井戸の遺跡(下右写真)がありました。
この遺跡は、旧ピン川の直ぐ西岸に築かれたラーンナータイ王国の中心に位置する寺院です。
水量の豊富なピン川に沿った場所なので、
作物の生育や物流に必要な水量は豊富だった筈ですが、
大切な飲料水は、地下水を汲み上げていたことが分かります。
大切な真水を守るためなのでしょう、
井戸の周りは煉瓦塀で囲まれ、出入り口の門柱には番人の塑造が置かれていました。
今は安全用の鉄蓋が被せてありますが、
その昔は、きっと藁葺きの屋根があったに違いありません。


ワットチャーンカムの土台(左) & 井戸の遺跡(右)
見るからに脆そうな煉瓦の遺跡群の中に細心の注意を払いながら進みます。
これが日本ならば、立ち入り禁止のロープが張り巡られていて、
離れた場所から見ることになるのでしょうが、此処は何でもありのタイです。
遺跡の中に入ることも可能ですし、遺跡を手で触ることだって出来ます。
傷つけないように配慮する必要はありますが、遺跡に登ることだって出来ます。
ガイドの説明を聞く観光客は僅か五人に減っているのですが、
彼は微に入り細をうがつ説明をしてくれます。
彼曰く、ウイアン グム カーム遺跡群は、
西暦1984年~1985年にかけて行われたタイ芸術局の遺跡発掘調査によって
発見された遺跡ですが、この寺院跡では、既述の井戸以外に、四角形の仏塔跡(下写真)
と礼拝堂跡 ( 後述 ) が発見された由。


四角形の仏塔の残骸遺跡 ( 左右写真 )
釣鐘状の形をしていた仏塔は、
土台部分に仏塔を担ぐ沢山の象がうずくまっていたのだそうですが・・・今は何も残っていません。
角形の土台を持つこの仏塔が蹲った象によって支えられていたなんて見当も尽きません。
そんな仏塔を見た古の土着の人々は、
この寺のことを、『 ワット チャーン カム 』、つまり、『 象が蹲って支えている寺 』
と呼ぶようになったと言うのです。
タイには、象が支える仏塔遺跡が彼方此方に残っていますが、
僕が見た限りだと、立ったままで仏塔を支える象(チャーン ローム)、
そして、蹲って仏塔を支える象(チャーン カム)の二つのパターンがあります。
僕の想像ですが、『 ワット チャーン カム 』 を取り巻いていた象は、
スコータイのチェディースィーホン寺院の象のように ( 下右写真 )、
蹲って仏塔を支えていたのだと思います。


左:仏塔を支える象(スコータイのソラサック寺院)
右:蹲って仏塔を支える象(チェディースィーホン寺院)
僕の遺跡見学の楽しみは、荒れ果てた残骸を見ながら、
それらの古の姿を彼是と想像したりすることなのですが・・・
これほど崩壊した遺跡となると・・・
次回に続きます。