ワットウモン(洞穴寺)は、タイ人だけではなく、外国人に対しても、瞑想の機会を与える寺院として遍く知られていることを、前回のBLOGでも触れました。
ワットウモンの鬱蒼とした境内の中に、瞑想修行を希望する外国人のための国際瞑想センター(下写真)が設けられています。
国際仏教瞑想センターの標識(左)と建物(右)
仏教における『瞑想』のことを、タイ語では、『ปฎิบัติธรรม』と表現していますが、英語では『BUDDHIST MEDITATION』と訳されていました。タイ語を日本語に直訳すると『仏法に従って行動する』となるのですが・・・仏教用語の翻訳は本当に難しいですね。
ワットウモンの瞑想センターで用いられる言葉は、英語とタイ語ですが、英語もタイ語も理解できない外国人には、自費で通訳を手配することを認めているようです。
左:外国人向けの英語で行う仏陀講座の案内
右:境内を散策する外国人女性
ノルウエー女性(上写真右)が僕に声をかけて来ました。
女『瞑想したい・・・如何すれば出来るの?』
僕『瞑想センターで聞けば分かると思いますよ』
女『貴方は瞑想されたことがありますか?』
僕『いいえ』
女『どうしてですか?』
饒舌な彼女の話題は、次第に僕の苦手な『仏教談話』へと移るのですが・・・仏教を儀式としてしか捉えていない僕に深い話などできる訳がありません。
実は、昔、タイ西部のカンチャナブリの日本人僧侶在籍の寺院で開催された『瞑想の会』に熱心に誘われたことがあるのですが、正座が全く出来ない僕は、それだけを理由にして、即座に断ってしまいました。
彼女から見ると、敬虔なBUDDHISTが多いタイ国で、全く逆のタイプの東洋人の深層心理に興味が湧いたらしく、『何故?』、『如何して?』・・・など等・・・根掘り葉掘りの質問に少々辟易してしまいました。
左:瞑想歩行をするインド系の男性
右:瞑想するは白人男性僧侶
他愛無い『仏教談義』をする彼女と僕のすぐ側を、インド系の人(上左写真)、欧米系の修業者などが、一人、また一人、『歩く瞑想』をしながら、ゆっくりと通り過ぎて行きます。
僕と彼女が座っている芝生の前方を見ると、頭を丸めた僧衣姿の白人男性が、まるで『ロダンの考える人』の上半身のような格好で、『瞑想』の真っ最中でした。
芝生の縁に沿って植えられた樹木に打ち付けてある『戒め』に目を留めたノルウエー女性が、僕にその意味を教えてくれるようにとせがみます。
僕はタイ人ではなく、日本人だと説明済みなのですが、彼女からみれば同じような顔をした東洋人なのだから、『分かって当然!』、とでも思っているのでしょうか?
左写真:
正義を行うことが出来ないのであれば、百年生きたとしても何の価値もない。
ถ้าไม่ทำความดี มีชีวิตอยู่ร้อยปีก็ไร้ค่า
右写真:
親不孝な子供よりも、老人の杖の方が役に立つ。
ไม่เท้าของคนเฒ่า ดีกว่าลูกเต่าอกตัญญู
彼女は、『上手い!その通り!』、と相槌を打ちながらも、腹を抱えて笑いころげていました。