(チェンラーイのワット プラケーオの整理と続き)
現在のチェンラーイには、574年前に発見された本物の『プラ ケーオ モラコット』(聖なるエメラルド仏)は存在しません。しかし、前回BLOGでも触れましたが、現在の『ワット プラケーオ チェンラーイ』(聖なるエメラルド仏の寺院)には、本物に替わる仏像として、二体もの貴い仏像が安置されています。信仰心の篤いチェンラーイの市民にとって、『ワット プラケーオ チェンラーイ』は何とも有り難い寺院なのです。
(注)พระแก้วมรกต (プラ ケーオ モラコット・聖なるエメラルド仏)
『ワット プラケーオ チェンラーイ』
一体は、1990年に王太后の90歳をお祝いして中国の彫刻家に発注して製作された『プラ ケーオ モラコット チェンラーイ』(下左写真)です。 モラコットの意味はエメラルドですが、実際はカナダ産の翡翠(ひすい)です。しかし、タイ人は、『チェンラーイの聖なるエメラルド仏』と呼んで何よりも大切にしています。
もう一体は、チェンラーイに二度と戻って来なかった本物の『プラ ケーオ モラコット』を懐かしんで、地元住民が製作した『プラ ヨック チェンラーイ』(下右写真)です。『ヨック』は翡翠(ひすい)を意味します。 地元の人々は、文字通りに読んで『聖なる翡翠仏』と呼んでいますが、何故に名前がエメラルドではなく、翡翠(ひすい)なのでしょうか? 残念ながら聞き漏らしましたが、多分・・・地元の普通の石材なのでは?
(注)พระหยกเชียงราย (プラ ヨック チェンラーイ・聖なる翡翠仏)
左:『チェンラーイの聖なるエメラルド仏』
右:『チェンラーイの聖なる翡翠仏』
『プラ ケーオ モラコット』(聖なるエメラルド仏)が発見された時代に遡って見たいと思います。
西暦1434年(室町時代初期)、チェンラーイの『ワット パー イア』(当時の寺院名)は、折からの暴風雨に曝されていました。『パー イア』は竹林を意味する言葉ですが、寺院境内には、戦闘用の弓の製作に適した黄竹が繁茂していました。
暴風雨は一段と激しさを増し、雷鳴混じりの稲妻が漆黒の闇を走りぬけたその瞬間!『ワットパーイア』(竹林寺)の黄金仏塔(下左写真)は、轟音とともに引き裂かれて崩れ落ちました。
(注)วัดป่าเยี้ยะ (ワットパーイア・竹林寺)
『ワットパーイア』(竹林寺)の黄金仏塔と黄竹が繁茂していた境内
落雷で砕けた仏塔(上左写真)の中から、漆喰で塗り固められた傷だらけの仏像が現れたのですが、災害後の処置で忙しい人々は、その仏像をそのまま放置して置いたとか。暫くして、一人の僧侶が、漆喰オが剥がれ落ちて露出した仏像の鼻の辺りが緑色なのに気付きます。不思議に思って漆喰を取り去ると・・・何と!エメラルド色の仏像が現れ出でたという訳です。
エメラルド仏が発見された1434年(室町時代初期)以降、ワット パー イア(寺院)は、ワット プラ ケーオ モラコット(聖なるエメラルド仏寺院)と呼ばれるようになります。
下の左写真は、同じ寺院の境内に祀られていた仏像の頭部です。近くを流れるコック川で発掘された漆喰の仏頭ですが、落雷で破壊された仏塔から出現した『プラ ケーオ モラコット』も、これと同じような状態だったのではないでしょうか。
歴史書によると、当時は価値の高い仏像の盗難を防ぐために、本来の姿形を漆喰で覆い隠す風潮があったようです。
左:コック川の川底で発見された漆喰の仏頭(プラケーオ寺チェンラーイで安置)
右:仏塔から発見された本物のプラ ケーオ モラコット(王宮寺院で安置)
以上の話が、574年前に発見された時の状況です。これこそが、『プラ ケーオ モラコット』(エメラルド仏)の誕生話だと思っていたのですが・・・
この寺院での目的も果たし終えたので、次なる目的地のチェンマイへ向けて出発しようと思った矢先に、僧侶と何やら会話をしていた一人の中年男性に声をかけられました。
ワット プラ ケーオ チェンラーイの境内
男性 『外国の方とお見受けしましたが・・・随分と熱心ですね』
僕 『プラ ケーオ モラコットに興味があるものですから』
男性 『何処から来られたのですか?』
僕 『日本人ですが、バンコクに住んでいます』
男性 『本物のエメラルド仏は、バンコクにありますよ』
僕 『実はエメラルド仏が安置された寺院を回っているのです』
男性 『そうですか!それで、何処に行かれましたか?』
僕 『今日で、全ての寺院を訪ね終えました』
男性 『エッツ、本当ですか?』
男性 『インド、セイロン、カンボジア、ラオスへも行かれましたか?』
僕 『ラオスとタイの寺院だけです』
男性 『インドのナーガ セーナ僧を御存知ですか?』
僕 『存じません』
男性 『ナーガ セーナ僧の勉強をして見て下さい』
すると、僕達の会話をニコニコしながら聞いていた僧侶が口を開きました。
僧侶 『ナーガ セーナ僧の話は紀元前2世紀頃のお話です』
男性 『エメラルド仏の出発点をインドとする伝説があります』
彼の話しによると、チェンラーイはエメラルド仏の故郷でも、出発点でもなく。単なる中間地点に過ぎないと言うのです。噂でチラット聞いたことがあるような気もしますが、殆ど未知の話でした。
チョットはガッカリする気持ちもありましたが、彼と僧侶の話を拝聴しているうちに・・・俄然!興味が湧いて来ました。
次回に続きます。