タイ最北端にあるミャンマーとの国境の町『メーサイ』(แม่สาย)に向かって1号線を走っている時、メーサイとラオスを結ぶ『新国際友好橋』の標識が目に入りました。ラオスとタイを結ぶ三つ目の橋です。
うろ覚えの話ですが・・・この橋の工事資金の半分以上を中国が供出したとか・・・折角此処まで来たのでチョットばかり立ち寄って見たのですが・・・残念ながら工事中のために橋の姿を見ることは叶いませんでした。
工事中の新国際友好橋のゲート
現在の中国は、コン川(メコン)を利用してラオスやタイへ輸出貨物を運んでいますが、この友好橋が完成すると、中国-ラオスータイが大陸上で繋がることになり、中国のインドシナ経済戦略の大動脈が整うことになります。
タイの工業発展の基盤を担って来た海の彼方の日本ですが・・・今後は、陸地輸送を主力とした中国のインドシナ経済戦略と真っ向対決する時代が到来することになります。
またまた寄り道をしてしまいましたが、再びタイ最北端のメーサイを目指して車を走らせます。
メーサイに通じる道路の両側に広がる田圃には、稲穂の藁(わら)を無造作に積みあげた『稲積』が彼方此方にありますが、場所によっては、稲穂の藁(わら)を円筒状に丁寧に積み上げて藁小屋のようにした『稲積』(としゃく))も見受けられます。なんだか、収穫期を終えた日本の田圃の光景を見る思いがします。
無造作に積みあげた稲積 日本風の稲積(としゃく)
『稲積』の写真を撮ろうと思って近づくと、その裏側で、古い稲積の藁を崩して田圃に撒いている農夫と目が合いました。
余り広くない彼の田圃ですが、大勢の農夫仲間が声を掛け合いながら共同作業をしています。
彼の話によると、『隣人同士の相互扶助』で共同作業に出かけることを『ロン・ケーク ลงแขก』、加勢を人様に頼むことを『ボーク・ケーク บอกแขก』と言うのだそうです。こんなタイ語なんて、タイ語教室の中では、逆立ちしても教えて貰えない言葉です。
日本の東北地帯にも、田植え、刈りいれ、藁屋根の葺き替えの大イベントの時などに、相互扶助の精神で助け合う『結い』(ゆい)と呼ばれる習慣があったと聞いていますが、タイでは今も伝統的な美風として守り続けられているのですね。
ロン・ケークをする人々 タイの結いを語った農夫
メーサイの農業は余り機械化が進んでおらず、耕運作業や代掻き作業となると、今でも牛の力が頼りなのだそうです。
農夫と雑談している間も、『牛注意』の標識が彼方此方に立つ1号線の車道を、何頭もの牛がのんびりと通り過ぎて行きました。
車道を歩く牛 牛に注意の道路標識
行き交う車両の数が増えて来たなと思う間もなく、国境の町『メーサイ』の中央を貫くパホン・ヨーティン通りに入りました。
パホン・ヨーティン通り
道路の中央分離帯には吉兆色の黄色幟とタイ国旗が交互に飾られ、その突端には、雲南省から伝わったとされる水牛の角をデザインした『勝利の象徴』を意味する『ガラエ』が輝いています。
先日のBLOGで紹介したドーイ・トゥンの王太后の別荘の棟飾りと同じですね。
上写真の突き当たりのビルがミャンマーとの国境ゲート。その後方はミャンマー領になります。
明日に続きます。