ビィエンチャンの凱旋門の塔頂から首都の街並みを眺めながら、今から訪れる予定の寺院をあれこれと検討したのですが、若し時間が許すのであれば、ビエンチャンを代表すると思われる2つの仏教寺院に詣でることにしました。

先ずは、ビエンチャンで最も有名と思われる仏教寺院の『 パー・タート・ルアン 』です。次候補は、ビィエンチャンで最古の寺院と聞く『 ワット・スィーサケット 』ですが、こちらは、ジャール平原に向かう飛行機の出発時間に余裕があればということにして行動開始です。

『 パー・タート・ルアン 』 は前回のブログでUPした凱旋門の直ぐ近くにある仏教寺院ですが、高い外壁に囲まれた佇まいは、まるで外敵からの攻撃を守る要塞のようにも見えなくもありません。

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パー・タート・ルアンの全貌 

中央に聳える巨大な黄金色の塔は、『 湖底の泥土で育った蓮は、やがて湖面で美しく開花する 』と言う仏教の教義を、ラオス流に表現した『 蓮の蕾 』 のデザインです。この仏教寺院がラオス仏教の象徴とされる由縁は、このあたりから来ているのでしょうか。

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パー・タート・ルアンの『 蓮の蕾 』をイメージした黄金色の仏塔

仏教寺院の『 パー・タート・ルアン 』は、1560年にルアン・プラバンからビィエンチャンに首都が遷都された時に、セタティラート王によって建設された仏教寺院です。

セタティラート王は、タイ北部のチェンライを首都としたランナータイ王国と、ラオスのランサーン王国の両方の王様を兼務した人物ですが、僕が追っ駆けをしている『 エメラルド仏 』を、チェンマイからルアン・プラバンへ持ち出し、更にビィエンチャンへと移した歴史上の人物でもあります。

流転のエメラルド仏の追っ駆けをしている僕は、セタティラート王の名前は、耳に蛸ができるほど聞いているのですが、今まで一度も王様の銅像を拝したことがありませんでした。

仏教寺院のパー・タート・ルアンの正面に向かって歩を進めると、黄金色の高い台座から、鍔広の帽子を被り、両手で握りしめた太刀を膝の上に置き、微笑みを浮かべてて参拝者を迎える『 セタティラート王 』の銅像があります。

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パー・タート・ルアン寺院前の広場に座するセタティラート王の銅像

今回のラオス旅行の個人的狙いは、『 エメラルド仏 』を安置した寺院を訪ねることだったのですが、まさか、パー・タート・ルアン寺院前で、ランナータイ王国(首都:チェンマイ)から、隣国のランサーン王国へとエメラルド仏を移したセタティラート王の銅像にお会い出来るとは想定していませんでした。笑みを浮かべた王様の表情を見ると、何処かでお会いしたことがあるような感じがする優しそうな感じの御尊顔でした。


セタティラート王とエメラルド仏に関する年表を僕のメモからピックアップしてみました。
 
年度不詳
セタティラートは、ランサーン王国のポーティーサラ王( 在位1520-1530 )とランナータイ王国(首都:チェンマイ)の王女を父母として、ランサーン王国(ラオス)の王子として誕生していますが、生まれた年度は不詳となっています。

              
1548年
母の父であるランナータイ王(首都:チェンマイ)死去。
ランサーン王国(ラオス)のセタティラート王子が、ランナータイ国の国王として即位。
この時、エメラルド仏は、ランナータイ国のワット・チェディー・ルアン(チェンマイ)に安置してありました。


1550年
セタティラート王の父君のランサーン国王(首都:ルアンビラパン)が死去。
ランナータイ国のセタティラート国王は、急遽ルアン・プラバンに帰国してランサーン国の国王として即位することになります。


この時、セタティラート王は、ランナータイ王国とランサーン王国の王様を兼務するつもりだったのですが、実際には、ランナータイ王国( 首都:チェンマイ )の統治を、ランナータイ王国出身の王妃に任せ、自分自身は、ランサーン王国(首都:ルアンブラパン)に永住することにします。これを契機にして、ランナータイ王家(首都:チャンマイ)とランサーン王家の関係が遠くなり、両王家は急速に疎遠な関係に陥って行きます。

ランサーン王国の王様として帰国することになったセタティラート王は、エメラルド仏を国歌守護仏として、首都のルアン・プラバンへ持ちかえり、下記3箇所の仏教寺院に順次安置することになります。
 
① エメラルド仏をワット・マイ・スアン・ナ・プーム・アハームに安置(下写真)
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② エメラルド仏をワット・シェントーンへ移して安置(下写真)
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③ エメラルド仏をワット・ビスン・ナラートへ移して安置(下写真)
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1560年
ランサーン王国は、好戦的なビルマの脅威から逃れる為に、首都をビィエンチャンへ遷都。
同時に、国歌守護仏のエメラルド仏をビィエンチャンのワット・ホー・パゲオへ移送します。(下写真)


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ビィエンチャンのワット・ホー・パゲオ

1562年
ビルマ対策として、ランサーン王国はアユタヤ王朝(タイ)と盟約を結び、アユタヤー王朝の王女がセタティラートの王妃として輿入れします。


1563年
ビルマ軍は、ランナータイ王国 (首都:チェンマイ)に侵攻して属国としますが、ランサーン王国( 首都:ビィエンチャン )のセタティラート王 は、ビルマ軍の攻撃を食い止めて撃退に成功します。


1570年 
盟約を結んで頼りにしていたアユタヤー王朝( タイ )がビルマの傀儡国家となります。
ランサーン王国 ( ビィエンチャン )もビルマ軍の攻撃を受け、 セタティラート王は、対岸の
ノンカイ(タイ)へと脱出します。 


1571年  セタティラート王はノンカイで死去。
1574年  ビルマはランサーン王国 ( ビエンチャン )を属国とします。


1778年 
タイ・トンブリー王朝のチャックリ将軍 ( 現王朝の創始者のラーマⅠ世 )がビルマ軍を追い払い、ビエンチャンのワット・ホー・パゲオ(仏教寺院)に安置してあったエメラルド仏を戦利品として持ち返り、トンブリー王朝の王宮寺院のワット・アルン(暁の寺院)に安置します。
(下写真)


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エメラルド仏を戦利品としてトンブリーの暁の寺院の本堂に持ち帰ったチャクリ将軍(後のラーマ一世)

1782年~現在
トンブリー王朝を継承したチャックリ王朝の創立に伴い、エメラルド仏はトンブリー地区の対岸に建立された王宮寺院のワット・プラ・ ゲーオに安置され、現在に至っています。(下写真)


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エメラルド仏が現在安置されているバンコクの王宮寺院のワット・プラ・ ゲーオ

僕が追っ駆けをして来た流転のエメラルド仏の軌跡は、タイ国内のチェンラーイ⇒ラムパーン⇒チェンマイ⇒ラオスのルアンブラパン⇒ヴィエンチャン⇒バンコクの旅で一応帰結しました。

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バンコクの王宮寺院に安置されているエメラルド仏 (新聞より転載)

しかし、タイのチェンラーイで耳にした番外編(インド⇒スリランカ⇒カンボジア⇒タイのガーンペーンペット⇒チェンラーイ)の話しがまだ残っています。いつの日にか、番外編の記事を書き加えて、僕のエメラルド仏の追っかけ旅行を終わりにしたいと考えています。