前々から一度は行って見たいと思いながらも、直前になると 『 止めた!』を繰り返していた場所、『 サティアン・タム・サターン 』 เสถียรธรรมสถาน (意味: 確固たる真理を求める場所 )に行って来ました。
踏ん切りのつかない気持ちを繰り返していた理由は・・・数年前、日本で異様な事件を起こした『 オーム教団 』のような雰囲気を感じたからですが・・・思い切って訪ねて見ると、とても心が休まる居心地の良い場所でした。
『 サティアン・タム・サターン 』の場所は、ドンムアン空港に向かうパホン・ヨーティン道路からラーマ・インタラ道路に進み、ソイ・ワチャラポンの大型スーパーのテスコ・ロータスの二軒隣です。
尼僧が運営していると聞いていたので、てっきり閑静な地にある尼院を想像していたのですが、目的地の前の道路は、まるでバンコク中心地の如く、数珠繋ぎの車両で大混雑です。

サティアン・タム・サターンの前の混雑した道路
当然あるだろうと勝手に想像していた目印の寺門はなく、そ代わりにあったのは、商店を思わせるようなショー・ウインドーです。ショ・ケースの中に仏像が飾られていなければ、尼僧の運営する瞑想場所と気付かずに、通り過ぎてしまうかもしれません。

サティアン・タム・サターンの出入口を兼ねたショーウインドー
ショーウインドーの間を抜けて中に入ると、白い布で全身を纏った尼僧(メーチー แม่ชี )による受付と懇切丁寧な説明があります。

受付に飾られていた迎え花
中年の尼僧(メーチー)から注意と要領を伝授してもらいます。
『 御記名をお願いします 』
『 場所内での撮影はお断り致します 』
『 最初に右奥の瞑想室にお進み下さい 』
『 瞑想の作法は・・・云々・・・云々・・・ 』

庭園内の小池に浮かぶ鬼ばす。喧騒のバンコク郊外の庭園とは思えない静けさがあります。
受付を終えて、指示された右奥へ続く通路を進むと、瞑想室の真向かいにも受付があり、
白蓮の半開きの花が入った透明のグラスが幾つも並び置かれています。
その傍らにいた尼僧の説明が始まります。
尼 『 仏陀の遺骨にタワイ(献上)をお願いします 』
僕 『 何を献上するのですか? 』
尼 『 白い蓮の花です 』
僕 『 花の値段はいくらですか ?』
尼 『 貴方のお気持ちで結構です 』
日本の仏教寺院もそうですが、永代供養などの支払いの段になると、どの寺院でも決まったように『 お気持ちで結構です 』と言います・・・・・・・僕は、このような心にもない僧侶の台詞が大嫌いです。僕が日本仏教を嫌いになった理由の一つでもありました。
とは言いながらも、蓮の白花くらいのことで目くじらを立てても仕方ありません。50バーツを箱の中に入れて『 蓮の白蕾 』を2個ばかり頂戴してから瞑想室の中に入ります。
瞑想室の中央にチェディー(仏塔)をイメージした円錐形のオブジェがあり、頂上部分の金色の箱の中に仏陀の遺骨(プラ・ボロム・マ・サーリー・リッカ・タート พระบรมสารีริกถาตุ が安置してあるようです。
三回ひれ伏す作法( กราบ ๓ ครั้ง >)を行ってから 『 蓮の白蕾 』を献上 ถวาย します。後は自分の好きな場所に座禅して瞑想に耽ります。四人の市井のタイ人女性が壁を背にして瞑想の真っ最中でした。( 撮影禁止なので写真はありません )
瞑想室を出て、庭園内(14ライ=22,400㎡)を散策することにしました。庭園内には池、芝地、森、建物が点在し、それを結ぶ小道が巡らしてあります。先ほどまで耳にしていた浮世の騒音は、全く届かない静寂の世界です。

瞑想を終えて遊歩道を散策する人々
池の傍らに備えられた板敷きの遊歩道を進むと、森の中にタイ風の建物が見えてきました。この施設で働く尼層や、尼僧学校の生徒が学んだり、寝泊まりする住居なのでしょうか?

庭園の奥へと続く池の遊歩道
湖畔を離れて森に入ると、木漏れ日の漏れる小道が奥へと伸びていました。

木漏れ日の漏れる森の中の小道>
庭園内に設けられた拡声器から、男性僧侶による低音の法話が流れていました。森と芝地と池の自然環境にマッチした清涼感溢れるB.G.M.のような感じです。一人だけで黙々と園内を散策するだけでも、十分に心の平静を得られるような・・・そんな気持ちを覚えます。

森の中で語り合う尼僧と信者
庭園内には、精進料理の食堂 自然食品を売る売店、子供相手のバティック教室、伝統マッサージ、鬱蒼としたジャングル・ムードなどの施設が、目立たないように設けてありました。

鬱蒼とした森の中の木橋
帰り際に尼僧から誘われました。
『 金、土、日、タイ国の祭日と仏日は、瞑想会( ナン・サマーティ นั่งสมาถิ )を行います 』
『 精神を集中して乱れない心の働きを求められたらいかがですか 』

和風のムードが漂う語らいの広場
『 オーム教団 』のような如何わしい存在ではなく、真摯に仏教的平和を求める瞑想の会でした。『 座禅による瞑想 』と『 散策による瞑想 』によって心の平穏を得ることは、精神的に清清しい効果をもたらすことを知りました。
追記:
この瞑想所は、かって実業家として財をなした女性企業家(サンサニー尼)が仏門に帰依した後に開設(1988年)。翌年には、子供、女性、修道者(ナック・ブアット นักบวช )を集めて仏教的平和と静かさを探求する共同体 (チュムチョン ชุมชน )として創設。
この庭園に駐車場はありません。撮影も禁止でした。ということで、瞑想室の写真は遠慮しましたが、庭園内の写真は、罰当たりとは思いましたが、ノー・ファインダーでシャッターを押してしまいました。深く反省しています。次回は決してこのようなことは致しませんので、どうかお許し下さい。
踏ん切りのつかない気持ちを繰り返していた理由は・・・数年前、日本で異様な事件を起こした『 オーム教団 』のような雰囲気を感じたからですが・・・思い切って訪ねて見ると、とても心が休まる居心地の良い場所でした。
『 サティアン・タム・サターン 』の場所は、ドンムアン空港に向かうパホン・ヨーティン道路からラーマ・インタラ道路に進み、ソイ・ワチャラポンの大型スーパーのテスコ・ロータスの二軒隣です。
尼僧が運営していると聞いていたので、てっきり閑静な地にある尼院を想像していたのですが、目的地の前の道路は、まるでバンコク中心地の如く、数珠繋ぎの車両で大混雑です。

サティアン・タム・サターンの前の混雑した道路
当然あるだろうと勝手に想像していた目印の寺門はなく、そ代わりにあったのは、商店を思わせるようなショー・ウインドーです。ショ・ケースの中に仏像が飾られていなければ、尼僧の運営する瞑想場所と気付かずに、通り過ぎてしまうかもしれません。

サティアン・タム・サターンの出入口を兼ねたショーウインドー
ショーウインドーの間を抜けて中に入ると、白い布で全身を纏った尼僧(メーチー แม่ชี )による受付と懇切丁寧な説明があります。

受付に飾られていた迎え花
中年の尼僧(メーチー)から注意と要領を伝授してもらいます。
『 御記名をお願いします 』
『 場所内での撮影はお断り致します 』
『 最初に右奥の瞑想室にお進み下さい 』
『 瞑想の作法は・・・云々・・・云々・・・ 』

庭園内の小池に浮かぶ鬼ばす。喧騒のバンコク郊外の庭園とは思えない静けさがあります。
受付を終えて、指示された右奥へ続く通路を進むと、瞑想室の真向かいにも受付があり、
白蓮の半開きの花が入った透明のグラスが幾つも並び置かれています。
その傍らにいた尼僧の説明が始まります。
尼 『 仏陀の遺骨にタワイ(献上)をお願いします 』
僕 『 何を献上するのですか? 』
尼 『 白い蓮の花です 』
僕 『 花の値段はいくらですか ?』
尼 『 貴方のお気持ちで結構です 』
日本の仏教寺院もそうですが、永代供養などの支払いの段になると、どの寺院でも決まったように『 お気持ちで結構です 』と言います・・・・・・・僕は、このような心にもない僧侶の台詞が大嫌いです。僕が日本仏教を嫌いになった理由の一つでもありました。
とは言いながらも、蓮の白花くらいのことで目くじらを立てても仕方ありません。50バーツを箱の中に入れて『 蓮の白蕾 』を2個ばかり頂戴してから瞑想室の中に入ります。
瞑想室の中央にチェディー(仏塔)をイメージした円錐形のオブジェがあり、頂上部分の金色の箱の中に仏陀の遺骨(プラ・ボロム・マ・サーリー・リッカ・タート พระบรมสารีริกถาตุ が安置してあるようです。
三回ひれ伏す作法( กราบ ๓ ครั้ง >)を行ってから 『 蓮の白蕾 』を献上 ถวาย します。後は自分の好きな場所に座禅して瞑想に耽ります。四人の市井のタイ人女性が壁を背にして瞑想の真っ最中でした。( 撮影禁止なので写真はありません )
瞑想室を出て、庭園内(14ライ=22,400㎡)を散策することにしました。庭園内には池、芝地、森、建物が点在し、それを結ぶ小道が巡らしてあります。先ほどまで耳にしていた浮世の騒音は、全く届かない静寂の世界です。

瞑想を終えて遊歩道を散策する人々
池の傍らに備えられた板敷きの遊歩道を進むと、森の中にタイ風の建物が見えてきました。この施設で働く尼層や、尼僧学校の生徒が学んだり、寝泊まりする住居なのでしょうか?

庭園の奥へと続く池の遊歩道
湖畔を離れて森に入ると、木漏れ日の漏れる小道が奥へと伸びていました。

木漏れ日の漏れる森の中の小道>
庭園内に設けられた拡声器から、男性僧侶による低音の法話が流れていました。森と芝地と池の自然環境にマッチした清涼感溢れるB.G.M.のような感じです。一人だけで黙々と園内を散策するだけでも、十分に心の平静を得られるような・・・そんな気持ちを覚えます。

森の中で語り合う尼僧と信者
庭園内には、精進料理の食堂 自然食品を売る売店、子供相手のバティック教室、伝統マッサージ、鬱蒼としたジャングル・ムードなどの施設が、目立たないように設けてありました。

鬱蒼とした森の中の木橋
帰り際に尼僧から誘われました。
『 金、土、日、タイ国の祭日と仏日は、瞑想会( ナン・サマーティ นั่งสมาถิ )を行います 』
『 精神を集中して乱れない心の働きを求められたらいかがですか 』

和風のムードが漂う語らいの広場
『 オーム教団 』のような如何わしい存在ではなく、真摯に仏教的平和を求める瞑想の会でした。『 座禅による瞑想 』と『 散策による瞑想 』によって心の平穏を得ることは、精神的に清清しい効果をもたらすことを知りました。
追記:
この瞑想所は、かって実業家として財をなした女性企業家(サンサニー尼)が仏門に帰依した後に開設(1988年)。翌年には、子供、女性、修道者(ナック・ブアット นักบวช )を集めて仏教的平和と静かさを探求する共同体 (チュムチョン ชุมชน )として創設。
この庭園に駐車場はありません。撮影も禁止でした。ということで、瞑想室の写真は遠慮しましたが、庭園内の写真は、罰当たりとは思いましたが、ノー・ファインダーでシャッターを押してしまいました。深く反省しています。次回は決してこのようなことは致しませんので、どうかお許し下さい。