バンコクの北西667kmの盆地にラムプーン県があります。県境のピン川を越えて26kmも走ると、タイ第二の都市と言われるチェンマイ市内に到達します。名前が似ていて紛らわしいのですが、ラムパーン県はラムプーン県の南東隣の県です。
ラムプーン県は、タイ北部8県の中では最小の県ではありますが、西暦897年に築かれたタイ最古の都と言われるハリプンチャイ王国のあった町です。 13世紀後半までは、その当時のタイ中央部を支配していたドヴァラヴァティ王国(モン族)の一部として隆盛を極め、タイ北部一帯を掌握していたという記録が残っています。
1281年、ランナー王国(チェンマイ)のマンラーイ王によって滅ばされ、その後は、スコータイ王朝、アユタヤー王朝、トンブリ王朝の統治を経て、1932年に現在のタイ国の県として併合されています。
駐車場に車を置いてから、寺院の方角を見遣ると、見覚えのあるアーチ形の石造りの正門
(プラトゥー・クロン)があります。漆喰で塗られた石門の美しいデザインは、ラムパーン・ルアンの正門の形に似ています。
左:アーチ形の石造りの正門(プラトゥー・クロン) 右:ラムパーンのプラトゥー・ルアンの正門
僕がこの町を訪れたのは、実は今回で2回目になります。前回の訪問目的は、チェンマイを統治していたビルマ軍とアユタヤー王朝軍の間で繰り広げられたラムプーン古戦場の現場を、自分の眼で見て回ることでした。 今回の訪問は、タイ北部における上座部仏教の聖地としてのプラタート・ハリプンチャイの雰囲気に少しでも触れて見たいと思ったからです。
歴史書によると、寺院としてプラ・タート・ハリプンチャイが最初に建立されたのは、1108年となっているのですが、その後、何度も拡張と改修が繰り返されたようです。

プラ・タート・ハリプンチャイの礼拝堂(ウイハーン)
正門を入ると正面に黄金色の真新しい礼拝堂(ウイハーン)が輝いています。(上写真)
中を覗くとランナー様式の仏像が安置されていました。この建物は、1925年に建立された現役バリバリの建物ですので、残念ながら(?)・・・歴史的な深みを感じることはできません。

経典を納める御文庫(経蔵)
礼拝堂に向かって左方向に進むと、異様に高い基礎の上に建てられた古めかしい小さな木造建造物があります。説明板によると、経典を納める御文庫(経蔵)で、湿気と白アリの被害から経典を守るために、意図的に高い土台を造って建てられたようです。(上写真)
御文庫の辺りから右方面を見遣ると、高さ 46m の金色に輝く仏塔を間近に見ることができます。銅版を巻かれた仏塔の頂部には、純金で作られた9層の傘の形が取り付けられているそうですが、この傘の個数は、仏教世界の最高順位を示すものだとか。(下写真)

1418年建立され、1443年に修復された黄金色の仏塔
仏塔の周りに四箇所の仏座が設けられていて、一人の僧侶が、それぞれの仏座を回りながら祈りを捧げていました。毎夕に行う勤行だろうと思います。

仏塔周囲の四箇所の仏座に祈りを奉げる僧侶
タイ人の老若男女は、線香と蓮の花を両手に捧げて合掌、吉兆を願いつつ、仏塔の周囲を時計回りに三回廻ります。葬式などのような不幸な儀式の時は、反時計周りの左回りだそうです。(下写真)

吉兆を願って仏塔を右回りに3回ほど周回するタイ人
仏塔の後方には、黄金色に彩色された本堂(ウボーソット)があります。礼拝堂には、誰でも自由に入ることができますが、本堂(下写真)は、僧伽(サンギャ)行事を行う場所ですので、一般人がいつも自由に出入り出来るとは限りません。この日も扉が閉まっていて、中を覗くことは出来ませんでした。

左:僧伽(サンギャ)行事を行う本堂(ウボソット) 右:境内で祈りを奉げる信徒
本堂から少し離れた境内に、見るからに古めかしいモン様式のレンガの仏塔(チェディー)がありました。こんな形のチェディー(下左写真)は、今まで一度も見たことがありません。
ラムプーンがモン族のドヴァラヴァティ王国の一部であったことは、なんとなく知っていたのですが、ユニークなビルマ様式の古代チェディーを初めて間近に見て、歴史の一端を具体的に実感できたような気持ちになりました。これこそ旅の醍醐味ですね。

左:古代モン様式のレンガのチェディー 右:ビルマ様式の釣鐘塔ならぬ銅鑼塔
寺院の境内を左周りで見学して正門近くに戻ると、赤茶色の巨大なビルマ様式の建造物(上右写真)があります。近づいて中を見ると、ブロンズ製の大きなドラがぶら下がっていました。説明板には、『 このタイプの銅鑼としては世界最大 』とあるのですが、何を根拠に世界一なのか・・・よく分かりません。
アユタヤー王朝時代の遺跡に強い興味を持っている僕としては、プラ・タート・ハリプンチャイ境内の12棟の歴史的仏教建築は、全て現役の寺院であることから、敬虔な仏教徒ではない僕には、正直に言って感銘度はあまり高くありませんでした。
但し、アユタヤー王朝を滅ぼしたビルマ文化の一端に触れることができたのは収穫でした。 そして、モン様式のレンガのチェディーを見ることが出来たのは、その歴史的詳細は分からないまでも、何にも増して嬉しい発見でした。
次回は、ランプーン(ハリプンチャイ)の地で戦ったであろう日本牢人(関ヶ原牢人)を偲ぶことにしたいと思います。
ラムプーン県は、タイ北部8県の中では最小の県ではありますが、西暦897年に築かれたタイ最古の都と言われるハリプンチャイ王国のあった町です。 13世紀後半までは、その当時のタイ中央部を支配していたドヴァラヴァティ王国(モン族)の一部として隆盛を極め、タイ北部一帯を掌握していたという記録が残っています。
1281年、ランナー王国(チェンマイ)のマンラーイ王によって滅ばされ、その後は、スコータイ王朝、アユタヤー王朝、トンブリ王朝の統治を経て、1932年に現在のタイ国の県として併合されています。
駐車場に車を置いてから、寺院の方角を見遣ると、見覚えのあるアーチ形の石造りの正門
(プラトゥー・クロン)があります。漆喰で塗られた石門の美しいデザインは、ラムパーン・ルアンの正門の形に似ています。


左:アーチ形の石造りの正門(プラトゥー・クロン) 右:ラムパーンのプラトゥー・ルアンの正門
僕がこの町を訪れたのは、実は今回で2回目になります。前回の訪問目的は、チェンマイを統治していたビルマ軍とアユタヤー王朝軍の間で繰り広げられたラムプーン古戦場の現場を、自分の眼で見て回ることでした。 今回の訪問は、タイ北部における上座部仏教の聖地としてのプラタート・ハリプンチャイの雰囲気に少しでも触れて見たいと思ったからです。
歴史書によると、寺院としてプラ・タート・ハリプンチャイが最初に建立されたのは、1108年となっているのですが、その後、何度も拡張と改修が繰り返されたようです。

プラ・タート・ハリプンチャイの礼拝堂(ウイハーン)
正門を入ると正面に黄金色の真新しい礼拝堂(ウイハーン)が輝いています。(上写真)
中を覗くとランナー様式の仏像が安置されていました。この建物は、1925年に建立された現役バリバリの建物ですので、残念ながら(?)・・・歴史的な深みを感じることはできません。

経典を納める御文庫(経蔵)
礼拝堂に向かって左方向に進むと、異様に高い基礎の上に建てられた古めかしい小さな木造建造物があります。説明板によると、経典を納める御文庫(経蔵)で、湿気と白アリの被害から経典を守るために、意図的に高い土台を造って建てられたようです。(上写真)
御文庫の辺りから右方面を見遣ると、高さ 46m の金色に輝く仏塔を間近に見ることができます。銅版を巻かれた仏塔の頂部には、純金で作られた9層の傘の形が取り付けられているそうですが、この傘の個数は、仏教世界の最高順位を示すものだとか。(下写真)

1418年建立され、1443年に修復された黄金色の仏塔
仏塔の周りに四箇所の仏座が設けられていて、一人の僧侶が、それぞれの仏座を回りながら祈りを捧げていました。毎夕に行う勤行だろうと思います。


仏塔周囲の四箇所の仏座に祈りを奉げる僧侶
タイ人の老若男女は、線香と蓮の花を両手に捧げて合掌、吉兆を願いつつ、仏塔の周囲を時計回りに三回廻ります。葬式などのような不幸な儀式の時は、反時計周りの左回りだそうです。(下写真)

吉兆を願って仏塔を右回りに3回ほど周回するタイ人
仏塔の後方には、黄金色に彩色された本堂(ウボーソット)があります。礼拝堂には、誰でも自由に入ることができますが、本堂(下写真)は、僧伽(サンギャ)行事を行う場所ですので、一般人がいつも自由に出入り出来るとは限りません。この日も扉が閉まっていて、中を覗くことは出来ませんでした。


左:僧伽(サンギャ)行事を行う本堂(ウボソット) 右:境内で祈りを奉げる信徒
本堂から少し離れた境内に、見るからに古めかしいモン様式のレンガの仏塔(チェディー)がありました。こんな形のチェディー(下左写真)は、今まで一度も見たことがありません。
ラムプーンがモン族のドヴァラヴァティ王国の一部であったことは、なんとなく知っていたのですが、ユニークなビルマ様式の古代チェディーを初めて間近に見て、歴史の一端を具体的に実感できたような気持ちになりました。これこそ旅の醍醐味ですね。


左:古代モン様式のレンガのチェディー 右:ビルマ様式の釣鐘塔ならぬ銅鑼塔
寺院の境内を左周りで見学して正門近くに戻ると、赤茶色の巨大なビルマ様式の建造物(上右写真)があります。近づいて中を見ると、ブロンズ製の大きなドラがぶら下がっていました。説明板には、『 このタイプの銅鑼としては世界最大 』とあるのですが、何を根拠に世界一なのか・・・よく分かりません。
アユタヤー王朝時代の遺跡に強い興味を持っている僕としては、プラ・タート・ハリプンチャイ境内の12棟の歴史的仏教建築は、全て現役の寺院であることから、敬虔な仏教徒ではない僕には、正直に言って感銘度はあまり高くありませんでした。
但し、アユタヤー王朝を滅ぼしたビルマ文化の一端に触れることができたのは収穫でした。 そして、モン様式のレンガのチェディーを見ることが出来たのは、その歴史的詳細は分からないまでも、何にも増して嬉しい発見でした。
次回は、ランプーン(ハリプンチャイ)の地で戦ったであろう日本牢人(関ヶ原牢人)を偲ぶことにしたいと思います。