バンコクを流れるジャオプラヤー川に架かる橋の一つに、現国王(ラーマ9世)の兄君であらせられたラーマ8世(在位:1935-1946年)を偲んで建設された『 ラーマ8世橋 』があります。

ラ-マ8世橋と在りし日のラーマ8世(在位:1935-1946年)
ラーマ8世(アーナンタマヒドン国王)は、僅か10歳で即位されました。しかし、幼少のために摂政が置かれ、アーナンタマヒドン国王は、スイスで勉学に勤しまれていました。
ところが、成年に達して帰国された翌年(西暦1946年)に、ボーロマピマーン宮殿の寝室内で、国王の眉間を銃弾が貫通、即死状態で発見されるという悲しい事件が発生します。

アーナンタマヒドン国王が崩御されたボーロマピマーン宮殿
ボーロマピマーン宮殿は、ラーマ5世が建設した宮殿ですが、ラーマ6世、ラーマ7世、そして、ラーマ8世までの3人の国王が住まわれた宮殿です。今も一般客に開放されていないと聞きました。
当時の内閣が設置したラーマ8世崩御事件調査委員会は、調査結果から『他殺説』を採用。警察は侍従3人を殺害容疑で逮捕、3人の侍従は容疑を否認したようですが、最高裁判所は3人に死刑判決を下し、彼等は4ケ月後に死刑を執行されています。
第一発見者のチット侍従(死刑)の証言は次のような内容だったようです。
『 午前9時20分頃、チット、ブット両侍従が国王寝室前に控えていたときに、中から銃声が聞こえた。チット侍従が寝室内に入ると、ラーマ8世がベッドの上で頭から血を流していた。傍らには自動拳銃(M1911A1)が落ちていた 』
アーナンタマヒドン国王がスイスで勉学に励んでおられる時に摂政を勤め、後に首相まで上り詰めたプリーディー氏(立憲革命の主宰者)も関与を疑われた一人でした。しかし、崩御事件後のクーデターで国外亡命していたために訴追されることはありませんでした。

左:プリーディー元タイ首相(1900年生-1983年歿)立憲君主革命の主宰者・タマサート大学創始者
右:辻政信(1902年10月11日生-1961年ラオスで行方不明)旧日本陸軍大佐、元国会議員
後になって出版された外国人の著作には、旧日本軍の参謀(辻政信)による犯行の可能性を示唆する記述もあるようです。しかし、辻政信の著した『 潜行三千里 』によると、崩御事件当時の彼は、既にタイを脱出して中国で活動していたことになっていますので・・・犯行に関与することはかなり難しいような気がします。
タイ国には、今も王室に対する不敬罪があり、外国人と言えども処罰の対象になりますので、この問題にこれ以上触れることは止めて置きましょう。
ラーマ8世王の跡を継承されたのが、スイスで共に勉学に励まれていた実弟の現国王・ラーマ9世(プミポン国王)でした。
二人の国王の父君は、ラーマ5世の第69番目の子供のソンクラー・ナカリン親王です。米国のハーバード大学で医学を学んだ後に、バンコク・トンブリ地区にあるシリラート医学校で医学と厚生学の研究に尽力された方です。

ラーマ8世橋で開催される長尾船の漕艇レース
現在、ラーマ8世橋の袂には広場があり、灯籠流し(ローイグラトーン)や長尾船(ルア・ハーン・ヤーオ)の漕艇レースなどが催されるときは、憩いを求めて集まるバンコクっ子で賑わいます。
大都会の中で行われる漕艇レースですが、出場チームの殆どは地方選抜なので、田舎の匂いがプンプンする楽しいレースです。バンコクに住んでいる人と言っても、東京もそうだと思いますが、その殆ど地方の出身者で占められているわけですから、方言の飛び交う賑やかなお祭りになります。
『 ふるさとの 訛りなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 』 石川啄木

ラ-マ8世橋と在りし日のラーマ8世(在位:1935-1946年)
ラーマ8世(アーナンタマヒドン国王)は、僅か10歳で即位されました。しかし、幼少のために摂政が置かれ、アーナンタマヒドン国王は、スイスで勉学に勤しまれていました。
ところが、成年に達して帰国された翌年(西暦1946年)に、ボーロマピマーン宮殿の寝室内で、国王の眉間を銃弾が貫通、即死状態で発見されるという悲しい事件が発生します。

アーナンタマヒドン国王が崩御されたボーロマピマーン宮殿
ボーロマピマーン宮殿は、ラーマ5世が建設した宮殿ですが、ラーマ6世、ラーマ7世、そして、ラーマ8世までの3人の国王が住まわれた宮殿です。今も一般客に開放されていないと聞きました。
当時の内閣が設置したラーマ8世崩御事件調査委員会は、調査結果から『他殺説』を採用。警察は侍従3人を殺害容疑で逮捕、3人の侍従は容疑を否認したようですが、最高裁判所は3人に死刑判決を下し、彼等は4ケ月後に死刑を執行されています。
第一発見者のチット侍従(死刑)の証言は次のような内容だったようです。
『 午前9時20分頃、チット、ブット両侍従が国王寝室前に控えていたときに、中から銃声が聞こえた。チット侍従が寝室内に入ると、ラーマ8世がベッドの上で頭から血を流していた。傍らには自動拳銃(M1911A1)が落ちていた 』
アーナンタマヒドン国王がスイスで勉学に励んでおられる時に摂政を勤め、後に首相まで上り詰めたプリーディー氏(立憲革命の主宰者)も関与を疑われた一人でした。しかし、崩御事件後のクーデターで国外亡命していたために訴追されることはありませんでした。

左:プリーディー元タイ首相(1900年生-1983年歿)立憲君主革命の主宰者・タマサート大学創始者
右:辻政信(1902年10月11日生-1961年ラオスで行方不明)旧日本陸軍大佐、元国会議員
後になって出版された外国人の著作には、旧日本軍の参謀(辻政信)による犯行の可能性を示唆する記述もあるようです。しかし、辻政信の著した『 潜行三千里 』によると、崩御事件当時の彼は、既にタイを脱出して中国で活動していたことになっていますので・・・犯行に関与することはかなり難しいような気がします。
タイ国には、今も王室に対する不敬罪があり、外国人と言えども処罰の対象になりますので、この問題にこれ以上触れることは止めて置きましょう。
ラーマ8世王の跡を継承されたのが、スイスで共に勉学に励まれていた実弟の現国王・ラーマ9世(プミポン国王)でした。
二人の国王の父君は、ラーマ5世の第69番目の子供のソンクラー・ナカリン親王です。米国のハーバード大学で医学を学んだ後に、バンコク・トンブリ地区にあるシリラート医学校で医学と厚生学の研究に尽力された方です。

ラーマ8世橋で開催される長尾船の漕艇レース
現在、ラーマ8世橋の袂には広場があり、灯籠流し(ローイグラトーン)や長尾船(ルア・ハーン・ヤーオ)の漕艇レースなどが催されるときは、憩いを求めて集まるバンコクっ子で賑わいます。
大都会の中で行われる漕艇レースですが、出場チームの殆どは地方選抜なので、田舎の匂いがプンプンする楽しいレースです。バンコクに住んでいる人と言っても、東京もそうだと思いますが、その殆ど地方の出身者で占められているわけですから、方言の飛び交う賑やかなお祭りになります。
『 ふるさとの 訛りなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 』 石川啄木