タイ国の王様と国民の90%以上はタイ上座部仏教の信徒ですが、ヒンドゥー教、シーク教、イスラム教、キリスト教もタイ国の憲法によって守護されています。タイは世界に冠たる仏教国ですが、他宗教も含めて信仰の自由は完全に認められています。

バンコク・スィーロム通りの裏手にあったイスラム教の Masjid Mirasuddeen モスク
本日の話題は、バンコクのスィーロム通りにある極彩色のヒンドゥー教寺院『 ワット・プラ・スィー・マハー・ウマー・テウィー(通称:ケーク寺院) 』です。(下写真)

バンコク・スイーロム通りのプラ・スィー・マハー・ウマー・テウィーケーク寺院(通称:ケーク寺院)の正門
この寺院の説明板によると、タイに住んでいるタミール系のヒンドゥー教徒によって、およそ
160年以上も前に建てられた寺院とありました。

インド寺院の門塀に翻るタイ国旗、タイ王旗、インド国旗
ケーク寺院の境内には、黄金色の仏陀らしき像(?)が安置されていたり、仏陀に献じるのと同じ様な花輪(プアン・マーライ)が供えられていたりします。参詣する人々の顔ぶれにインド系の人が多いのは当然としても、タイ族タイ人や中国系タイ人の顔も少なくありません。
聞くところによると、この寺院に詣でるタイ族や中国系タイ人のお目当ては、勝利を導く神とされる『 シヴァ神の妃 』が境内に祀られているからだとか。
敬虔な仏教徒が多いと言われるタイですが、現世や来世に御利益をもたらすのであれば、それが仏像であろうが、ヒンドゥー教やバラモン教の神像であろうが、そんなことはどうでもよいことであって、気にすべきことではないのかも知れませんね。
タイの上座部仏教(南伝仏教)は、日本の大乗仏教(北伝仏教)と異なる点が多々あります。例えば、タイ仏教は、バラモン教の『 儀礼、法、占星術、神話 』の要素を、上座部仏教の権威を損なわない程度に、巧みに取り入れている点などが上げられます。
日本では、会社の創立記念日や、新店舗を祝う式典で祝詞(のりと)をあげるのは神社の神主や神官ですが、タイでは、バラモン教的な祝詞(のりと)をあげたり、バラモン教的な御呪い(おまじない)をする役割は、仏教寺院の僧侶が行うことになっています。
と言うことから想像すると、タイに住むインド人の社会的信頼度は高いかのように思えるのですが、どうも実態はそうでもないようです。タイの庶民は、『 インド人とコブラに出会ったら、先にインド人を殺す 』 と言うほどにインド人を怖がります。更に、インド人がタイ文化に同化しないので、正しく『 インド人 』と呼ばずに、『 客人 ( コン・ケーク ) 』 と呼んで慇懃無礼に扱います。
信仰が違うというだけで、憎しみ合ったり、殺しあったりするのが当たり前の殺伐とした昨今ですが・・・バンコクのインド寺院境内で見かける信仰の世界では、人種の垣根もなく、インド人もタイ人も仲良く一緒に参詣していました。信仰の世界で平和が保てるのであれば、これに優るものはなく、何よりのことだと思います。

バンコク・スィーロム通りの裏手にあったイスラム教の Masjid Mirasuddeen モスク
本日の話題は、バンコクのスィーロム通りにある極彩色のヒンドゥー教寺院『 ワット・プラ・スィー・マハー・ウマー・テウィー(通称:ケーク寺院) 』です。(下写真)

バンコク・スイーロム通りのプラ・スィー・マハー・ウマー・テウィーケーク寺院(通称:ケーク寺院)の正門
この寺院の説明板によると、タイに住んでいるタミール系のヒンドゥー教徒によって、およそ
160年以上も前に建てられた寺院とありました。


インド寺院の門塀に翻るタイ国旗、タイ王旗、インド国旗
ケーク寺院の境内には、黄金色の仏陀らしき像(?)が安置されていたり、仏陀に献じるのと同じ様な花輪(プアン・マーライ)が供えられていたりします。参詣する人々の顔ぶれにインド系の人が多いのは当然としても、タイ族タイ人や中国系タイ人の顔も少なくありません。
聞くところによると、この寺院に詣でるタイ族や中国系タイ人のお目当ては、勝利を導く神とされる『 シヴァ神の妃 』が境内に祀られているからだとか。
敬虔な仏教徒が多いと言われるタイですが、現世や来世に御利益をもたらすのであれば、それが仏像であろうが、ヒンドゥー教やバラモン教の神像であろうが、そんなことはどうでもよいことであって、気にすべきことではないのかも知れませんね。
タイの上座部仏教(南伝仏教)は、日本の大乗仏教(北伝仏教)と異なる点が多々あります。例えば、タイ仏教は、バラモン教の『 儀礼、法、占星術、神話 』の要素を、上座部仏教の権威を損なわない程度に、巧みに取り入れている点などが上げられます。
日本では、会社の創立記念日や、新店舗を祝う式典で祝詞(のりと)をあげるのは神社の神主や神官ですが、タイでは、バラモン教的な祝詞(のりと)をあげたり、バラモン教的な御呪い(おまじない)をする役割は、仏教寺院の僧侶が行うことになっています。
と言うことから想像すると、タイに住むインド人の社会的信頼度は高いかのように思えるのですが、どうも実態はそうでもないようです。タイの庶民は、『 インド人とコブラに出会ったら、先にインド人を殺す 』 と言うほどにインド人を怖がります。更に、インド人がタイ文化に同化しないので、正しく『 インド人 』と呼ばずに、『 客人 ( コン・ケーク ) 』 と呼んで慇懃無礼に扱います。
信仰が違うというだけで、憎しみ合ったり、殺しあったりするのが当たり前の殺伐とした昨今ですが・・・バンコクのインド寺院境内で見かける信仰の世界では、人種の垣根もなく、インド人もタイ人も仲良く一緒に参詣していました。信仰の世界で平和が保てるのであれば、これに優るものはなく、何よりのことだと思います。