只今イタリア旅行中です。予定では、昨夜の夜遅くナポリを発ってローマーに到着。今日はヴァチカン美術館を心行くまで楽しんでいるかと思います。
旅行期間中は、タイの写真を予約投稿していますが、本日はアユタヤ-の隣県のロッブリーに在るカソリック教会遺跡の紹介です。
ロッブリーを散策した時に、二つのカソリック教会遺跡を見ることが出来ました。一つは、人家の裏に残っていた教会遺跡、もう一つは、アユタヤ王朝の高官の公邸遺跡内に残る教会遺跡です。
先ずは、イエズス会系の聖パウロ教会の遺跡です。この教会遺跡を捜し当てるのは一苦労でした。教会遺跡が在るらしい場所は何となく見当がついていたのですが、その場所に到達する道が見付からないのです。
最初にトライした細い道は、人家の土塀の向こうに教会遺跡と思われる尖塔が見えるのですが、草叢に覆われた土塀が道を遮っていて前に進むことが出来ません。
しからばと反対側の方向へと回ってから再トライを掛けたのですが・・・これまたどうしても入り口が見つかりません。万策尽きて、鄙びた人家に立ち寄って訊ねると、近隣の小工場の裏手の駐車場の奥にそれらしき遺跡があると言います。

建物の最頂部に正座を見る八角形の展望台があったというイエズス会系の聖パウロ教会の遺跡
漸くの思いで入り口らしき細道を見つけて進むと、家内工業を営む人家の駐車場から一段下がった窪地に教会らしき遺跡がポツンと残っていました。
教会遺跡の傍の説明板を見ると、フランス建築様式とタイ建築様式を折衷して作られた建物の最頂部に、星座を見るための八角形の展望台があったと記されています。
人家の裏のそれも駐車場裏の窪地に17世紀の教会遺跡があるなんて!? 雨季になれば、此の窪地は溜め池になってしまい、遺跡の土台は水没してしまうに違いありません。日本的感覚では及びもつかない立地条件と言わざるを得ません。
日本の常識はタイの非常識、タイの常識は日本の非常識、なんておこがましい事を言うつもりはありません。21世紀の庶民の生活と隣り合わせに、17世紀の世界的な遺跡が存在する、これがタイらしいところなのですから・・・
もう一つは、ナラーイ王の外務大臣を務めたギリシャ人とキリスト教徒の日系女性の夫婦が住んでいたロッブリーの公邸内の教会遺跡です。この公邸遺跡は、彼女の御主人の官爵名を採ってチャオプラヤー・ウイチャイエンの家と呼ばれています。

敬虔なキリスト教徒だった日系女性と彼女の御主人だったアユタヤー王朝の外務大臣が住んでいた公邸
この教会の礼拝堂の壁には、敬虔なキリスト教徒だった日系女性の強い希望によって、アユタヤーの日本人村に在住していた日本人画家による見事な宗教画が描かれていたそうですが・・・今は崩れかけた煉瓦壁と煉瓦の基礎しか残っていません。
(注)この日系女性とは、アユタヤーの聖ジョセフ教会のブログで御紹介したギョウマー夫人のことです。

日本人画家の描いた見事な宗教画が壁一面に描かれていたと伝わる公邸内の教会
ギョウマー夫人を描かれた羽田令子さんの小説『 王城はいま・・・ 』の中から、公邸内の教会が完成した時のギョウマー夫人の心情を抜き書きしてみましょう。
いつか、小さな小屋でもよいから建てて、部屋に十字架をまつり、マリア様の絵を掲げ、子供達や女性達に、宗教や教育の施しをしたいと思っていた・・・夢がこんなに大きく実現するなんて・・・
ロブリーを訪れた日本人は、ナラーイ宮殿遺跡と猿に占領されたプラ・プラーン・サムヨート遺跡寺院を訪れることはあっても、歩いて数分の場所にある日系女性が住んだチャオプラヤー・ウイチャイエンの家まで足を運ぶ人は滅多にいないと聞きました。
とても残念に思います。
旅行期間中は、タイの写真を予約投稿していますが、本日はアユタヤ-の隣県のロッブリーに在るカソリック教会遺跡の紹介です。
ロッブリーを散策した時に、二つのカソリック教会遺跡を見ることが出来ました。一つは、人家の裏に残っていた教会遺跡、もう一つは、アユタヤ王朝の高官の公邸遺跡内に残る教会遺跡です。
先ずは、イエズス会系の聖パウロ教会の遺跡です。この教会遺跡を捜し当てるのは一苦労でした。教会遺跡が在るらしい場所は何となく見当がついていたのですが、その場所に到達する道が見付からないのです。
最初にトライした細い道は、人家の土塀の向こうに教会遺跡と思われる尖塔が見えるのですが、草叢に覆われた土塀が道を遮っていて前に進むことが出来ません。
しからばと反対側の方向へと回ってから再トライを掛けたのですが・・・これまたどうしても入り口が見つかりません。万策尽きて、鄙びた人家に立ち寄って訊ねると、近隣の小工場の裏手の駐車場の奥にそれらしき遺跡があると言います。


建物の最頂部に正座を見る八角形の展望台があったというイエズス会系の聖パウロ教会の遺跡
漸くの思いで入り口らしき細道を見つけて進むと、家内工業を営む人家の駐車場から一段下がった窪地に教会らしき遺跡がポツンと残っていました。
教会遺跡の傍の説明板を見ると、フランス建築様式とタイ建築様式を折衷して作られた建物の最頂部に、星座を見るための八角形の展望台があったと記されています。
人家の裏のそれも駐車場裏の窪地に17世紀の教会遺跡があるなんて!? 雨季になれば、此の窪地は溜め池になってしまい、遺跡の土台は水没してしまうに違いありません。日本的感覚では及びもつかない立地条件と言わざるを得ません。
日本の常識はタイの非常識、タイの常識は日本の非常識、なんておこがましい事を言うつもりはありません。21世紀の庶民の生活と隣り合わせに、17世紀の世界的な遺跡が存在する、これがタイらしいところなのですから・・・
もう一つは、ナラーイ王の外務大臣を務めたギリシャ人とキリスト教徒の日系女性の夫婦が住んでいたロッブリーの公邸内の教会遺跡です。この公邸遺跡は、彼女の御主人の官爵名を採ってチャオプラヤー・ウイチャイエンの家と呼ばれています。

敬虔なキリスト教徒だった日系女性と彼女の御主人だったアユタヤー王朝の外務大臣が住んでいた公邸
この教会の礼拝堂の壁には、敬虔なキリスト教徒だった日系女性の強い希望によって、アユタヤーの日本人村に在住していた日本人画家による見事な宗教画が描かれていたそうですが・・・今は崩れかけた煉瓦壁と煉瓦の基礎しか残っていません。
(注)この日系女性とは、アユタヤーの聖ジョセフ教会のブログで御紹介したギョウマー夫人のことです。


日本人画家の描いた見事な宗教画が壁一面に描かれていたと伝わる公邸内の教会
ギョウマー夫人を描かれた羽田令子さんの小説『 王城はいま・・・ 』の中から、公邸内の教会が完成した時のギョウマー夫人の心情を抜き書きしてみましょう。
いつか、小さな小屋でもよいから建てて、部屋に十字架をまつり、マリア様の絵を掲げ、子供達や女性達に、宗教や教育の施しをしたいと思っていた・・・夢がこんなに大きく実現するなんて・・・
ロブリーを訪れた日本人は、ナラーイ宮殿遺跡と猿に占領されたプラ・プラーン・サムヨート遺跡寺院を訪れることはあっても、歩いて数分の場所にある日系女性が住んだチャオプラヤー・ウイチャイエンの家まで足を運ぶ人は滅多にいないと聞きました。
とても残念に思います。