只今イタリア旅行中です。予定通りであれば、今頃はFILENZEだろうと思います。いよいよ楽しみにしていた 『 WFFIZ 美術館 』 で ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ビンチ、ポッティ・チェルリーの世界に浸ることができそうです。
イタリア旅行期間中は、タイの写真を予約投稿していますが、本日は、ジャオプラヤー川の
トンブリ河岸に残るウィチャイ・プラ・シット要塞です。
ウィチャイ・プラ・シット要塞の在る場所は、タイの首都のクルンテープ・マハーナコンの別名であるバンコクの由来となったバーン・マ・ゴーク บานมะกอก と呼ばれる村があった場所として知られています。

ウィチャイ・プラ・シット要塞(タイ海軍の本部内にあります)
バーン・マ・ゴークの地名の由来は、ジャオプラヤー川から水を取り込んだ水辺にマ・ゴーク มะกอก と呼ばれるアムラタマゴノ木を植えた果樹園が多くあったからだそうです。やがて、時間の経過とともに、バーン・ゴーク บานกอก と呼ばれるようになり、さらに、欧州訛りが入って BANGKOK となったようです。
外国人は、タイの首都名を BANGKOK と呼びますが、タイ人は、マ・ゴーク มะกอก の木の他には何も無かった湿地帯の呼称を首都名として呼ぶ気持ちはさらさら無く、昔から今に至るまで、正式名の『 クルンテープ・マハーナコン กรุุงเทพมหานคร 』と呼び続けています。

入港する外国船を見張るウィチャイ・プラ・シット要塞
バーン・マ・ゴーク 村の北方130kmの上流にあったアユタヤー王朝を目指す外国の大型帆船は、この地で最初の入国審査を受けた後、アユタヤー中洲の南10kmのバーン・サイ要塞を経由してアユタヤー中洲の南端に位置する、最終目的地のペット要塞を目指したのです。
風力と艪櫂に頼るしかない大型帆船が、水量が豊富で流れのある河川を130kmも遡行するのですから、高度な帆走技術が要求されたに違いありません。日本の朱印船は、舳先の構造を改造して櫓棚を設け、数人の船子(船員)が長い櫓櫂を手で押し漕ぎながら遡上して行ったと言われています。
イタリア旅行期間中は、タイの写真を予約投稿していますが、本日は、ジャオプラヤー川の
トンブリ河岸に残るウィチャイ・プラ・シット要塞です。
ウィチャイ・プラ・シット要塞の在る場所は、タイの首都のクルンテープ・マハーナコンの別名であるバンコクの由来となったバーン・マ・ゴーク บานมะกอก と呼ばれる村があった場所として知られています。

ウィチャイ・プラ・シット要塞(タイ海軍の本部内にあります)
バーン・マ・ゴークの地名の由来は、ジャオプラヤー川から水を取り込んだ水辺にマ・ゴーク มะกอก と呼ばれるアムラタマゴノ木を植えた果樹園が多くあったからだそうです。やがて、時間の経過とともに、バーン・ゴーク บานกอก と呼ばれるようになり、さらに、欧州訛りが入って BANGKOK となったようです。
外国人は、タイの首都名を BANGKOK と呼びますが、タイ人は、マ・ゴーク มะกอก の木の他には何も無かった湿地帯の呼称を首都名として呼ぶ気持ちはさらさら無く、昔から今に至るまで、正式名の『 クルンテープ・マハーナコン กรุุงเทพมหานคร 』と呼び続けています。

入港する外国船を見張るウィチャイ・プラ・シット要塞
バーン・マ・ゴーク 村の北方130kmの上流にあったアユタヤー王朝を目指す外国の大型帆船は、この地で最初の入国審査を受けた後、アユタヤー中洲の南10kmのバーン・サイ要塞を経由してアユタヤー中洲の南端に位置する、最終目的地のペット要塞を目指したのです。
風力と艪櫂に頼るしかない大型帆船が、水量が豊富で流れのある河川を130kmも遡行するのですから、高度な帆走技術が要求されたに違いありません。日本の朱印船は、舳先の構造を改造して櫓棚を設け、数人の船子(船員)が長い櫓櫂を手で押し漕ぎながら遡上して行ったと言われています。