スコータイ王朝の城壁内遺跡を見学してから西門を抜け、城壁外の北西へ2kmばかり車を走らせると、緑の潅木に覆われた小高い丘が見えてきました。麓にあった粗末な木造の警官詰め所を覗いても誰1人いません。

すると、丘の上に通じているらしい細い石坂道から、甲高い声を上げながら数人の子供が駆け足で下りて来ました。

僕 『 サパーン・ヒン寺院は何処にあるの?
娘 『 この石道を登ると頂上にあるよ


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細い石坂道を軽快に駆け下りて来た小学生の娘さん

高さ200mの丘の頂きにあるサパーン・ヒン寺院に通じている坂道は、何処にでもあるような石段ではなく、丘の斜面に土石を1mばかり盛った上に平板な石を敷き詰めた石の坂道になっています。(上写真)

サパーン・ヒン寺院 วัดสะพานหิน のタイ語の意味合いは、『 石橋の寺院 』 ですが、この石の坂道がまるで 『 石橋 』 のように見えることから名付けられたのでしょうね。

石段ならば少しは上り易いのでしょうが、平板な石を並べた坂道なので足元が滑りやすく、上ると言うよりは登るという感覚に近いような 『 石橋 』 でした。


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サパーン・ヒン寺院 วัดสะพานหิน の釈迦牟尼の立像

青息吐息でなんとか登りきって仰ぎ見ると、御堂内の煉瓦の厚壁の前で、右手を上げて掌を正面に向けた施無畏印の印相で説法する釈迦牟尼の立像(高さ 12.5m)が東の方向を見つめておられました。(上写真)

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スコータイの地を見晴るかすことができる高さ 200m の丘

インド南部からスリランカを経てタイに伝来した上座部仏教(南伝仏教)を篤く信仰したスコータイ王朝のラームカムヘーン大王は、、仏教の祭日ともなれば、スコータイの中心地から
2km以上も離れた丘の上のサパーン・ヒン寺院 วัดสะพานหิน へ像に乗って訪れたとか。

現在は潅木が茂って視界が閉ざされていますが、ラームカムヘーン大王が参詣した13世紀当時は、きっと360度の視界を望むことが出来たに違いありません。(上写真) 


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ワット・マンゴン วัดมังกร の壊れた仏塔

サパーン・ヒン寺院の南南東の方向に進むと、道路を遮るかのようにして、マンゴン寺院の上部構造を失ったスリランカ様式のベル型仏塔が見えてきました。(上写真)

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ワット・マンゴン วัดมังกร 

ワット・マンゴン วัดมังกร のタイ語の意味は 『 竜の寺院 』 ですが、遺跡の何処にも竜らしき彫像物は見当たりません。その昔、仏塔の基壇を支える象が配置されていたらしいのですが、それらしき姿も見当たりません。

但し、寺院境内に幾つかの結界石(セーマ)が残っているので、ラテライトと煉瓦の構築物を遺すだけの此の建物は、礼拝堂ではなく、本堂(布薩堂)であったことが分かります。
(上写真)


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第6代目のリタイ王によって建立されてホー・テワライ หอเทวาลัย 

此の建物のタイ語の名前は、ホー・テワライ หอเทวาลัย です。『 神の高楼 』 を意味する言葉からすると、仏教寺院ではなく、ヒンドゥー教寺院だろうと思われます。

バンコクに戻ってから分かったことですが、煉瓦を積み重ねた強大な四角形の柱を残す此の遺跡からヒンドゥー教のブロンズ製の神像4体が発見され、現在はバンコク国立博物館で保管されていると聞きました。(上写真)



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上写真:見過ごしてしまいそうな小さな遺跡のパーサック仏教寺院です。

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上写真:遠目には小さな凱旋門に見えたトゥック仏教寺院 วัดตึก です。

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小円柱と巨大四角柱が残るスィ・トーン仏教寺院 วัดศรีโทน はどんな外観だったのでしょうか?


城壁外の西地域は、寺院名を書いた表札はあるもの、過去の経緯を記述した説明板も無い寺院遺跡、雑草に蔽い尽くされて見過ごしてしまいそうな寺院遺跡などが多く点在する寂しい地域でした。

人に出会ったのは、最初に訪れたサパーン・ヒン寺院で会った子供だけで、それ以後は誰とも行き会うことはありませんでした。