スコータイ王朝の要塞都市・スィーサッチャナーライ遺跡の見学を終えた翌日は、スコータイ・ムアン・ガオ(古き町)の見学です。

宿泊先のホテルを出て入場券の販売所があるムアン・ガオの東門に車で向かったつもりだったのですが・・・何処で道を間違えたのか、到着してみればムアン・ガオの北側のようです。

近くにあったタイ語の標識を見ると ประตูศาลหลวง 、つまり、王宮の守護神を祀る祠堂がある門と言ったような意味が書かれています。

途方にくれて、交通量の多い道路端に車を停めて道路を彷徨っていると、道路の直ぐ脇に鎮座ましましている釈迦牟尼の坐像仏が目に留まりました。(下写真)


タイに魅せられてロングステイ

説明看板を読むと、メージョーン寺院 วัดแม่โจน (上写真)とありますが、寺院遺跡は崩壊して全く残っておらず、スコータイ時代特有の表情を浮かべて降魔印を結ぶ釈迦牟尼仏が鎮座ましましているだけです。

車を停めて見学する観光客は一人もおらず、それほど有名な寺院ではなさそうですが、入場券販売所のある東門に回るのも面倒なので、先ずは、城外の北地域の遺跡から見て回ることにしました。


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プラパーイ・ルアン寺院 วัดพระพายหลวง (上写真)です。
此の地域がクメール帝国によって統治されていた12世紀末に、クメール帝国の威光を示す
3基のトウモロコシ型仏塔を備えたワット・プラパーイ・ルアンが中心的寺院として建立されたようですが、今は僅かに一基のクメール様式の塔が残っているだけです。

その後、クメール帝国に反旗を翻したタイ人によって、最初のタイ人国家となるスコータイ王朝が創建(13世紀)されたことは、前回ブログで既に触れましたので此処では割愛します。

スコータイ王朝時代の 14世紀 に新たに建立された仏殿や本堂(礼拝堂?)には、釈迦牟尼仏の坐像や立像、そして、スコータイ時代に考案された遊行仏などが安置されましたが・・・今は崩れ落ちてしまった仏像の一部が僅かに形を留めているだけです。(上の写真)


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スィー・チュム寺院 วัดศรีชุม の降魔印を結ぶ釈迦牟尼仏です。(上写真)
タイ文字を最初に考案したスコータイ王朝3代目のラームカムヘーン大王が建立(1292年)したとされる高さ 15m の釈迦牟尼の坐像仏です。タイの仏像の殆どは釈迦牟尼仏ですが、最も多い印相は、降魔印を結んだ仏像だと聞いています。

外国人からみれば、釈迦牟尼の巨大な仏像遺跡ですが、熱心な上座部仏教徒のタイ人にとっては、 『 アチャナ仏 พระอจนะ  』 ( 恐れなき仏像 ) として、今もなお高い信仰を集めているバリバリの現役の仏像なのです。