タイ北部の世界遺産・スコータイ王朝遺跡は、バンコクの北方 440km の地点にあり 、現スコータイ市から 12km 離れた旧市街(ムアン・ガオ)の歴史公園の中にあります。
僕のスコータイ旅行は今回で3回目となります。実は、三度目のスコータイ旅行は、今年の
7月10日だったのですが、ブログに掲載するのが随分と遅くなってしまいました。
≪三回に渡るスコータイ旅行のそれぞれの目的≫
一回目の旅行目的:2003年11月 ローイ・グラトーン祭りの見学
二回目の旅行目的:2004年 4月 日本の友人と城内遺跡に案内
三回目の旅行目的:2006年 6月 連れ合いと城内・城外遺跡を気儘に巡回
第三回目のスコータイ旅行の話に入る前に、かなり古新聞ですが、一回目の旅行で撮影したスコータイ名物の 『 ローイ・グラトーン 』 の写真を添付しましょう。

ローイ・グラトーン祭りが始まる直前のワット・マハータートの夕焼け (翌年の年賀状に使用した写真)
一回目の旅は、中国の北京で定年退職をしてタイに移り住んだ初年度の1人旅だったこともあって、スコータイで観賞した 『 ローイ・グラトーン祭り 』 は、とても印象深いものになりました。
特に、夜の野外遺跡を背景にして演じられるスコータイ王朝のラムカムヘン大王を讃える古典歌劇は、豪華な照明と音楽が醸しだすスペクタクルと相まって、僕の脳裏に強烈に焼きつきました。
タイに移り住んで間もない僕は、タイ語のタの字も知らない侭に一人旅に出て心細いこと此の上もなかったのですが、タイの歴史文化の一端に触れた喜びで、大いに満ちたりた気分になったことを覚えています。
バンコクの自宅に戻ってからも、スコータイで観賞した古典歌劇の感動が忘れられなくて、自宅の居間から見える都会のシルエットの背景の中に、スコータイ歌劇の踊りのシーンを嵌めこんだ写真を制作して机上に飾ったりしたものでした。(下写真)

スコータイ王朝で特筆されるべきは、タイ人によって歴史上最初に創建(1240年?)されたタイ人国家であったと位置づけられていることだと思います。
13世紀後半のスコータイ地域は、カンボジアのアンコール王朝の支配下にあって、クメール人の太守がスコータイのタイ人を直接統治していました。しかし、クメール人大守の配下であった2人のタイ人士候が、アンコール王朝に反旗を翻してクメール人勢力を駆逐。そのタイ人の手によって創建されたのがスコータイ王朝という訳です。
スコ-タイ王朝の第三代目の王として有名なラームカムヘーン大王(在位:1270?-1279年)の碑文に、『 スコータイは美しき国ぞ、水に魚住み、田に稲穂実る 』 と詠われていますが、当時のスコータイ ( 意味:幸福の夜明け ) は、その名に相応しく、美しくて幸せな王朝だったのかもしれませんね・・・異説もありますが・・・
しかし、スコータイ王朝の歴史は意外に短く、建国して91年後には、その後に台頭したアユッタヤ王朝の属国となり、更に60年後にはアユッタヤ王朝に吸収されて消滅(1438年)してしまいます。
日本の江戸時代の茶人が好んで愛用したと伝わるスワンカ・ローク焼きもスコータイ王朝時代の産物です。スワカ・ローク焼き特有の魚のデザインが描かれた陶磁器を抹茶用の茶器として2セット (400バーツ:1200円) 買い求めました。最初は中国の景徳鎮に似ていると思ったのですが、よくよく見れば、青色は少し薄いし、品質も少し劣るような・・・気がします。
三回目のスコータイ訪問となる今回は、スコータイ王朝遺跡の中心となる城内に加えて、城外全地域に点在する寺院遺跡を、自分で運転しながら巡ることにしました。(下記御参照)
= ① 城壁外の北側遺跡 =
僕がスコータイを訪れた時に最初にアプローチした地域
= ② 城壁内の中心遺跡 =
東西1800km、南北1200km の敷地に整備された有名な遺跡が集まっている観光の中心地ですが、あまりにも公園化され過ぎていて、個人的にはあまり好きになれません。
城壁内の中心遺跡・マハータート寺院の夜景
= ③ 城壁外の西側遺跡 =
樹林に蔽われた遺跡が点在する地域。女性の一人旅には注意が必要かも・・・
= ④ 城壁外の南側遺跡 =
のんびりと遺跡見学ができる緑の下草が多い地域
= ⑤ 城壁外の東側遺跡 =
旧市街の人家の裏手に点在する遺跡
前置きが長くなりましたが、次回は、僕がスコータイ王朝を訪れた時に最初にアプローチした『 ① 城壁外の北側遺跡 』 の写真から御覧戴きたいと思います。
僕のスコータイ旅行は今回で3回目となります。実は、三度目のスコータイ旅行は、今年の
7月10日だったのですが、ブログに掲載するのが随分と遅くなってしまいました。
≪三回に渡るスコータイ旅行のそれぞれの目的≫
一回目の旅行目的:2003年11月 ローイ・グラトーン祭りの見学
二回目の旅行目的:2004年 4月 日本の友人と城内遺跡に案内
三回目の旅行目的:2006年 6月 連れ合いと城内・城外遺跡を気儘に巡回
第三回目のスコータイ旅行の話に入る前に、かなり古新聞ですが、一回目の旅行で撮影したスコータイ名物の 『 ローイ・グラトーン 』 の写真を添付しましょう。

ローイ・グラトーン祭りが始まる直前のワット・マハータートの夕焼け (翌年の年賀状に使用した写真)
一回目の旅は、中国の北京で定年退職をしてタイに移り住んだ初年度の1人旅だったこともあって、スコータイで観賞した 『 ローイ・グラトーン祭り 』 は、とても印象深いものになりました。
特に、夜の野外遺跡を背景にして演じられるスコータイ王朝のラムカムヘン大王を讃える古典歌劇は、豪華な照明と音楽が醸しだすスペクタクルと相まって、僕の脳裏に強烈に焼きつきました。
タイに移り住んで間もない僕は、タイ語のタの字も知らない侭に一人旅に出て心細いこと此の上もなかったのですが、タイの歴史文化の一端に触れた喜びで、大いに満ちたりた気分になったことを覚えています。
バンコクの自宅に戻ってからも、スコータイで観賞した古典歌劇の感動が忘れられなくて、自宅の居間から見える都会のシルエットの背景の中に、スコータイ歌劇の踊りのシーンを嵌めこんだ写真を制作して机上に飾ったりしたものでした。(下写真)

スコータイ王朝で特筆されるべきは、タイ人によって歴史上最初に創建(1240年?)されたタイ人国家であったと位置づけられていることだと思います。
13世紀後半のスコータイ地域は、カンボジアのアンコール王朝の支配下にあって、クメール人の太守がスコータイのタイ人を直接統治していました。しかし、クメール人大守の配下であった2人のタイ人士候が、アンコール王朝に反旗を翻してクメール人勢力を駆逐。そのタイ人の手によって創建されたのがスコータイ王朝という訳です。
スコ-タイ王朝の第三代目の王として有名なラームカムヘーン大王(在位:1270?-1279年)の碑文に、『 スコータイは美しき国ぞ、水に魚住み、田に稲穂実る 』 と詠われていますが、当時のスコータイ ( 意味:幸福の夜明け ) は、その名に相応しく、美しくて幸せな王朝だったのかもしれませんね・・・異説もありますが・・・
しかし、スコータイ王朝の歴史は意外に短く、建国して91年後には、その後に台頭したアユッタヤ王朝の属国となり、更に60年後にはアユッタヤ王朝に吸収されて消滅(1438年)してしまいます。
日本の江戸時代の茶人が好んで愛用したと伝わるスワンカ・ローク焼きもスコータイ王朝時代の産物です。スワカ・ローク焼き特有の魚のデザインが描かれた陶磁器を抹茶用の茶器として2セット (400バーツ:1200円) 買い求めました。最初は中国の景徳鎮に似ていると思ったのですが、よくよく見れば、青色は少し薄いし、品質も少し劣るような・・・気がします。
三回目のスコータイ訪問となる今回は、スコータイ王朝遺跡の中心となる城内に加えて、城外全地域に点在する寺院遺跡を、自分で運転しながら巡ることにしました。(下記御参照)
= ① 城壁外の北側遺跡 =
僕がスコータイを訪れた時に最初にアプローチした地域
= ② 城壁内の中心遺跡 =
東西1800km、南北1200km の敷地に整備された有名な遺跡が集まっている観光の中心地ですが、あまりにも公園化され過ぎていて、個人的にはあまり好きになれません。

= ③ 城壁外の西側遺跡 =
樹林に蔽われた遺跡が点在する地域。女性の一人旅には注意が必要かも・・・
= ④ 城壁外の南側遺跡 =
のんびりと遺跡見学ができる緑の下草が多い地域
= ⑤ 城壁外の東側遺跡 =
旧市街の人家の裏手に点在する遺跡
前置きが長くなりましたが、次回は、僕がスコータイ王朝を訪れた時に最初にアプローチした『 ① 城壁外の北側遺跡 』 の写真から御覧戴きたいと思います。