〜大人の女性 生き方革命〜
いつからでも遅くない。小さな挑戦が未来を変える。
今日、やっと隔離最終日を迎えます。
うれしい。
帰国してから2週間。
当たり前ではありますが、ほぼ外に出ず
家の中で過ごしました。
ほぼと書いたのは
庭に咲いていた紫陽花を部屋に行けるために
切りに行ったからです。
こんな隔離は、
コロナ禍で規制の厳しかった
香港での暮らしでも
過去を振り返っても
どこにも行かず
こんなにゆっくりと
家の中で過ごしたことはありませんでした。
先日、実家の窓から見た空に
入道雲が街の上にニョキニョキと
空に向かってどんと構えるように伸びていました〜。
下半分は場所がわかるかもしれないのでカット。笑
と言うことで
読書をしたり
勉強をしたり
時々、映画を観たりすることが
多かったここ2週間。
わたしの香港時代を知っている
友人・仕事仲間が見たら
信じられないでしょうね。笑
「よくじっとしていられたね。」
と褒めてくれるでしょう。
さて、この隔離期間中。
家の中にこもってて
家事も父一人しかいませんから
そんなに多くはありません。
と言うことで、
自分のために時間を使えているのですが
人生の中の「静」の時期と言うことを
意識していました。
「静」と言うのは
音がなかったり、動かなかったり
という消極的なイメージが
あるかもしれませんが
味方を変えれば
「静」は、その中でも動きがあるのです。
例えば、
高速道路を走る2台の車が
時速100kmで走っていても
その2台が並んで走っている場合、
運転手さんには
互いは静止しているように見えるかもしれませんね。
でも、少し離れたところから見る人には
ものすごい速さに見えるわけです。
一方では、このものすごく早く移り変わる世界の様子に
反応して、波に乗っていく人もいますが
「変わりゆく世界の様子」を落ち着いて観察し
適切な反応をする。
そんな「静観する」ことも
時には、あえて「静」を選択することで
「静」にいることが必要だと思うのです。
正直、帰国してから
やりたいこと、
したいことが多くありますが
実際には、まだ行動することができません。
なので、
わたし自身、
後者の「静」を意識して
ここ数日の過ごすことにしていました。
これは、これから新しい環境に
入っていくわたしには
とても貴重な時間になっているなと思います。
「静観する」
① 心静かに観察すること。
② あることがらが自分に関係するにもかかわらず、
それに手出しをせずにじっとしていること。
③ 対象の表面的な知覚にとどまらず、
その本質的なものまで心眼でみきわめること。
〜日本国語大辞典より〜
いつも「動」が多い方でしたら
1日の中で少しだけでも
「静」を意識することは
とても意味あることでしょう。
では

新しいことをしたら才能が目覚める!!!
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