326 母を見舞う | プレ介護アドバイザーはまじゅんのおしゃべりサロン

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「覚悟はしておきなさいね」

 

姉の楓からの電話を切った途端、健太の顔

から血の気が引くのを近くで見ていた鳥居は、

健太に話しかける。

 

「健太さん、大丈夫ですか。

何かあったんですか」

 

「おふくろが倒れて、救急搬送されたらしい」

 

「それは一大事じゃないですか。

すぐに帰る支度をしてください」

 

「いや、まだ状況が良く分からないんだ。

姉からの連絡を待ってから判断するよ。

今から行ったところで、すぐに会える

わけではないし」

 

健太は、自分自身に言い聞かせるように、

ゆっくりと言った。

 

「それじゃあ、健太さん、現場事務所に居て

ください。考え事をしながら動いていると、

重大事故になりかねませんから。

監督には、僕からそっと耳打ちしておきます」

 

鳥居の言う事は理にかなっている。

足場の悪い現場で他の事を考えながら動く

のは、危険極まりない。

健太は素直に現場事務所に入った。

 

時々入って来る職人さんたちに怪しまれない

ように、現場の図面を机に広げて、健太は

楓からの電話をじっと待つ。

 

10分、20分、30分、時間が経つのが

とてつもなく遅く感じた。

40分経ったとき、楓から電話が入った。

 

「健太、大丈夫よ。命に別状はないって。

輝きさんの発見が早かったのと、救急搬送の

タイミングが良かったから、救命救急

センターですぐに処置してもらえたのよ。

 

CTを見たドクターがね。後遺症が残る

可能性はありますが、大丈夫ですよって

言ってくださったの」

 

楓が一気に話す言葉を聞きながら、

健太はスマホを持つ手が震えた。

 

「姉ちゃん、命さえ助かれば良いよ。

後遺症ぐらい、どうってことないよ」

 

健太は、声を絞り出すように言った。

 

「そうよね、健太。お母さん、生きていて

くれるだけで良いわよね」

 

楓の声は涙ぐんでいた。

 

「入院は1週間ぐらいだそうよ。認知症も

あるから、リハビリはグループホームの方で

ゆっくりすれば良いんですって。

 

だから、健太。あなたは週末に帰って来た

時に、病院に行ってくれれば大丈夫よ」

 

「うん、分かった。

姉貴、色々世話をかけてすまない」

 

「何言ってるの。その為に私がそばに

来たんじゃない」

 

楓の言葉に健太は、姉の優しさを感じた。

 

その週の土曜日、健太は自宅に帰ると、午後

からみどりと一緒に、母親の君江の入院する

T病院に見舞いに行った。

 

救命救急センターを出てから、認知症の事も

あるので、楓は個室をお願いしていた。

 

健太とみどりが病室に入ると、楓が君江の

手を握りしめて、何か話かけていた。

 

「姉ちゃん、どんな様子だい?」

 

「健太、点滴を受けててね。時々目を覚ます

けど寝ている時の方が多いのよ。

 

お母さん、健太が来たわよ」

 

楓が君江を揺り動かすのを、健太は制止した。

 

「姉ちゃん、疲れただろう。みどりと一緒に

談話室で少し休憩しておいでよ」

 

「でも・・・」

 

と言いかけた楓に、みどりが目配せをした。

 

「そうね、それじゃあ、健太、お願いね。

みどりちゃん、コーヒーでも飲もうか」

 

楓とみどりは、病棟の中央にある談話室に

行った。みどりは、自販機でコーヒーを

二つ買うと、楓の前に置く。

 

「楓先輩、おばさん、大したことなくて

良かったですね」

 

「そうなの、私ね、輝きさんから電話が

あった時、気が動転してしまって、ちょうど

出勤前の哲也がいてくれたから、テキパキと

指示を出してくれてね。

判断が遅れてたら、ダメだったかもしれない」

 

コーヒーを飲みながら、楓はみどりに

脳血管性認知症の事を聞く。

主治医から、一気に認知症の症状が進む

可能性もあると言われたからだ。

 

「脳梗塞が出た場所の周囲の脳がダメージを

受けるので、その部分が司っている機能が

一気に低下する可能性はあります。

楓先輩、後遺症も出ているんですか?」

 

「右半身が不自由になっている様子なの」

 

「右マヒの場合は、左脳にダメージがあると

考えられます。左脳は、論理的思考や言語を

司るので、これからはうまく話せなくなる

かもしれませんね」

 

みどりは、介護職らしく冷静に話す。

 

「命があっただけでも、運が良かったと

思わないとね」

 

楓は、窓から見える冬の山々に視線を

移しながら言った。

 

健太は、病室で一人になると、母親のベッド

の横にひざまずいて、母親の手を両手で

包み込んだ。

 

「おふくろ、生きててくれてありがとう。

きっと、親父が守ってくれたんだよな」

 

以前よりずっと薄く冷たくなった母親の手を

握りしめながら、健太の頬に涙が伝う。

 

その涙が、君江の手に触れたのか、不意に

君江が目を開けてつぶやいた。

 

「健太、泣かなくても大丈夫だよ。

お母さんもお父さんもそばにいるからね」

 

健太が驚いて君江の顔をのぞき込むと、

君江はまた眠りに落ちていた。

 

健太は、手で涙をぬぐうと、透きとおる

ように白くなった母親の頬に、そっと唇を

押し当てた。

 

健太!  元気を出して!

 

TO BE CONTINUED・・