百人一首に登場する『蝉丸』は「坊主」ではなかった | 【大阪市 平野区】山岡建設社長の幸福共創物語~みずから明るい未来へ~

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創業大正15年、会社設立昭和30年。大阪市平野区で水道工事業をメインに土木、リフォームと事業を広げています。代表の山岡建設社長が、ジャズやロックなどの音楽の話や下手なゴルフの話とほんのすこし仕事話を通じて日々歩み続ける物語です。

お元氣様です。。。

そしてお久しぶりです。


仕事の都合で久々になりました。

今の若い人はご存じかどうかわかりませんが、中年以上の年配の方なら子供の頃によく遊んだのが、「坊主めくり」です。

百人一首のかるたでの遊びです。

登場するのは、姫と殿と坊主ですが当時の最上級の位の方ばかり。

その中の一人に「蝉丸」という人がいます。

百人一首では以下のような歌を残しています。

これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関

子供の頃、「坊主めくり」をする時、蝉丸は「坊主」扱いにされていました。

実は、蝉丸は坊主ではなかったのです。

蝉丸は平安時代前期の歌人で音楽家であることは分かっているみたいですが、人物像もよくわかっていないようです。

でもなぜ蝉丸は「坊主」扱いにされていたのだろう???

不思議ですね。


写真は拝借させていただきました。