明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

引き続き、マルタバン湾最深部のコインの紹介とサクっと言いたいところですが、今回紹介するものは説明が難しくどのように書けばより正確になるのか悩みながら書くことになりました。

 

8.82g/25mm, ref. Mitchiner SEA 615, Mahlo 68.2(現品), Htun 167, Krisadaolarn A608 var.

 

表:蓮華(padma cakra)

裏:スリバッサ(内部は空白又はアンクーシャ)、左上に三日月、右上4光條の太陽、左横単純化された卍(スワスティカ)、右横バドラピタ又はダマル、下に小さな卍と2(3)ドット。

材質:銀

 

発行地:タイ・ナコンパトム(Mitchiner)、不明、多分タトーン(Mahlo・ただし詳細説明では下記の様にチャイトーとPawbweとなっている。)、チャイトー及びPawbwe(Htun)、タイ(Krisadaolarn)。

発行時期:5世紀中頃(Mitchiner)、多分11世紀初め(Mahlo)、多分6-7世紀(Krisadaolarn)

 

著名な研究者・コレクター4名が全く異なる意見を持っており、どれが正しいのか分かりません。

 

一番最新(2012年)のMahloの詳細な記述では現存数4枚。チャイトー出土2枚、中部サモン谷Pawbwe出土が一枚、タイのナコンパトム出土1枚との説明です。Htunはミャンマーでは同様に3枚出土との説明。Krisadaolarnは、ほぼ同じ裏面のデザインを共有する別のコイン、表面がライオン、および法螺貝の2種、と合わせて、同一発行地と思われる3種のコインを2018年の最新の著書に掲載しており、バンコクに持ち込まれるコインは出土地が明確でないものが多いものの、タイでも出土している可能性は無いわけでは無いと思います。

 

以下はRonachai Krisadaolarnコレクションの写真:

出典:The Evolution of Thai Money from its Origins in Ancient Kingdoms, A608

(Copy right & courtesy of Mr. Ronachai Krisadaolarn)

 

一番左が今回紹介しているコインに近いものです。私が保有するものと、Mahloの2個体(一つは私が保有する個体)はスリバッサの中が空白ですが、Ronachaiの個体は中にアンクーシャが描かれている事と、スリバッサの上下左右の補助シンボルが左右逆の位置にあるところが異なります。中央及び右のコインも現存数はさらに少ないと思われますが、裏面のスリバッサ下部に卍があることが特徴的な一群の謎のコイン。現存数が少ない割には種類・バラエティーに富んでいるので、将来更に出土数が増えより発行地・時期が絞り込まれる可能性はあるでしょう。

 

裏面のスリバッサと上方の太陽と月、左右の卍とバドラピタ(又はダマル)の全体的な構図は、ピューのハリン等発行の旭日銀貨に、スリバッサ内部のアンクーシャの構図は、まだ紹介していませんが、ペグー発行の銀貨に、更にシリアム発行銀貨やすでに紹介したマルタバン湾で発行されたと思われるドバーラバティー銀貨とも似ているところはあります。従ってデザイン的にはミャンマー側に近いものだと思います。Pawbweとナコンパトム出土のものは交易で持ち込まれたものと考えれば、チャイトー付近が発行地としては一番可能性が高いと思います。

 

比較のために過去に紹介したもの含めて写真を並べてみます:


ピュー旭日銀貨

 

ペグー銀貨(近い将来詳しく紹介します。)

 

シリアム銀貨(近い将来詳しく紹介します。)

 

ドバーラバティー銀貨(マルタバン湾発行) これはスリバッサ内部にアンクーシャあるタイプ。

 

タイとミャンマー両方で出土するということは、ドバーラバティーがマルタバン湾を支配していた時期かもしれません。また、卍シンボルが単純化されていることと作りがしっかりしていることを勘案すると見た目感覚では5世紀以前ではないと思いますが、少なくとも、南詔のタトーン攻略の9世紀や、ドバーラバティ王国が歴史から消え去る10-11世紀以降ではないような気がします。

 

マルタバン湾岸で発行されたものがタイでも出土するという前提に立つと、両地域を結ぶ三仏塔峠経由の陸路での流通ということになりますが、7-8世紀の縦帆の発明や船舶の大型化等による航海技術の進歩により、インドからマレー半島への主要航路が陸地沿いのベンガル湾→アンダマン海沿岸航路から、インドから陸地を離れた沖合を直接突っ切ってマレー半島中部へ達するショートカット航路に変わってくるとともに、マレー半島到着後も風待ちの必要のない縦帆を用いたタッキングでマラッカ海峡を風向きと関係なく南・南東に向かう全行程海路の発達で、陸路への積み替えの必要があるマレー半島横断は重要性が減じてきたのではないかと思われます。(諸説あり。) 7世紀にインドと中国の間を海路で行き来した唐僧義浄は、ペルシャ船に乗ってこの直接航路を使っています。 更に、ピューの崩壊(9世紀)とドバーラバティー王国の滅亡(10-11世紀)に伴う銀交易ルートの変化で、海のシルクロードにおけるマルタバン湾地域と陸送距離が長い三仏塔峠ルートの重要性が相対的に低下したと思われ、この時期以降にミャンマーのマルタバン湾地域とタイのドバーラバティー地域にまたがった政体が存在し同じ銀貨が流通した可能性は少ないように思われます。

 

従って、発行時期はKrisadaolarnの言う6-7世紀頃に近い6-8世紀頃ではないかと現時点では個人的には考えています。今回はたった一枚のコインに字数を使い過ぎました。

 

訂正:

1.過去の記事で、Ankusaを日本語でアンクーサと表記していましたが、アンクーシャの誤りでした。英語ではelephant hook、日本語での正確な訳は不明です。

2.「マルタバン湾沿岸2」のライオンを襲う象のモチーフは、グプタ朝の金貨にはないと書きましたが、良く調べるとKumaragupta王(在位415-455年)の金貨に微妙に似ているものがありました。象に乗る王がライオンを狩っている構図です。同王の別の金貨にライオンはいませんが象に乗る王のもの(クシャン朝のフビシュカ王のコインの影響と考えられるモチーフ)もあり、その裏面はガンガーではなく蓮に乗るラクシミーですが、紹介した金貨の裏面のモチーフに似ています。したがって、グプタ朝の影響を受けた銀貨ということも言えると思います。グプタ朝の貨幣はクシャン朝の影響を、クシャン朝の貨幣はバクトリアの影響を、バクトリア王国はアレクサンダーの東征を源流とするので、地中海からマルタバン湾(対等に並べるのはちょっと変ですが)まで時代が下りながらコインが綿々とつながっている形になります。

 

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