組織とはしばらく無縁だった私が、

ここ3年で会社の役員となり企業の組織論というものに触れるようになった。

 

そして現代の日本で組織を作っていく上で大事なことは「納得感」だと感じるようになった。

 

日本という国は組織づくりのベースに「軍隊式」の考え方があり、

特に昭和まではそれが如実で、全員同じ制服を着て、規律通り動く

というのが当たり前であった。

 

だが時は経ち、有無も言わさず平手打ちで従わせる時代が終焉を迎えた。

 

今の時代はなぜそうなっているのか理由を聞き、

自らの選択して納得感を持って行動したいと思うようになっている。

 

その背後には「個人の考えを尊重してほしい」という想いがあり、

全体で一緒くたにしないで、「“わたし”をみて」という、

尊敬と尊重の時代が到来したのだと考えている。

 

私は現代の日本人のコミュニケーションの問題は

アドラーの考え方が馴染むのではないかと思っている。

 

相手が納得し、自らの意思で動きだすまで、

根気強く相手の目線で見て、相手の耳で聞き、

相手になりきって、一緒に方向と方法を考えて、

それを相手の言葉で伝える。

 

そんな寄り添い続けるスタンスが求められている。

 

あなたが大事にしていることを私も大事にしたいよ。

と思えるまで中々抵抗があるかもしれないが、

私たちは失ってしまった感覚を取り戻さなければならない。

 

たしかにこのやり方は時間がかかるケースもあるかもしれないが、

決して相手を否定しないその姿勢が現代の日本人に合っていると思う。

 

そして、このやり方を続けることで本当の意味で「リスペクトする」ということをお互いが学ぶのだ。

 

全員育ってきた環境があって、そこには様々な流儀があって、大切にしたいことができて、それゆえに傷つけ傷つけられて、傷ゆえに防御反応ができて、頑なになっていく。

 

「そんなもん知らねーよ」の一言で終えることもできるけど、

まるっと認めてほしいと心の中で叫んでいる人たちがたくさんいる。

 

空いた穴を埋めようと依存が生まれ、

様々なジャンキーがあふれている。

 

“やさしい時代”とはあまくてやさしすぎる人たちが増えた時代なのかもしれない。

 

リスペクトは解決にはならないが、

人と人が付き合うベースになるだろう。

 

ならなきゃ、これからどんどん日本は荒んでいくのではないだろうか。

 

だが、一方で個人としては、

「わたし」というものにこだわり過ぎてしまうと悩みはふえていく。

 

わたしの考え。

わたしのやり方。

わたしの仕事。

わたしのともだち。

わたしの彼。

わたしのチャンネル。

わたしの家。

わたしの携帯。

わたしの思い出。

わたしの気持ち。

 

悩みというのは全部わたしがくっついている。

個人としては「わたし」との癒着をはがしていくことをおススメする。

 

わたしと何かがくっついていなくても大丈夫

というところに立っていたいですね。