前回、「バランスが大事」と書いた。

 

吸収と排出のバランス。

座ることと動くことのバランス。

自分と相手とのバランス。

自分と環境とのバランス。

 

バランスを崩すと、

周りへの尊重を忘れ、謙虚さを失い、

その結果学ぶ機会が奪われ、閉じた世界に生きることになる。

 

だからバランスは大事だ。

だが同時にバランスだけとっていてどうするとも言いたい。

 

よく「健康を目的とするな」と言われるが、

「バランスをとること」が目的になると、何のために生まれてきたのか分からなくなる。

 

この人生がバランスをとるためだけにあるのだとしたらこれほどつまらない人生もないだろう。

 

特にステージが変わる時というのは感情の波が訪れる。

自分の中で辻褄を合わせて適応していける時はそれで良いが、そんな状態になれないこともある。

「なぜこんなことが自分の身に起こるのか」という思考になった時こそがチャンスだ。

 

小手先のバランスではなく、摂理としての揺り戻しが起こっているのだから、今起こっていることの何が嫌なのかしっかり言語化しておくと、それが新たな種になる。

 

肉体のバランスがとれてきて、家族や組織に対してもある程度バランスのとり方がわかるとマンネリが起こる。自分の対応がパターン化するからだ。

 

パターンというのは非常にやっかいで、「こうしておけば良い」という思考を作ってしまう。

だがこの世は流れている。思考を固定化してしまうと摂理から外れる。

 

キーは「子供のような好奇心を持って世界と接する」ことなのだ。

パターン化してしまった時こそ「気分で動くこと」を自分に許してほしい。

 

決して良い子になって大人しくしていることが正解ではないのだ。

バランスをとりながらもバランスにとらわれない。

そしてバランスを失うとすぐさまバランスするというのも摂理なのだ。

バランスを崩している時こそ、バランスに向かっているのだ。

 

真逆のことを同時にやる。

これがタオ。