チャネリングの師匠が家に遊びに来くることになり、久しぶりに我が師と再会した。
彼女に会うと、「やっぱり波動なんだな」といつも思う。
言葉では教えられない部分はエネルギーで伝える。
そんな人だ。
食事をしたり焚火をしたりした後、
私がいつも水汲みをしている神社に師をお連れすることになった。
神社で参拝後、人のいないところまで歩いていくと、「ここで“水の祈り”をしましょう」ということになった。
少し前に師の所に降ろされた水の祈りの詩を、
彼女が口にした途端明らかに場の空気が変わった。
その瞬間、祈りと恩寵はセットなんだと実感した。
人が祈れば必ずそれに応じてくれる。
この時「水」に感謝すると「木」が喜ぶということが肌感覚で分かった。
そして自分の中に慈悲のエネルギーが無限に沸いてくることを知った。
だが、ここに接続するにはハウツーや言葉ではないのだ。
当然「やり方の説明書を作ること」でもなければ、
「みんなで一緒に祈りましょう」ということでもないし、「現実を良くするために感謝しましょう」ということでもない。
ただただ心を寄せるという在り方とその時間を設けること。
だから誰にいうでもなく、人知れず祈る時間を設けたいなと思えた。
ちょっと半端ない時間でした。
「百の言葉より、瞬間の波動に勝るものなし」。