「白線流し」の四半世紀 | みりいどのブログ

みりいどのブログ

ブログの説明を入力します。

 3月13日、春ハロの帰りの八王子駅。

 上りホームで東京行き快速を待っていると下り特急が向こうに居て、「これは園子や渉が乗った「あずさ」では!?」…その通り、2134発の松本行き最終「あずさ55号」でした。園子達が乗った描写はありませんが立川からか、そして渉は八王子から乗りました。

 まさに、私がそのことに気付いたのが八王子駅のその雰囲気が見たことがあったためでした。多分時刻はそれほど変わらないと思っています。号数は変わったんだろうな。列車の愛称は当時は多分混在期で、最終松本行きはきっと「スーパーあずさ」だったのでしょう。季節は当時は夏の終わり、私がそこに居たのは春という違いはありました。

 フジテレビ系ドラマ「白線流し」、初回の風景です。本放送は1996年。3月21日は最終回の放送があってから25年となる日でした。

 その4年前、1992年のフジテレビ系ドキュメンタリー「別離(わかれ)の歌~飛騨高山の早春賦・『白線ながし』~」と合わせ、私には大きな影響がありました。舞台となった高山・松本には何度も…ちょっと数えきれないほど通いましたし、ドラマのオフにも行きました。新村も松商もよく行ったよなぁ…。小川村天文台も行きました。アルプス公園も、東京大森のお寿司屋さんも行きました。松本空港も行きました。ドラマ続編スペシャルのロケ地となった初山別の天文台も行きました。会津若松に通うのも似た雰囲気を感じるからというところもあるし、更に別の似た土地を探しているところが今でもあります。そして旅のスタイルが、ロケ地を探す時のように、通り過ぎない、街を歩く、になりました。それまでも好きだった「早春」、2月がますます「!」にもなりました。

 演じた役者連を生で見る機会はその後ありませんでした。ギリギリだったのがたしか2011年「24時間TV」、浜松での公開中継にアップアップガールズ(仮)と酒井美紀が出た時でした。行く検討はしましたが、結局行かなかったんですよねー。



 酒井美紀を好きだったマイミクさんがこの3月で60歳で、お仕事が定年になると伝え聞いています。最近電話が通じないんですが連絡したいんですよね。彼はあの春35歳だったんだなぁ。この春に何か思うことはあるのかな…。

 園子はよく走っていたよなぁ。岐阜県立斐太高等学校や長野県立松本北高等学校のトラディショナルなセーラー服についてはずっと書きたいんです。そして今尚、馴染みのあるハローの娘達に、その制服を着て「白線流し」を演じてほしいです。



 25年を過ぎるとその先、わたくし的には節目がなくなります。30年?、40年? 50年は節目かもしれませんが、それは未知の領域です(笑)。

 ここは一区切りです。何か…変わるのかな。

 ありがとう、白線流し。