河路由佳歌集『オレンジ月夜』を読んで | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  河路由佳歌集『オレンジ月夜』を読んで

 

 昨日、河路由佳歌集『オレンジ月夜』(港の人、2024・5)をいただいて、さっそく読み始めたのだが、まずは奇妙な装丁だなと思った。オレンジというタイトルなのに外側にはオレンジの配色はない。カバーか帯かわからない紙がかけられていて、その「帯カバー」の上の方が欠けており、銀色か灰色かわからない色をした月の形がその帯カバーからのぞいているという装丁になっている。本を開くと見返しの紙がオレンジ色である。全体にかわいいというのか、そこはかとなくユーモアのある印象になっている。本を読んでいると、帯カバーの紙質がよく、手によくなじみ、心地よい。手作り感の伝わってくる本の作り方である。

 歌集の中心となるのはコロナ禍の生活であり、その中でも母の死、父の死を描いた歌群であろう。ここは読みだすと止まらなくなってしまうような、ドラマ性を感じたが、歌の情念は常に抑制されているようにも思う。

 

色白の母がまるごと黄に染まりとどめようもなし 奪われてゆく

母の頭を枕にもどす我が両手いや全身が死に触れている 

我が腕は重み確かな母もろともしっとりと今死の側にある

海に陽が落ちてゆくさま見るように母を看取りて茜に染まる

 

 引用は146頁から150頁より。母の死の瞬間は、さまざまな時間の継続の中で語られていく。落ち着いた述懐のトーンに支えられながら、私は静かな感動にひたった。

 同じ年に、母を追うように亡くなっていく父に関する歌も、悲痛でありながら、どこかにユーモアも含んでおり、読者に負担を突き付ける表現にならないような節制のまなざしが見える。

 

渾身の力で父が自らの酸素マスクを外すたび、戻す

母の死へ傾いていく父の命とどめようなく手放した宵

夏逝きし母のこと父と語りつつ年末まで泣こうと決めたのに

夏に母、晩秋に父を火の中へ送って待った 骨が鳴るまで

 

 引用は155頁から159頁より。平易な表現で語られているが、心が深く動かされる。母の死、父の死はこうしてその後も何度も詠み継がれていくのであるが、作者の内部で、それがだんだんと血肉化していくというのか、理解され、納得されていくというのか、そんな行程が見える歌がいくつもある。ここでは「昇華されていく」というような美化した表現は使いたくない。

 

母も父も 私の傍で温かくやがてゆっくりと鎮まりました   p184

 

 これは好きな歌である。平易な表現で、深い悲しみを含みながらも、こちらが温まってくるような気がする。

 このほかにも、師の墓参の歌が続き、死の影が歌集を覆うようである。しかし歌集には、さほど重苦しさはなく、淡々と歌の情調が続いていくという印象がある、カバー装丁にそこはかとないユーモアがあると先に述べているが、そういう心づかいが歌にあると言ってもよいであろう。

 

黄色い犬に姿を変えて振り返る先生の花のような微笑み  p200

 

 この歌、一首だけ見るとわかりにくいが、ドナルド・キーンの墓参をして詠まれたものである。お墓の意匠から黄色い犬のイメージが出てくることがわからなくても、一読して何か腑に落ちるというか、忘れられない歌である。私はキーン氏にお会いしたことがないが、著書や写真に親しんできたものとしては、この「花のような微笑み」の表現が心に沁みる。

 鈴木孝夫や土岐善麿の墓参りの歌もあり、先に指摘したように歌集には深い死の影がある。しかし不思議に明るく、読者に開かれた歌集となっている。

 

 

天天快樂、萬事如意

  みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

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