短歌相談室 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  短歌相談室

 

 短歌を作って発表すると、何も知らない読者は、作者はこういう人だろうと想像するものです。

 私が「朝日新聞」に歌を投稿していたころ、30代だったのですが、賞をいただくことになって、編集部の人と電話で話したことがあります。そのとき、編集部の人が、私の年齢を聞いて、とても驚きました。

「あれ、おじいさんじゃなかったの? 字がすごくきれいなので、お爺さんだと思っていた」とその人に言われました。

 私の歌は、あまり「朝日歌壇」に入選しなかったのですが、ああ、お爺さんだと思われて入選しなかったのかと思いました。投稿は、はがきに自筆で書いて、送るのです。読む人は、私の名前から、男性だとわかりますが、年齢は書く規定にはなっていないので、書いていません。

 歌の内容が若い人の歌で、実はおじいさんがそれを書いているということで、想像で書いているとか、他人のことを書いているというように読まれたのだと思います。歌に信用がなかったのだと思いました。年齢をはっきり書いておけばよかったと思いました。

 それから私が匿名で字を書いて、誰かがそれを見ると、必ず女性の字だと思われました。歌も、女性の歌だと思われました。私は前世は女性だったのかもしれません。それでも、そういう歌が自然にできるのですから、それをどんどん個性として伸ばしていけばいいと思います。

 例えば私に『愛の挨拶』という歌集がありますが、これはタイトルだけ見ると女性の歌集だと多くの人が思ったようです。しかし、私の好きな曲にエルガーの「愛の挨拶」があり、私の好きな横光利一の作品に「愛の挨拶」があります。女性を演じているわけではありません。

 私は誤解されていろいろ損をしてきましたが、それはまず読者の視野の狭さに一因があります。繊細さというものの本質を理解できない読者が、大勢いるということです。

 それから今は、昔とは違って、男性か女性かという判別を緩く考えるようになってきました。時代の全体の意識が、男性・女性の峻別というものをやめたり、考え直すようにもなっています。

 若い歌人の皆さんは、その点を踏まえて、自分の好きなように歌を作ればいいと思います。男性視点でも女性視点でもいいのですが、ただ、視野の狭い読者が戸惑わないように、注意することが必要です。しっかりと、「場」がわかるようにしなければなりません。

 1年前に、学生にアドバイスする目的で書いた記事を、再掲します。

 

        短歌相談室

 

 

学生からの相談

 こんにちは。相談事があるのでメールさせていただきます。相談事は、自分の詠む短歌が女性的になってしまうことです。身も心も男であるにも関わらず、いざ短歌を詠むと女性的な歌ばっかりになってしまい困っています。(男子学生)

 

日置からの返信

 「自分の詠む短歌が女性的になってしまう」というのは悪いことではありません。そのまま作っていけばいいのではないでしょうか。女性的だというのは、主人公を女性にしてしまうということと、女性的な繊細な内容であるという2つの意味がありますが、どちらもいいことです。

 私もいつも短歌作品が繊細過ぎて、女性の作品と間違われます。それは誉め言葉だと解釈しています。自分の名前を消して発表すると、必ず女性だと思われます。

 

 NHKの番組で、匿名で歌を提出する歌会に出演した時も、主宰の河野裕子さんに女性の歌でしょうといわれました。

 

  みづあかり障子をあをく揺さぶりてゆさぶりてつひに日永ひらかず

 

 この歌です。後で作者は私ですと名乗ると驚かれました。男性がこんな歌を作るのかといわれました。

 島崎藤村という有名な詩人がいます。『若菜集』(わかなしゅう)は、島崎藤村の処女詩集で、1897年に春陽堂から刊行されました。今から120年以上前の話です。

 この詩集には非常に女性的な感性が見られます。詩集のなかに、藤村が若い女性に成り代わって歌った詩がいくつもあります。たとえば、「おくめ」という名の恋する女性になりきって作った詩は次のような感じです。

 

しりたまはずやわがこひは

雄々(をを)しき君の手に触れて

嗚呼(ああ)口紅(くちべに)をその口に

君にうつさでやむべきや

 

恋は吾身の社(やしろ)にて

君は社の神なれば

君の祭壇(つくゑ)の上ならで

なににいのちを捧(ささ)げまし

 

 自分を女性にした方が、繊細な感性が歌いやすい場合がありますね。自分の口紅を愛する人の唇にうつしたい(キスしたい)という女性の姿は、鮮烈です。

 藤村の詩は、歌い手が女性であるということが一連のタイトル「六人の処女(をとめ)」と、詩のタイトル「おくめ」に記されているので、読者は戸惑いません。女性を主人公にするときは、これは女性として歌っているということをどこかで明確にする必要があるでしょう。そうすれば、歌の構造に演劇性が加わって、歌が理解されやすくなると思います。

 連作の場合は別ですが、一首勝負の歌は、やはり難しい場合もあります。

 短歌作者が男らしい名前で、歌の内容が女性主人公となっていると、読者がそのあいまいさに戸惑うのです。作者の名前も歌の一部ですので、そこを考えなければなりません。

 作者が男性なら、女性の立場で詠んでいるということを、うまいかたちで明確にしなければなりません。やはり連作ではっきりしたタイトルをつけるとか、ほかの方法も考えてみましょう。

 現代短歌の世界では、作者が主人公であるという前提がありますので、そこから外れていくことは冒険となります。

 主人公が女性と確定しているわけではなく、ただ内容が繊細であるという場合は、何も問題はなく、才能の表れですので、そのまま歌の個性を伸ばしていけばいいと思います。

 歌は作っているうちに、どんどん変化していきますので、今は自分の作りやすいやり方で、たくさんの歌を詠むといいと思います。

 

  

 

天天快樂、萬事如意

  みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

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