★愛するダルメシアン | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  ★愛するダルメシアン

 

 私は愛犬のダルメシアンを16歳半まで見つめてきた。これは人間なら120歳とか、それ以上の長寿に相当する。昨年とうとう愛犬が亡くなり、今もまだ悲しみに包まれているが、やっとすこしだけ、ダルメシアン犬が理解できたと思う。それもまだ、理解のほんの入り口に立ったという感覚である。犬というものは、深い精神性を持った、素晴らしい生き物である。

 田舎の実家では、ポメラニアンとかチワワという小型犬を飼っていた。それで小型犬なら感覚的に理解できるのであるが、初めてダルメシアン犬を飼ったときは、とにかくわからないことが多かった。小型犬とはまったく違う。とにかく重い。足が、犬というより蹄のある馬や鹿を思わせる構造であった。力も強くて、言うことを聞かせるのが大変である。必要とされる運動量も比較にならない。食欲もすごくて、体重の管理が大変であった。たぶん鹿を飼っている感じである。顔も鹿にどこか似ていると思う。

 大型犬は寿命が長いわけではなく、ダルメシアンは体質的に皮膚病や腎臓病になりやすい。もしどこかで間違いを犯していれば、16歳以上の長寿を保たせることは難しかった。必死に研究を重ね、インスタグラムで多くのダルメシアンと出会い、さまざまな人からご意見もいただき、多くの知識を得て、ようやく愛犬の世話を続けてこられたと思う。ダルメシアンにはダルメシアンのオーナーでコミュニティができており、インスタグラムで世界中のダルメシアンの様子を見て、学ぶことが多かった。私自身もインスタグラムに写真や動画を投稿し、愛犬の記録として残し、それを見ていつも反省の材料としていた。とにかく心を込めて犬の世話をすることは、喜びでもあったが、本当に大変であると思う。

 何の考えもなしに犬を飼っている人を見かける。時々、人間と犬とは違いますよということを言いたくなる。犬をいつも人間扱いすればいいという話にはならない。それは犬を軽んじた発想である。人間がチョコレートを食べるのは勝手であるが、犬にあげてはいけない。犬には毒なのである。人間が葡萄を食べるのは勝手であるが、これも犬にあげてはいけない。何でも犬と分かち合えば犬が幸せになるわけではない。例えばキシリトールを食べて死んでしまう犬がいる。

 人間がおいしいと感じる感覚と、犬のおいしいという感覚は違う。犬は塩分に鈍感であり、わざわざ過剰な塩分を与えるべきではない。人間の食べ物は塩分が強すぎて、犬の臓器に悪い影響を与える。犬は本来肉食であり、タンパク質の分解が得意であるが、食物繊維の分解が不得意である。野菜などは消化できない場合が多い。焼き芋、キャベツ、大根などはいいようである。鶏肉は骨を除いてあげないといけない。鶏の骨は折れると尖り、臓器などに突き刺さることがある。

 それから犬は昔から階級制の意識の中で生きており、誰がリーダーなのかはっきりさせる必要がある。犬と平等だというような甘い考えは捨てないと、犬が情動不安になり、吠えて威嚇したり、噛み付いたりするようになる。人間の狭い感覚で犬の考えを推し量らないことである。自分の人間としての発想をそのまま犬に押し付けても犬は幸せにはならない。

 人間は主に視覚で周囲を判断することが多いが、犬は主に嗅覚と聴覚で判断する方が多い。犬には色はよく見えていない。犬におしゃれをさせても、人間の感覚のようには理解できない。

 以上述べてきたことは、よくいわれる一般論である。それを前提ととしつつ、個々の犬については、それぞれ検証が必要なのである。例えば犬と猫は仲が悪いとよく言われるが、親友になることもよくある。それはインスタグラムなどの動画でも紹介されている。

 要するに最後は愛情である。本当に愛されているならば、犬は幸せを感じると思う。いつも抱きしめてあげれば、犬が不良になってぐれることはない。

 また、犬と人間の違いの問題に戻ろう。人間では百会(ひゃくえ)という重要なツボが、頭のてっぺんにある。しかし犬では、おしりの上にある。四つ足歩行であることを始めとして、人間と犬の体は違う。犬には銅蓄積肝障害という病気があり、肝臓に銅がたまって死んでしまう。これはベドリントン・テリアやダルメシアンといった限られた犬種に起こる病気で、獣医もよく知らない場合が散見される。私の知っているダルメシアンで、まだ若いうちに何匹も死んでいる。遺伝性のケースもあり、獣医の知識不足で手遅れになる場合が多い。私が見ている範囲では、獣医師に勉強不足のひとがとても多く、名医は少ない。

 そもそも日本では獣医学があまり発展していない。そのためもあって知識不足の獣医が多い。犬はペットの代表であるが、日本ではその犬に対する認識が低いのである。ペットを家族の一員として考えるような発想は最近のもので、西洋ではもっと早く広く普及している。見ていると、優秀なペットフードは、ほとんど西洋ブランドのものである。獣医に行ってお薬をもらうと、いいお薬はほとんど外国からの輸入品である。そのせいもあり、とても高価である。そういう薬は獣医を通さないと手に入らないように制限がかかっていて、高値で買わざるを得ない。なぜ日本でそういう薬が造れないのかというと、日本では十分な研究が進んでいないからである。このことはよく知っておいた方がいい。

 それから獣医業界は自由ではなく、さまざまな既得権があり、既得権による専売や制約が行われていると考えられるケースもある。とにかく健康保険はきかないので、診療にはお金がかかる。

 ペット分野の法整備は、日本では諸外国よりも大幅に後れをとっている。ドッグフードは食品扱いではなく、「雑貨」扱いである。ペットも法律上は「モノ」扱いである。雑貨なので、ペットフードには人の食品のように細かな法律や安全性・品質を規制する法律がない。はっきり言って野放しである。

 米国では人とペットを含む食品を対象として「食品安全強化法」(Food Safety Modernization Act:FSMA)が2011年1月に成立している。米国食品医薬品局(FDA:Food and Drug Administration)が権限を強化し、HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)の考え方を基盤とする衛生管理が義務化された。こうして現在、FDA、AAFCO(The Association of American Feed Control Officials)による様々な評価や規制が行われている。

 しかし、アメリカの製品なら安全なのかというとそうではない。事故も起きている。そこは用心が必要である。ただ、後進国の日本はアメリカに追いついていない。繰り返すが、ペットフードやサプリは食品ですらなく、雑貨なのである。そのため、あまりドッグフードやサプリの宣伝をうのみにしないほうがいい。一応、さまざまなサプリを試してみたが、全く効果はなかったので、私はある悟りに達した。ほとんどが金儲けの偽物であると私は思う。ドッグフードも合う合わないがあるので、試行錯誤が必要である。

 先にも少し触れたが、犬といっても、みんな同じではなく、それぞれの犬種で個性がある。またそれぞれの個体で個性がある。犬の脳の仕組み、体の仕組みは、見ているだけではわからない。犬からよく学ぼうとする態度が必要である。人間とは違うことを意識し、犬のことをよく知ること、よく研究することが、本当の犬の幸せにつながるのである。

 もちろん、先ほども触れたが、犬に対する愛情が最も大切だということは言うまでもない。愛があるから絆を築くことができるし、愛があるから、深い研究ができるのである。

 私はもう犬を飼うことはないと思うが、犬のことは考え続けると思う。体力の限界まで、心を込めて介護をした愛犬は、腕の中で息を引き取った。自宅前で荼毘に付して葬儀をした。この愛犬の供養を、死ぬまで続けるつもりである。

 

 

天天快樂、萬事如意

 みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

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