学生のみなさんへ(1)  作者は孤独である | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

日置研究室 HIOKI’S OFFICE

作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  学生のみなさんへ(1)  作者は孤独である

 

 毎年お話をしていることですが、今年も繰り返します。2年前の記事をリブログします。内容も再掲します。少し修正を加えることもあります。この話題、これから何回か連続します。

 

学生のみなさんへ (1)  

 

作者は孤独である

 

 このブログを利用して、学生に皆さんに私の授業の基本的な考え方をお伝えします。もちろんそのほかの、文学や創作に関係する皆さんにもご参考になるかと思います。

 

 作者は孤独です。多くの人は、作者が孤独に作品を書き上げて、完成すると、そこで作品の創作はゴールを迎えると考えています。

 それは真実でしょうか。本当に作者は孤独なのでしょうか。それなら、作者は何のために、あるいは誰のためにその孤独を味わい、文章で表現をしているのでしょうか。

 作者には読者が必要です。作品を完成しても、発表されなければ意味がありません。それでは作品が存在しないのと同じです。

 孤独に作り上げたものが、多くの人に受け入れられて、作品に初めて意味が生じ、作者の魂は救われるのです。

 作者が孤独に耐えられるのは、作品がひとびとに迎え入れられた時の自分が、もう孤独ではなくなっていることを知っているからです。

 作者はその時、作者を苦しめている心の痛みから解放されます。

 

 一つだけ例を挙げると、宮沢賢治という作家は、作品がほとんど読者の手まで届かなかった作家であり、無名のまま、世を去りました。書くという行為だけでは、賢治は救われませんでした。賢治の作品には、読まれなかった悲しみが付きまとっています。

 

 以下は私の体験です。私は作家で、文学作品を書いていますが、いちばん大変なのは、作品を読者に届けるということです。

 有名な作家は出版社がそういう仕事をすべてやってくれるので、苦労はないのかもしれませんが、最初からそうである作家は少ないのです。

 詐欺出版社に苦しめられたり、様々な苦労があって、今は自分の作品を自分でデザインして自分で本にするというところまではできるようになりました。しかしその後の流通という部分で今は壁に当たっています。

 書店に本が並ぶということは、本当に難しい話なのです。

 しかし、何とか読者まで本を届けたいと考えます。

 読者のもとに本が届く、これは作者にとってとても大切なことです。私が本を出版しても、私の家に箱詰めされているだけでは、ほとんど意味がないのです。

 作者は孤独です。その孤独を乗り越えるために、読者が必要なのです。

 

 

    

天天快樂、萬事如意

みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

   いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。