韋編三絶 | 日置研究室 HIOKI’S OFFICE

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作家の日置俊次(ひおきしゅんじ)が、小説や短歌について語ります。
粒あんが好きですが、こしあんも好きです。

 

  韋編三絶

 天才写真家で思想家である岩谷薫氏の著書『亡くなる心得』について、毎日新聞に広告が出ました。

 まことに慶賀すべきことであり、これでまた一歩階段を上るように、この良書が世に出回ることになるでしょう。

 岩谷氏のブログ記事で、その広告の写真を見たのですが、右端の方にある言葉が目に飛び込んできました。

 

 いへんさんぜつ【韋編三絶

 

 まあ、よりによって霊界はこんな言葉を送ってきました。

 何度も繰り返し、熱心に本を読むことのたとえであり、また、学問に熱心なことのたとえです。孔子(こうし)が、晩年、易書(えきしょ)を好んで熟読し、繰り返し繰り返しそれを読み返したので、その綴紐(とじひも)が3度も切れてしまったとある『史記』「孔子世家」の故事によります。

 岩谷氏は実によく本をお読みになられるし、重要な書は何度もお読みになるので、まさに韋編三絶という感じです。異次元の世界との魂の交流に関しても、実に熱心に研究されています。 

 『亡くなる心得』はあまり本を読むのが得意でない人たちの代わりに、岩谷氏が膨大な書籍を読み込み、魂に関する重要なガイド役を務めているという印象があります。つまりこの書も何度も読み返すべき書だということです。これでは沙悟浄たちが嫉妬の心を起こすわけです。

 こうした韋編三絶の心が、このごろは忘れられてしまったのではないでしょうか。

 隣にある「歎異抄」の広告文が、無人島に持っていくというような話になっていますが、世も末だと思います。無人島に持って行ったら面白いとか、最後の晩餐だと思って食べたらおいしいとか、そんなキャッチコピーは言い訳であり、質の悪い詐欺に過ぎません。

 『亡くなる心得』がすごいのは、今、この日常において、まさにただいま、現在、必要な書物であるということであり、その重要さは無人島であろうが多人島であろうが関係がないということです。この書が常に異空間を見つめ、魂の世界を見つめているからです。生きている限り人は死ぬからです。

 さらにすごいのは、韋編三絶の心で執筆されたこの書が、非常に多くの書から引用がなされて、学問的にもトップレベルの難しい話をしているのに、なぜか読みやすく、不思議に明るく軽い筆致で構成されていることです。

 これは注目すべきことです。

 あの驚嘆すべき天使の写真集(天使たちとの対話)では、死をはらんだ重々しさを、なにか鳥のさえずりのようなさわやかさとやわらかさが美しく支えていましたが、同じような光がこの書物の中に差し込んでいます。

 

 

 いへんさんぜつ【韋編三絶】

 

 この言葉を繰り返し味わい、私も同じように学問を続け、さらに辛抱を続け、美しい書物を出版し続けたいものだと考えています。

 

 

みなさまにすばらしい幸運や喜びがやってきますように。

   いつもブログを訪れてくださり、ありがとうございます。