夏の高校野球 近畿大会 | 同床異夢

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 高野連が早々に、夏の高校野球の中止を発表した。

厳しい練習を耐え抜いてきた高校球児にとってこのニュースは、

ハンマーで頭を殴られるくらい衝撃だったと思う。

夏の甲子園中止 コロナ禍で戦後初―高校野球(5月20日 時事通信)

 

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 最近の大人達は、何か問題が発生すると、すぐにイベントごとを中止する傾向がある。

「子供達の安全を考えてのこと」

と言われれば、反論しにくいが、本当に子供達のことを考えているのだろうか?

 

「中止」にしてしまえば、そのことに関しては責任を取らなくてよくなるし、

物事を考えなくてよくなる。

つまり、大人がややこしいことを回避したいが為に、中止にしているのではないだろうか?

私には、子供達のことを考えているように思えない。

 

「子供の生命を危険にさらしてよいのか!」

 

などとヒステリックに騒ぐ人がいるが、新型コロナで子供にはあまり影響がない。

このことを考えると、無観客での開催を考える余地は十分あると思う。

 

「何かあったら困るから」

 

と言う大人が多いが、それは言い換えると・・・

「何かあって、責任を取らされるのは嫌だから」

と言っているに等しい。その考えの中に、高校球児は不在である。

 

こんな大人達の行動は子供達に、どんな風に映っているのだろうか?

 

 そんな中、大阪の吉村知事が甲子園で高校野球の代替え大会を行いたいと表明した。

高校野球だけでなく、高校生の部活の集大成の大会を考えているとのこと。

阪神も「できる限り協力したい」と言っている。

吉村知事「阪神に賛成。強力プッシュしたい」/高校野球(6月2日 サンスポ)

 

 

私は、維新の基本的な考えには批判的で、吉村知事の9月入学にも反対していた。

しかし、今回のことには賛成だ、是非、やってもらいたい。

兵庫県や姫路市では、こういう意見が出てこないのが残念だ。

 

大人がリスクをとって、つまり責任を受け持って子供達にその場を提供するのが

本来の大人の姿だと思う。

 

吉村知事は

「中止するのは簡単だ。」

と言った。その通りだと思う。

 

 子供達にとっては一生に一度のことなのだから、出来る限りのチャンスを作るのが

大人の役目だと思う。

 

そういう大人の姿を見た高校生達が、やがて社会で活躍するようになるのだ。

目先の不安だけを考えて「中止」にするのは、あまりにも単細胞で尚かつ怠慢だと思う。

 

かつて、最後の沖縄県知事を務められた島田叡知事(兵庫県の人)は、

米軍の空襲がある中、体育館の窓に黒い布貼り、光が漏れないようにして卒業式を行った。

 

現在の価値観では考えられないことだが、命のリスクに変えてでも卒業式を行ったのだ。

そのくらい、学生達にとって、卒業式は大事なものだった。

最近は、唯物論がはびこって、この感覚がわからなくなっているかもしれない。

 

「子供達の気持ち」

 

これを、想像できない大人は、他人の痛みも想像できないだろう。

最近、そんな大人が、国会や霞ヶ関に多い気がする。

 

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