狂った日本の行政 | 同床異夢

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子供の躾に関わる、体罰まで行政が管理するのか?

ついに家庭内に行政が介入するようになった日本。

 

「身体に苦痛」は体罰 厚労省指針案を大筋了承(12月3日 産経新聞)

 

産経新聞の記事より抜粋・・

 

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 体罰を「身体に苦痛を与える罰」などと定義し、

「長時間の正座」などの具体例を挙げた指針案を

有識者検討会に示し、大筋で了承された・・・

 

指針案では「親がしつけのためだと思っても、子供の身体に何らかの苦痛または不快感を引き起こす行為(罰)は、

どんなに軽いものでも体罰」と規定。

 

 皆さんはこの記事を読んで、どう思われるだろうか?

度を過ぎたものは論外だとして、長時間の正座も禁止されるとのことだが、

どの程度を長時間というのだろうか?

 

   (剣道部の正座も体罰になる?)

 

現在の上皇は、天皇に即位されていた間は、普段から正座をされていた。

それは、祭祀を行うときは正座しているので、それが出来なくなると、

祭祀に影響がでるということからだった。

 

陛下でさえ正座を進んでされているのに、それが体罰になるとは・・・

こんなことをしていれば、ふぬけな日本人ばかりが量産されるだろう。

 

行政は一体何をしようとしているのか?

 

「子供が嫌がっているから」

「可哀想だから」

 

こんな感覚で、日本の子供達の指針を決めているのなら大きな間違いだ。

「狂っている」としかいいようがない。

 

子供のうちに、「我慢」とか「忍耐」を鍛えさせないで、

いつ鍛えさせるのだろうか?

 

嫌でも耐えなければならないことは、社会に出れば五万とある。

その耐性を子供のうちに身につけておかないから、会社に入って少しすると

 

「自分の思っていた仕事と違う」

「契約以上の仕事をやらされる」

「ブラックだ!」

 

などといってやめてしまったり、

納期を平気で無視して顧客に迷惑をかけたり

仕事を放置したりする。

 

現段階で既にこんな若者が沢山いるのに、

行政がこんな指針を出せば、さらに酷くなるのは目に見えている。

 

そもそも、家庭の中にまで行政力が介入するというのは、

全体主義国家のようにプライベートの制限である。

 

子供は国家が育てるというのは、かつて共産主義や社会主義が謳っていたことだ。

 

例えば、子供が苦痛と感じて、警察などの行政機関に連絡すれば

親が逮捕されるということになる。

その後、子供は誰に面倒をみてもらうのだろうか?

子供なんて、なんでも苦痛に感じるものだ。

 

「しかし現にそんな事件が沢山起きているじゃないか!」

という人も多いだろう。

虐待か10歳女児死亡 傷害容疑で父親逮捕 野田(平成31年1月25日 千葉日報)

 

長女に「せいやくしょ」書かせ違反で水風呂 逮捕の両親(平成31年3月14日 朝日新聞)

 

 

同居相手の3歳男児を暴行死させた疑いで34歳の同居人の男が逮捕

 
 
今年おこった事件の一部を列挙してみた。
確かに、可哀想な事件が多かった。
子供に愛情をもてない大人の原因である。
 
だからといって、体罰が原則的に禁止されるような指針を出すのは、極端すぎる。
ハッキリ言おう。
こんな指針をいくら作っても、子供の虐待はなくならない。
 
なぜなら、子供から愛情を遠ざけるような政策ばかりを
日本政府がおこなっているからだ。
また、大人達も欲ぼけて金儲けに邁進しているから
それに反対する人が少ない。
だから、このような悲しい事件が後を絶たない。
 
最後の事件で母親が言っていることが象徴的だ。
「私が出張に行かなければ、こんなことにならなかったのに・・・」
 
つまり極端にいうと、現在の日本は、
子供をほっぽらかして仕事するのがよい
という社会になっているから、こういう痛ましい事件が起きるのだ。
 
パーソナリティの大久保佳代子が
(パーソナリティの大久保佳代子)
 
 
「・・・せっかく積み上げてきたキャリアだから、
捨てるのもったいない、だから女性は子育ても仕事も両立してやればいい、欲張ればよいのです。
やってみれば意外となんとかなるものです。」
 
などと公共の電波を使って言っていた。
 
これが、幼児虐待の原因になっていることに気づいていない。
とても無責任である。
だから、幼児虐待が後を絶たない。
 
私見だが、彼女の感覚は、自分が一番大切で、その次に子育てや家庭がある。
という風に聞こえる説明だった。
 
子育てと仕事の両立が出来ない事は、「出張に行かなければ・・・」の事件であきらかだ。
子供から目を離してはいけないのだ。
 
「やってみればなんとかなる」というのも、自分自身の勝手な評価であって
実は、なんとかなっていないことが殆どだ。
子育ての結果がでるのに、5年とか10年の歳月が必要なので、わかりにくいだけだ。
 
どいうことかというと、親の愛情を十分に受け取っていない子供は、自閉症になったり
引きこもりになったり、自分が親になったときに、子供を虐待するようになる確立が高くなる。
 
だから、子供と親が長くいられる時間を作る方向に持って行くのが正しいのに
「待機児童対策」
などと逆の政策ばかりを行っているのが、日本政府であるし行政である。
 
子育てするには、生活のレベルを下げても子供と一緒にいる時間を長くするべきなのだ。
「子供に対する愛情」というと、それは物を与えることだと勘違いする親も多い。
また、「子供のわがままを何でも聞くこと」と思っている人も多い。
 
厚労省はどちらかというと、後者に近い。
勘違いも甚だしい。
 
繰り返しになるが、体罰を禁止して、それに対して重い罰則規定を作っても
幼児虐待はなくならない。
 
 なぜなら、親から十分な愛情をもらっていない子供が既に沢山大人になっているからだ。
唯物論で育った子供が社会人として既に沢山デビューしている。
 
自由恋愛だの不倫だの、合わなければ離婚すればよいだの、大人が好き勝手にやっていて
子供がまともに育つわけがない、この狂った日本社会をなんとかしない限り
子供の犠牲が減少することはないだろう。
 
行政が狂っているのは、これだけではない、子供の読解力が著しく低下しているという
ニュースがあった。
 

日本の高1読解力が15位に後退 OECD調査、真偽見抜く力弱く(12月4日 中日新聞)

            
 
 
こんなことになっているのも、小学生から英語授業など行うからだ。
日本の国語力も身につかないうちから、英語授業なんて狂っているとしかいいようがない。
こんな子供達が社会に出たらどうなるか、少しは想像してから政策になり行政を考えろ
と政治家や役人に言いたい。
 
狂った政府や行政や公立学校から、子供を守るのは家庭しかないと思っていたが
それも、難しくなりそうだ。
なんしろ、躾けにまで行政が介入していくるのだから・・・
 
私の子供の頃は、悪いことをすると、寒いときでも先生に廊下に立たされたりしたものだ。
それは、苦痛だったが、でも自分が悪いことをしたのだから、当然だと思っていた。
しかし、現在の学校の先生達は、こういうことが出来なくなっている。
 
では、どうやって子供に分別を覚えさせるのだろうか?
言葉だけで説得できると思っているのだろうか?
これこそ、平和主義者の
「争いごとは話し合いで解決を」
と同じ理屈だ。
 
誤解がないように・・・
愛情のない体罰は躾とは言わない。
 
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