先日、『神や仏を信じるか?』というアンケート記事が新聞に掲載されていた。
かつて、愚僧が在学していた仏教学部は、寺の息子や僧侶を目指そうとする者ばかりではなく、在家者もいたし、女性や外国人留学生もいた。
サンライズ
残暑お見舞い申しあげます。
今年の永代経法要は、講師に藤本正人師をお迎えします。
師は済生会滋賀県病院に17年間在籍された元脳神経外科部長で、第三次救命の指定に大きく貢献されたお医者さんです。
当時、ある病院との競り合いで医師陣を纏めてくださった救命救急の礎でもあります。
現在は、脳神経外科のメスを置き、総合診療医として兵庫県山奥の無医村で頑張っておられます。
今回は、師の体験を通し、家庭におけるプライマリーケア(初療期医療)に関するお話しをして頂く予定です。
・ 日 時 平成29年8月27日(日)午前10時より
・ 場 所 佛眼寺本堂
・ 講 題 過疎の村での医療経験(90分、質疑応答)
・ 講 師 藤 本 正 人 師(豊岡市 資母診療所長)
合掌 釋教順
一体、この店どうなってんだ。
責任者は誰だ。
いろいろと有るようで、無いようで。
蓋を開ければ、責任者の問題でもなさそう。
やはり、現実と向き合うしかない。
『しょうがない』という思いは己の感性。
背景に己が鎮座していた。
やはり敵は己か。
しようがないな。
サインライズ
ご縁には、人間にとって都合の良いご縁もあれば、都合の悪いご縁もある。
おしなべてご縁である。
安易にご縁から逃げることはできない。
お盆に家族一同が揃って正信偈をお唱えする。
お念仏の教えを教化くださった親鸞聖人をはじめ、念仏を相続くださったご先祖方を偲び、今を生きる私達が仏法を聞信する。
そして、”いのち”について考える。
さらには、それを次世代へ伝えていく。
これはまさに勝縁そのもの。
この上ないご縁である。
サンライズ
昨日、被爆者代表の深堀さんが、18歳の姉の遺体を母と妹で荼毘に付したと訴えた。
『呉や長崎の軍事施設を狙って投下した。』という米国の主張は言い訳にもならない。
その威力から市民が巻き添えになるのは百も承知の上だった。
これが『戦争終結の正義』と米国の主張に人間性を疑わざるを得ない。
正義を語る前に、米国民が熱風で解け落ちた浦上天主堂のマリアの目をしっかりと見ていただきたい。
戦後、日本はGHQの633教育の押しつけと共に”過去を遺物化し未来思考”という線引き文化が蔓延ってしまった。
だから、平気で原発が作られる。
二度と同じ過ちを犯さないのが学習能力である。
『核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務める。』と明言していながら、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加できない政策にうんざりである。
実に情けない。
それこそ線引きして、アレはアレ、是は是と何故言えないのか。
官僚が鉛筆を嘗めてこさえた当たり障りのない総理の言動に、むしろ、当たり障りを感じてしまうのは愚僧だけかな。
世界のリーダーシップなんて遠い話だ。
何者にも怖じけず、ノーとイエスが明言できるのが国家だとすれば、うかつに他国を非難できないな。
サンライズ
自坊の藤棚にキジバト(山鳩)の巣が見える。
手が届きそうな位置だ。
キジバトの雛はカラスの餌食になることが多いので人間の生活圏に巣を作る。
傍を通っても、動こうとしないので卵を抱いているに違いない。
雛がかえるのを楽しみにしていたのだが、今朝方、野良猫が巣によじ登るのを目撃した。
何とも止めようがなかった。
当然、親鳩は逃げ去り、地面に卵が落ちて割れてしまった。
割れ目から羽化寸前の雛の姿が見える。
むごたらしくて、ひとりでに手が合わさった。
あまりにも可哀想なので卵を埋め埋葬させていただいた。
最早、卵は無いのに周辺をうろつく親鳩の様子が気の毒でならない。
うつろな目で愚僧を睨んでいる。
『私じゃないよ!』と呟く。
それにしても憎くたらしいのは野良猫野郎だ。
自然界の弱肉強食を目の当たりに見せていただいた。
人間界もあまり変わらんがな。
サンライズ
『ねずみ』と名付けたかった野良猫のムーが逞しく育ってきた。
ガリガリで死にそうなところで長男に拾われてきたムー。
アメリカンショートヘアーの血を引くムーの動体本能は半端じゃない。
通常の囲いでは対応しきれない。
可哀想なので、先日、はじめて放し飼いにしてやった。
まあ、嬉しそうに我が書斎と廊下を行ったり来たり。
執務に集中していたが不穏な感がよぎった。
後ろを見るやゴミの海。
ティッシュをボロボロに解して、一帯がゴミだらけ。
まあ、仕方がない。
ティッシュを放置していたのは愚僧なんだから。
やられちまったなー。
サンライズ
まさに、集中力が欠落している。
一つの行動をしていても、途中に五感から入ってくる他のことが気になり、それも処理しなければと思ううちに本来の目的を忘れてしまう。
いよいよ、脳動脈硬化症(Cerebral Arteriosclerosis:セレブラル アルテリオスクレロージス)のはじまりだ。
皆、60を過ぎれば大なり小なりの脳動脈硬化症を煩っているのである。
いきなり、ひどい健忘症に陥ることもある。
ガスコンロに火を付けて、他のことをやっているうちに焦げ臭くなってから気付く。
折角のご馳走が焦げ焦げだ。
『やらねばならん!』と思い込んで行動しているつもりだが、よく考えれば、どうでもよいことが多い。
ゴルフをしても80代前後もあれば、いきなり100も叩く。
これって、何なのかうまく理解できなーい。
おしなべて分析するに集中力が欠落しているのだろう。
いま、自分しか出来ない事に全力を傾けて集中する。
多分、それが欠落しているのだろう。
結果は結果でしか。
サンライズ
人が人と成る。
いや、成らねばなるまい。
こんな単純な道を歩めないのが人間なのである。
つまり、世の中全体を仕切っているつもりが、人間のつもりをした動物でしかないのだから困ったものだ。
勿論、環境というか、人間界のご縁は尊重すべきこと。
江戸時代の歌人は、『浮き世』という一言でうまく表現なさった。
今や、この世は有りもしないつもりの中で、うぬぼれだらけで形成されている。
この、愚僧すらもその範疇の筆頭に等しい。
眠たいところで目が覚めようとして、また、寝てしまうのと同じである。
『目覚め』というご縁はどこにでも転がっているのだが、なかなか目覚めない。
そこには、どうしようもない己がある。
それはそれとして諦めるかどうかでもある。
人間と言えども、生まれたときは唯の動物でしかない。
オオカミに育てられればオオカミになる。
勿論、釈尊も親鸞聖人も生まれた時は、ただの動物であった。
姿や形の問題ではない。
発明社会はどこかで滅び、ご縁だけでは解決できない問題が残る。
こんな己を『ごめんなさい!』、『救いたまえ!』というのがあっていいような気がする。
もう一度原点に立ってみようではないか。
どうだ!!
サンライズ