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ひのきょうのブログ

このブログは、滋賀県内の真宗寺院を預かる愚僧のブログです。

このブログで、世の中の道理と無理を顕かにしていきたいと思います。

 よろしければ、ご意見、ご相談などお寄せください。


        なむあみだぶつ ・・・ 合掌


先日、『神や仏を信じるか?』というアンケート記事が新聞に掲載されていた。
 
『はい』と応えているのが約60%で、『いいえ』が40%だった。
 
さらに、『信仰している宗教があるか?』」という問いに、『ある』と応えているのが15%で、『ない』が85%だった。
 
まあ、こんなもんだろう。
 
古来より、日本は”八百万(やおよろず)の神々が存在する国”と言われてきたように、困ったときの願い事や儀式が宗教だと勘違いしている人は少なくない。

かつて、愚僧が在学していた仏教学部は、寺の息子や僧侶を目指そうとする者ばかりではなく、在家者もいたし、女性や外国人留学生もいた。
 
ある日、アメリカの留学生が在家日本人学生に『あなたの信仰している宗教は何か?』という問いに、『仏教だと思うが、信仰の意味がよくわからない。』とか、『仏教だったと思うが、両親がやっていて私は関与していない。』などという返答に、そのアメリカ人学生は腰を抜かすほど驚いていた。
 
そして、『それは、とても恥ずかしいこと!』という指摘は、僧侶を目指そうとする愚僧にはきつかった。
 
また、『社会性モラルの善悪が宗教』と勘違いする学生もいた。
 
宗教は、願い事に明け暮れ、困ったときに助けてもらえるような都合の良い特効薬でもなく、人間が思考できる善悪の世界でもない。
 
道徳を否定する気はないが、宗教は道徳であってはならない。
 
『良かれ』と思った行為も、『悪しき』結果を招くことは多々多い。
 
自らが努力しようとも、非道徳な振る舞いしかできない己自身が救われていく道が宗教でなければならない。
 
つまり、『部分的なお助け』ではなく、『苦悩を抱える自身がそのままの相(すがた)で救い取られていく世界』でなければならないのである。
 

サンライズ

残暑お見舞い申しあげます。

 

今年の永代経法要は、講師に藤本正人師をお迎えします。

 

師は済生会滋賀県病院に17年間在籍された元脳神経外科部長で、第三次救命の指定に大きく貢献されたお医者さんです。

 

当時、ある病院との競り合いで医師陣を纏めてくださった救命救急の礎でもあります。

 

現在は、脳神経外科のメスを置き、総合診療医として兵庫県山奥の無医村で頑張っておられます。

 

今回は、師の体験を通し、家庭におけるプライマリーケア(初療期医療)に関するお話しをして頂く予定です。

 

 

 ・ 日 時   平成29年8月27日(日)午前10時より
 ・ 場 所   佛眼寺本堂
 ・ 講 題   過疎の村での医療経験(90分、質疑応答)
 ・ 講 師   藤 本 正 人  師(豊岡市 資母診療所長)

 

                              

 

                                合掌 釋教順

 

 

 

 

 


一体、この店どうなってんだ。


責任者は誰だ。

 

いろいろと有るようで、無いようで。

 

蓋を開ければ、責任者の問題でもなさそう。

 

やはり、現実と向き合うしかない。

 

『しょうがない』という思いは己の感性。

 

背景に己が鎮座していた。

 

やはり敵は己か。

 

しようがないな。

 

 

サインライズ

 


ご縁には、人間にとって都合の良いご縁もあれば、都合の悪いご縁もある。

 

おしなべてご縁である。

 

安易にご縁から逃げることはできない。

 

 

お盆に家族一同が揃って正信偈をお唱えする。

 

お念仏の教えを教化くださった親鸞聖人をはじめ、念仏を相続くださったご先祖方を偲び、今を生きる私達が仏法を聞信する。

 

そして、”いのち”について考える。

 

さらには、それを次世代へ伝えていく。

 

これはまさに勝縁そのもの。

 

この上ないご縁である。

 

 

サンライズ


昨日、被爆者代表の深堀さんが、18歳の姉の遺体を母と妹で荼毘に付したと訴えた。

 

『呉や長崎の軍事施設を狙って投下した。』という米国の主張は言い訳にもならない。

 

その威力から市民が巻き添えになるのは百も承知の上だった。

 

これが『戦争終結の正義』と米国の主張に人間性を疑わざるを得ない。

 

正義を語る前に、米国民が熱風で解け落ちた浦上天主堂のマリアの目をしっかりと見ていただきたい。

 

戦後、日本はGHQの633教育の押しつけと共に”過去を遺物化し未来思考”という線引き文化が蔓延ってしまった。

 

だから、平気で原発が作られる。

 

二度と同じ過ちを犯さないのが学習能力である。

 

『核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務める。』と明言していながら、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加できない政策にうんざりである。

 

実に情けない。

 

それこそ線引きして、アレはアレ、是は是と何故言えないのか。

 

官僚が鉛筆を嘗めてこさえた当たり障りのない総理の言動に、むしろ、当たり障りを感じてしまうのは愚僧だけかな。

 

世界のリーダーシップなんて遠い話だ。

 

何者にも怖じけず、ノーとイエスが明言できるのが国家だとすれば、うかつに他国を非難できないな。

 

 

サンライズ


自坊の藤棚にキジバト(山鳩)の巣が見える。

 

手が届きそうな位置だ。

 

キジバトの雛はカラスの餌食になることが多いので人間の生活圏に巣を作る。

 

傍を通っても、動こうとしないので卵を抱いているに違いない。

 

雛がかえるのを楽しみにしていたのだが、今朝方、野良猫が巣によじ登るのを目撃した。

 

何とも止めようがなかった。

 

当然、親鳩は逃げ去り、地面に卵が落ちて割れてしまった。

 

割れ目から羽化寸前の雛の姿が見える。

 

むごたらしくて、ひとりでに手が合わさった。

 

あまりにも可哀想なので卵を埋め埋葬させていただいた。

 

最早、卵は無いのに周辺をうろつく親鳩の様子が気の毒でならない。
うつろな目で愚僧を睨んでいる。

 

『私じゃないよ!』と呟く。

 

それにしても憎くたらしいのは野良猫野郎だ。

 

自然界の弱肉強食を目の当たりに見せていただいた。

 

人間界もあまり変わらんがな。

 

 

サンライズ


『ねずみ』と名付けたかった野良猫のムーが逞しく育ってきた。

 

ガリガリで死にそうなところで長男に拾われてきたムー。

 

アメリカンショートヘアーの血を引くムーの動体本能は半端じゃない。

 

通常の囲いでは対応しきれない。

 

可哀想なので、先日、はじめて放し飼いにしてやった。

 

まあ、嬉しそうに我が書斎と廊下を行ったり来たり。

 

 

執務に集中していたが不穏な感がよぎった。

 

後ろを見るやゴミの海。

 

ティッシュをボロボロに解して、一帯がゴミだらけ。

 

まあ、仕方がない。

 

ティッシュを放置していたのは愚僧なんだから。

 

やられちまったなー。

 

 

サンライズ


まさに、集中力が欠落している。

 

一つの行動をしていても、途中に五感から入ってくる他のことが気になり、それも処理しなければと思ううちに本来の目的を忘れてしまう。

 

いよいよ、脳動脈硬化症(Cerebral Arteriosclerosis:セレブラル アルテリオスクレロージス)のはじまりだ。

 

皆、60を過ぎれば大なり小なりの脳動脈硬化症を煩っているのである。

 

いきなり、ひどい健忘症に陥ることもある。

 

ガスコンロに火を付けて、他のことをやっているうちに焦げ臭くなってから気付く。

折角のご馳走が焦げ焦げだ。

 


『やらねばならん!』と思い込んで行動しているつもりだが、よく考えれば、どうでもよいことが多い。

 

ゴルフをしても80代前後もあれば、いきなり100も叩く。

 

これって、何なのかうまく理解できなーい。

 

おしなべて分析するに集中力が欠落しているのだろう。

 

いま、自分しか出来ない事に全力を傾けて集中する。

 

多分、それが欠落しているのだろう。

 

結果は結果でしか。

 

 

サンライズ
 


人が人と成る。

 

いや、成らねばなるまい。

 

こんな単純な道を歩めないのが人間なのである。

 

つまり、世の中全体を仕切っているつもりが、人間のつもりをした動物でしかないのだから困ったものだ。

 

勿論、環境というか、人間界のご縁は尊重すべきこと。

 

 

江戸時代の歌人は、『浮き世』という一言でうまく表現なさった。

 

今や、この世は有りもしないつもりの中で、うぬぼれだらけで形成されている。

 

この、愚僧すらもその範疇の筆頭に等しい。

 

眠たいところで目が覚めようとして、また、寝てしまうのと同じである。

 

『目覚め』というご縁はどこにでも転がっているのだが、なかなか目覚めない。

 

そこには、どうしようもない己がある。

 

それはそれとして諦めるかどうかでもある。

 

 

人間と言えども、生まれたときは唯の動物でしかない。

 

オオカミに育てられればオオカミになる。

 

勿論、釈尊も親鸞聖人も生まれた時は、ただの動物であった。

 

姿や形の問題ではない。

 

発明社会はどこかで滅び、ご縁だけでは解決できない問題が残る。

 

こんな己を『ごめんなさい!』、『救いたまえ!』というのがあっていいような気がする。

 

もう一度原点に立ってみようではないか。

 

どうだ!!

 

 

サンライズ


39年前の愚僧の結婚式では、式の翌日に自坊境内にてガーデン披露宴を行った。
 
当時としては斬新な企画で、ケーキ入刀の代わりに二人で自坊の鐘を撞かせていただいた。
 
真っ昼間の梵鐘の音色は比江十方に響き渡った。
 
今回の息子達の結婚式でも鐘を撞かせたかったが、現在、鐘楼堂を新築改修しているためその想いは叶わなかった。
 
そんなことから、第12回ヤマハポプコンで見事にグランプリを獲得した西田恭平作(ホワイトハウスⅡ)の『鐘』を食事会で披露させていただいた。
 
ギブソンJ-45がシャンシャンと鳴り響き、♪今、光る大空に~打ち鳴らせ~幸せの鐘を・・・~と歌った。

西田恭平といえば、知る人ぞ知る40年以上前に九州出身でスーパースターとして一躍、名を轟かせたミュージシャンで長渕剛の先輩格に当たる。

数奇な作品であるため、リリースされていないと思い、自慢げに披露したのだが、何とこの曲を知っている人がいたのである。
 
それは、妻の弟嫁だった。
 
当時、仏大で『同級生だった』とのこと。
 
驚きの中の驚嘆である!!
 
世の中は狭いものだ。

今年の除夜の鐘は、是非とも”両夫妻で撞かせよう”と思っている。
 
よかったら、ネットに収載されているので、”西田恭平とホワイトハウスⅡ:鐘”で検索してくれたまえ。
 
フォーク離れしたいい曲ですぞ!!
 
 
サンライズ