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ひのきょうのブログ

このブログは、滋賀県内の真宗寺院を預かる愚僧のブログです。

このブログで、世の中の道理と無理を顕かにしていきたいと思います。

 よろしければ、ご意見、ご相談などお寄せください。


        なむあみだぶつ ・・・ 合掌


お隣の方が亡くなられた。

愚僧より7歳年上でお兄さん的存在だった。

隣り三軒家ということで、親戚以上のお付き合いをしてきた。

若い頃にご両親を亡くし、進学断念を余儀なくされ、一家の大黒柱として仕事一筋に頑張ってこられた。

晩年は無理が重なってか肝臓を壊し、加えて大腸も胃も摘出された。

お見舞いに行った時も、ゴツゴツとした手で握手してくださり、自分をさておいて愚僧を気遣う心優しい方だった。

見た目は無骨そうで口数は少なかったが、実によく働き、常に病弱な奥様さんを労ってこらえた。

その奥さんは今も入院中だ。

かける言葉が見つからない。


毎年、この頃になると『沢庵漬けておいたわ!』と、2~3本ならず一桶くださった。

『我々は難しいことは解りませんので、ご院さんよろしく頼みます。』がいつもの口癖だった。

読経中に胸がつかえて涙が止まらなかった。

お世話になりました。

ありがとうございました。

諸仏のお一人として煩悩深き我等を照護したまえ。

南無阿弥陀佛


サンライズ

ある責任者会議の一コマである。

それは、次年度の予定を立てる大切な会議だった。

そして最後は懇親会で締めくくられる。

予め円滑に流れるよう事前に議題を通知しておいた。

従って、殆どの出席者は次年度の予定を立てて参席してくださっているのでスムーズに事は運んでいった。

ところが、1名だけは『家に帰って再度相談しないと応えれない。』と言い出す。

思わず、『その相談は会議の前に家でして来い!』と云ってしまった。

『家には更に偉い責任者がいるのか?ならば、その者が出席すべきではないのか?』などと考えてしまわざるを得ない。

1ヶ月以上も前から事前通知しているので事前に相談してから参席すべきところである。


たった一人のために中味が決まらない。

腹が立つと云うよりも、『あんた、何しに来やはったん?』としか云いようがない。

つまり、
 ・ 何を目的として参席した会議なのか。
 ・ 他の立場と自分の立場はどうなのか。
 ・ 自分は何を話せば適切なのか。
が失せている。

厳しい表現で申し訳ないが、こうした思考が宿せない育ちだったのだろう。

結局のところ、一人の責任者らしい責任者は、『夕ご飯を食べに来やはった。』だけだった。

まあ、いつものことだがな。


サンライズ

夜半、施錠して寝ようとすると何かしら聞こえてくる。

トイレからだ。

母のフリーバリア室とダイニングとは車椅子トイレで繋げている。

そーとドアを開けてみた。

か細い声で『助けてくださーい!』と母が頭を抱え込んでいた。

自分で立ち上がろうとしてオイルヒーターの角で何度も頭を打ったらしい。

すぐに傷口を確認したが縫うほどの怪我でもなく、前後の記憶もクリアだったので一安心。

結果、剃毛消毒して圧迫絆創膏で処置させていただいた。


危ないので介助しようとするが、96歳の母はそれを最も嫌う。

洗濯も乾燥も全部自分でやってのけるから驚きだ。

何でも一人でやろうとするのはありがたいが、時々、ヘルプが出る。

むしろ、『自分でやろうとする意志を尊重すべき』と好きにしてもらっている。

施設入所していても転倒事故はおきるし、玄関に忌中札を貼り付けたところで死者は出るときには出るものだ。

『おおっ、譬えが悪すぎるか!』

まあ、多少の怪我は仕方がないとしよう。

早速、呼び出しSWを壁の下部に取り付けた。

万一、倒れても意識があれば押せるが無ければそのままとなる。

羞恥心が強くて、『一緒にトイレ』というわけにはいかない。

一人でやろうとする気持にエールを贈りつつ、暫くは要注視だ。


サンライズ


歴代門主のお手紙(佛光寺御勧章)の中に『輪廻のふるさと』というお言葉が出てくる。

この表現は、本派(西本願寺)でも大派(東本願寺)でも同じ表現が使われている。

インドから永い旅路を経て日本に仏教が伝わったが、その経過において六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)への転生は、大乗仏教の中でも已然として克服できない問題であったと思われる。

つまり、浄土往生のために自力の修行を是とする一方で、六道思想そのものが自力の修行の必然性を裏付けていたような気がしてならない。

しかし、『輪廻のふるさと』という表現があるということは、最早、輪廻はふるさとであって、それを乗り越える阿弥陀さまの救いの手立てを親鸞聖人が解りやすくお説きくださったのである。

また、この表現は浄土往生を根拠付ける証でもある。

このように、御勧章の一言ひとことから浄土教のふるさとを伺い知ることができる。


サンライズ


摂取というとすぐに思い浮かべるのがカロリー摂取である。

『摂』も『取』のどちらも『とる』という意味があり、今様の理解では『栄養物などを体内に取り入れること。』である。

しかし、仏教で云うところの摂取には、『救い摂る』という意味がある。


人間が亡くなられた後、中陰の49日間に死者の六道行きを決める裁判が開かれるらしい。

裁判官の中でも最も厳しくて有名なのが閻魔大王らしい。

そして、裁判は罪状認否から始まり、エンマ帳に記載された記録が一つひとつ確認されていくという。

誰かのように『記憶にございません。』と惚けてみても再現ビデオやウソ発見器で罪の一切が暴かれていく。

そこで、家族をはじめ親戚縁者は、『どうぞ助けてやってください。』と七日毎に追善供養をおこなって情状酌量の判決を願うのである。

つまり、『人の成せる業で人を救おう。』ということである。

しかし、その結果は惨憺たるもので、どうあがいたところで『地獄行きの判決は間違いなし』なのである。

そんな救われようのない私達のために、阿弥陀さまはとてつもなく長い時間(五劫)をかけて思惟してくださった。

つまり、『裁判では到底勝ち目はないだろう。だったら、裁判が開かれる前に救い摂ってしまおう。』と考えてくださったのである。

往生即浄土行きの『スーパー成就号』だ。

地獄に堕ちるしかない煩悩具足の私達を『そっくりそのままお浄土へ生まれさせよう。』と救いの手立てを成就してくださったのである。

それが、お念仏(南無阿弥陀佛)という相(すがた)で、今、私達に振り注がれているのである。


サンライズ


愚僧は料理が好きなのでいつも包丁を研ぎすましている。

ギザギザ包丁で切った刺身は切れ味が悪く生臭くなる。

先日も坊守が指を切ってしまった。

愚僧の怠慢で包丁を研いでいなかったのだ。

坊守は、『危ないから研がないで!』と云うが、これは逆の発想だ。

切れない包丁で切ろうとするから余計な力がはたらく。

その結果、怪我をするのである。

でも、切れ味鋭い包丁は丁寧に使おうとするから怪我をしない。

したがって、生半可な包丁ほど怪我をするのである。


まあ、愚僧の勝手な解釈だろうが仏法も同じだ。

頭を下げようとすると、そこには下げようとする自力がはたらく。

感心しないお話しに拍手するほど辛いものはない。

しかし、切れ味鋭いお話しは独りでに頭が下がる。

そこに自力は作用しないのである。


サンライズ


今日はちょっとしんどかった。

その理由は証せない。

でも、多くの人が喜んでくださった。

実に、ありがたいことである。

結果、喜ばねばなるまい。


サンライズ

第30代佛光門主、歓喜殿院釋真承上人、俗名渋谷彰さまの三回忌法要がしめやかに本山奥向で勤修された。

本山奥向の御殿に入らせていただくのは三回目だ。

初回は真承上人が新門主に即位された頃、まったくのプライベートで招かれた。

滅多に御殿には入れるものではなかったが、恐れ多くも、高校、大学と席を並べた仲であったからだろう。

他の級友とは口を交えず、私にだけはよくお話しくださった。

物腰が柔らかく、実に優しい口調が忘れられない。

そして、二回目は遷化なさった翌日の早朝、納棺の前に出遭わせていただいた。

それが娑婆最後で、普段とまったく変わらないお姿であった。

三回忌というのに未だに信じられず、この事実を受け入れていかねばならない愚僧が読経の中に埋もれていた。

法要は午後三時に終わり、同世代の住職等とともに高島屋七階の和風料理屋で後座が営まれた。

わざわざ、熊本から駆けつけてくれた級友もいてお話しは尽きない。

さらに、一杯機嫌で祇園四条まで足を伸ばし、定番通りのカラオケ三昧となった。

そこでも、真承上人の十八番だった歌が出てきた。

やはり、上人はその場にも来てくださったのである。

自坊に着いた頃、すでに日が変わろうとしていた。

そして、ありし日を訪ねつつ、お念仏を口ずさむ愚僧であった。


サンライズ


今日は、本山仏光寺にお参りだ。

高校、大学の級友であった第30代仏光門主真承(しんじょう)上人のご命日法要が勤まる。

上人は享年60歳半ばにして、本山西教寺において修行中に急逝された。

このご遷化を悼み、末寺の同世代等が集まって亡き上人を訪ねる。

名づけて五日講だ。

勿論、法要後は近くの料亭で一杯がある。

まあ、上人を訪うとともにそれをご縁として仲間同士が親睦を重ねる会でもある。

久々の飲み会なので無理のないよう努めたいものだ。


サンライズ


鐘楼の屋根板がひどい状況となっている。

昨日、宮大工さんに見てもらった。

屋根だけかと思いきや、石垣の基礎も弛み、屋根も腐食し、骨格も利いていないとのこと。

鐘楼全体が老朽化しているのだ。


幼少の頃は釣り鐘の変わりに畚(もっこ)がぶら下げられ、中に大きい岩が吊されていた。

そうでもしなきゃ風で屋根が吹っ飛ぶからだ。

戦争で供出を余儀なくされたのは拙寺だけではない。

現在の釣り鐘は昭和30年に鋳造されたものだ。

勿論、何の補助もなく自前で。

それ以降、毎日のように里の夕刻を知らせてきた。

夏場は18時、冬場は17時だ。


何でも同じことだが、使い切るから意味がある。

使い古せば劣化するのは当然のこと。

さて、どうするかは今後の課題だ。

ただ、『古くなったから・・・』だけでは何をやるにしても意味がない。

人間も同じだろうな。


サンライズ