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ひのきょうのブログ

このブログは、滋賀県内の真宗寺院を預かる愚僧のブログです。

このブログで、世の中の道理と無理を顕かにしていきたいと思います。

 よろしければ、ご意見、ご相談などお寄せください。


        なむあみだぶつ ・・・ 合掌


最高に難しい法話とは、子供達への法話だ。

これが上手くこなせれば大したものと言えよう。

毎年、『地蔵盆こどもの集い』の法話が一番難しい。

先ず、僧侶たるものは仏法を伝えなければならないという先入観が強い。

この先入観を捨てない限り、法話は始まらないのである。

そして、対象はとても騒がしい。

横向いたり、寝転んだり、後ろ向いてじゃれ合っている。

合掌と掛け声を掛けても手を合わす子供は少ない。

頭の中は、お菓子、景品、ゲームで一杯なのだ。

従って、お話しではなく質問に切り替える。

そこで、『これなーに!』と数珠を見せる。

『おじゅず』と応える子もいれば、『うでわ、わなげ・・・』と応える子もいる。

でも、聞くことによって目先が愚僧に移るのである。

そして次に『何に使うものかな?』と聞く。

応えはさまざまで面白いが、ここまでくればしめたものである。

しっかりと、その意味と使い方を伝える。

そして、最後に合掌してお話しを終えるのである。


サンライズ


いやー、ブログ更新が歯抜けになって申し訳ない。

身も心もタバタしている昨今だ。


いよいよ、19日の土曜日は前住職の壱周忌である。

葬儀にお世話になった方々を招待して壱周忌法要を営む。

ざっと、招待法中は5人、親戚法中が5人、親族法中が3人の計13人だ。

これに一般参詣者30名を加えて総計約45名。

僧侶が亡くなるとこうなるのである。

この辺が一般とは違うところかな。

まあ、一寸した葬儀式だ。

いや、僧侶の数からすればそれ以上かも知れない。

しかも、前住職は生前から外食を嫌っていた。

『本来、お齊は佛間で行うべき!』を主張していた。

従って、すべてのお持てなしは、本堂・書院・庫裏を使ってお食事を提供させていただく。

お手伝いの方々も必然となる。

準備だけでも大変。

料理屋さんも大変。

『今しかできないことを今こそやれ!』と諭されているような気がしてならない。

来年は参回忌。

でも、前住職の壱周忌はもう訪れることはないのである。


サンライズ


真宗は形式には拘らない宗派だ。

しかし、門徒さんのお内佛へのお参りには一定のルールがある。

先ず初めに、僧侶は『玄関からは上がらないもの』と教わった。

最近のお家は四八(八畳四間)造りが少なくなり、そうもいかないがこれが原則のようだ。

お家の庭の前栽をじっくりと観賞してから仏間に最も近い縁側より入らせていただく。

外と佛間を繋ぐのが縁側だ。

そして、縁に上がり座って草履を揃える。

座ったまま廊下戸を閉め、両手で佛間の障子を開ける。

そして両手で静かに障子を閉める。


佛間に入って、一番の作法は正座してお佛壇に合掌する。

お佛壇に合掌するまでは誰とも挨拶しないのが原則である。

次に当主に挨拶、続いて参詣者に挨拶となる。

『何と、愛想が悪く態度のでかい坊主やな!』と勘違いされるかも知れないが、これが正しい作法なのである。

そして参詣者の方々も、いきなり『皆さん、こんにちわ!』では行儀がない。

まず最初にお内佛に合掌し、僧侶、当主、参詣者の順にご挨拶するのが正しい。

況してや、僧侶より遅れてくるなんてもってのほかである。

帰りの際もまた同じ作法となる。

これは、坊主が偉いわけではなく、仏事の作法であり日本の文化なのである。

最近はこうした儀礼作法が忘れ去られようとしている。

恥をかかないためにも知っておいて損はない。


サンライズ

自身は理解していても、わざと大衆の前で質問する場合がある。

自分の考えが正しいかどうかを確認する意味と、もう一つは自分が語るよりも他人から応えていただく方が周知効果が大きいという場合に使うテクニックである。


若かりし頃の親鸞聖人にも『信行両座』というエピソードが残っている。

ある時、親鸞聖人は法然上人のお許しを得て、『信の座(信不退)』と『行の座(行不退)』の座を二つに分け、『浄土に生まれる最も大事な因はどちらか?』と門弟達に問い質した。

「信不退」とは弥陀の本願を信じるだけで不退転が得られることをいい、「行不退」とは本願を信じてさらに念仏を称える行を積まなければならないとする考え方である。

そこで、殆どの門弟達は行の座に着いたが、高弟の信空、聖覚は信の座に着き、遅れてきた熊谷蓮生房も信の座に着いた。

そして、親鸞聖人は信の座に着座し、一同が着座してざわめきが鎮まった後、法然上人はおもむろに『私も信の座に着こう。』と言って『信の座』に座られたということである。

 つまり、親鸞聖人は、『弥陀の本願を信じ賜ることこそが往生の因』と質されたのである。


サンライズ

前住の一周忌が近いというのに已然と体調がスッキリしない。

残熱感があって腰がだるく気が乗らない。

まあ、風邪とはこんなもんだ。

しっかり体を休めろという信号だろう。

昨年は前住の葬儀によりすべて中止となったが、今年は除夜の鐘撞きや元旦には修正会法要を勤修する予定だ。

ぼちぼち、賀状の準備でもするかな。


サンライズ


仏事において『揃う』とはどういうことなのか。

つまり、『揃っているのは何か。』ということである。

お供え物、お花、仏具の配置。

さらにはお齊(と)きなど、『そんなことはどうでも良い。』と云えばお叱りを喰らうかも知れない。

勿論、その家や宗派によっても異なってくるだろう。

場所を変えれば、『丁・半揃いました。ようござんすか?』というのもある。

われわれ僧侶の正式な本堂出仕は、三管が揃ってから入道となる。

雅楽でいう笙(しょう)、竜笛(りゅうてき)、篳篥(ひちりき)の三管音が揃ってから入堂するというのが原則だ。

『揃う』というのはいろいろとあるけれど、やはり仏事においては参詣者なのである。

参詣くださる方々(お同行)がおられて初めて成り立つ。

そしてヒーローは如来さまでもなく故人でもない。

如来さまや故人は仏縁を繋いでくださる方々である。

ヒーローは今を生きる参詣者ひとり一人なのである。


サンライズ


先週は空風がきつく、案の定、風を引いてしまった。

おそらく、その一週間前には感染していたのだろうが、原因が特定できないので風のせいにしてしまっている。

んな訳で、一日、ブログが飛んでしまった。

坊守も倒れ、息苦しがって何も出来ない。

加えて、法務が慌ただしい週末だった。

他宗派の法事にも参加させてもらい、後のご法話を楽しみにしていたのだが、途中でうたた寝してしまった。

しかし、これは風邪のせいではない。

まず、作法がやたらと長いのでこれだけで疲れてしまった。

恐れ多くも、中味は教学にもとづくお話しだったが、上から目線の一本調子では疲れがくる。

喩え話も自身の味わいが伴っていないので感動は伴わない。

法話の善し悪しは最初の10分で決まってしまうから怖い。

『さらに聞きたいか、もう良いか。』のどちらかに別れるのである。

『もう良い。』と思った瞬間、後の時間は苦痛に変わる。

疲れたけれど、『耐える。』という達成感だけの収穫は残った。


サンライズ


愚僧が幼稚園ぐらいの時だった。

祖母の叔父が訪問していて、祖母と親しくお話しされていた。

叔父は、元帝国陸軍大佐だったらしい。

明治初期生まれというのもあって凄く厳格で、真面目一辺倒が服を着ているような人だった。

ところが、愚僧は子供心にふざけて破れ障子の隙間からオモチャの刀を突き出してしまったのだ。

すぐさま、『お前は、何という育て方をしているのか!』と厳しく祖母を責めたてた。

反論できずに、ただ謝り続ける祖母の姿が痛たましかった。

その叔父は、一切、愚僧を叱らずに祖母だけを厳しく叱ったのである。

愚僧は、幼いながらも申し訳なさに晒されていた。

つまり、連帯責任というやつだ。

あの祖母に対する異常な反応は何だったのか。

過去の洗脳という誤った教練に後ろめたさを感じていたのか。

つまり、自分に対する反省だったように思えてならない。

今になって考えると、オモチャと判っていても単純に刀を見るのが嫌だったのだろう。

奥深いものを感じずにはいられない。


サンライズ

犬や猫にも生・老・病・死は訪れる。

しかし、彼らはこれらを苦とは思わない。

避けようともせず、ひたすら生きている。

ただ、人間だけが苦としているのである。

では、何が苦と思わせるかだ。

そう、私(我)なのである。

お釈迦さまの出家は、この『私という実態探し』から始まった。

しかし、6年間の苦行において徹底的に私を痛めつけても意識朦朧となるだけで、私という実態は見つからなかった。

その実態が見つからない限りは滅することもできないのである。

ただ、因縁正起だけが存在するといういうこと気づかれたのである。

つまり、『すべては、縁によって生じ、縁によって消滅する。』である。


今を生きる私たちは、『こんな、私であった。』ということを知るところからすべてが始まるのである。

ここらへんが、犬や猫とは少し違うところかな。


サンライズ


ただいま、いただいた旬野菜の消化中である。

『えっ、野菜で出汁?』と頭を傾げる方がいるかも知れないが、白菜は結構、良い出汁がでる。

それに利尻産の昆布。

さらに、天然塩を合わせればもうこれで充分だ。

さあ、今夜も鍋にしよう。


サンライズ