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ひのきょうのブログ

このブログは、滋賀県内の真宗寺院を預かる愚僧のブログです。

このブログで、世の中の道理と無理を顕かにしていきたいと思います。

 よろしければ、ご意見、ご相談などお寄せください。


        なむあみだぶつ ・・・ 合掌


最近のバラエティ番組というのは無茶苦茶だ。

度が過ぎて節操がなさすぎる。

多いのが幽霊物や悪魔払いなど、いきなり地面から手が出てくるシーンもある。

『何だこりゃ!』というよりも『あり得ない』映像である。

一昔前なら驚いただろうが、今はCG操作で何とでも合成できる。

究極のところ、視聴率をあげるためいかにリアリティに見せるかの騙し合い合戦となっているようだ。

こんなんが、茶の間のゴールデンタイムを牛耳っている。

先日、NHKの番組に苦言を申し述べたが、民放も真面目にやっていただきたい。

本来、バラエティという意味は、『変化』とか、『多様性』を言うのだが、一足飛びに何でもありの状況はいただけない。

例えば、旧ソ連で起きた『ディアトエフ峠事件』など、サイエンスの面から検証していただきたいな。


まだまだ、世界中には不思議な未解決事件は多数ある。

そこに、視聴率のためにと根や葉をくっつけて欲しくない。

見た目の驚嘆よりも、深く考えさせられる番組が欲しい。


テレビに向かってブツクサ申す愚僧に坊守から一言。

『だったら、見なきゃいいでしょう!』

『はい!』そのとおりでした。


サンライズ


境内の松の所々にマツケムシが発生している。

昨年の秋にも大量発生した。

彼らは越冬できる能力がある

やはり、卵を産み付けられていたに違いない。

毒を持っているので刺されるととても痛痒く、遊びに来る子供達にもよろしくない。

そこで、有機リン系の殺虫剤がよく効くらしいが、愚僧はあの臭いだけは我慢ならん。

LPGのような人体に悪影響しそうな臭いだ。

仕方がないので、ここ数日、ピンセットで毛虫を駆除している。

そして、最後は地面に穴を掘って埋める。

毛虫もいずれは土に帰るのである。

少々、違うところは『愚僧がその因果を早めてしまった!』と受け止めている。

最も原始的だが合理的なやり方だと都合良く受け止めている。

申し訳ないが、マツケムシ自身が害虫だと認識していないところが愚僧の都合だろうな。

マツケムシも精一杯生きようとしている。

最早、愚僧も地獄行き間違いなしだ。

なまんだぶつ、ナマンダブツ。


サンライズ


新たに、朝の連ドラ『とと姉ちゃん』が始まった。

雑誌『暮しの手帖』を創刊された大橋鎭子(おおはししずこ)さんという実在の女性をモデルに作られたドラマとのこと。

いきなりの初日だったと思うが、家族で食事するシーンが放映された。

家族が揃い、朝食の前に全員が頭をさげ、『いただきます。』と声を発した。

場面は大正末期から昭和初期にかけてのシーンのように思えたが、当時、頭を下げての『いただきます。』はあり得ない。

どう考えてもおかしい。

何故、普通の日本家庭の姿が放映できないのだろう。

こんな、ばかげた番組制作をしているのは日本国だけだろう。

キリスト圏域、イスラム圏域では、日本の『合掌、いただきます。』以上に、食事の前には神の恵みに感謝してお祈りが行われるのが通常だ。

これは、その国の歴史であり、文化なのである。

放送倫理において、『合掌は教育上よろしくない。』というアカデミックな教育者からの批判を恐れているのだろうか。

これは、放送倫理以前の問題である。


ある、幼稚園では食事の前に先生が笛を吹いて食事の号令をかけるという。

園長は、『斬新なやり方』だと自慢げに語られていた。

曲芸のライオンやオットセイじゃあるまいし、何とも情けなく惨めでしかなかった。

園児達は、どうアクションして良いのかわからない様子だった。

こんなことしか思いつかない状況に、思わず失笑してしまった。

『何が斬新だ!』。 もうちょっと、真面目にやれっ。


サンライズ

 
自衛隊の飛行機が、昨日から行方不明とのこと。

現在、血眼で捜索が続いているとのことだが、乗組員全員が無事発見されることを念じている。


ところで、マレーシア航空370便も未だに消息不明だ。

これって、皆さんおかしいと思われんか?

カーナビで車はピンポイントでキャッチ。

徘徊者も即座に発見。

絶滅危惧種の動物もGPSを活用して生態調査が行われている昨今である。


今や、何でも追跡できるこの時代に、航空機だけが発見できないのは驚くべきこと。

しかし、航空機の追跡や情報収集は、未だに、地上レーダーに大きく依存しており、ここ数十年大きな進歩がない。

未だに航空界だけが、地上レーダーに大きく依存している真意がよく解らない。

強靱な世界的利害関係が存在するのかも。

『行方不明の飛行機など、早く過去のもの』にしていただきたいな。


サンライズ


 


京都で僧侶偽装詐欺事件がおきている。

高齢女性4名から祈祷料180万円をだまし取られたとされる。

”水子供養の祈祷”という名目だったらしい。

身に覚えのあるなしに関わらず、人間はさまざまな弱点を抱えている。

こうした、人の弱みにつけ込んだ詐欺である。


この種の事件は後を絶たないが、今回は被害者が『騙された!』と気づいたからこそ判明したが、そう思わなければ被害は発生しないでのである。

つまり、『騙された!』というのは効力(即効性)が無かったのだろう。

決して額の問題ではない。


愚僧が分析するに、二つの大きなポイントがある。

ひとつは『他者(祈祷師)の力を借りて』というところだ。

もうひとつは『即効性』である

法句経に、『浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず。』とある。

ご祈祷というのは、『他者に依りて』に相当する。

実のところ、『他者』ではなく、もっと壮大な『他力』に気づいて欲しいものである。


サンライズ

一足先にサクランボの花が散ってしまった。

やや小ぶりで淡い花。

思い起こせば、愚僧が結婚した昭和53年にはサクランボがたわわに実った。

沢山採れて、サクランボ酒を作ったものである。


ところが、翌年、境内の一斉清掃で根元から誰かに切られてしまった。

愚僧の監督ミスなので犯人捜しはやらなかった。

まさに、”桜切るバカ、梅切らぬバカ”の典型である。

しかし、切り株は生きていた。

情けない思いの中、切り株から萌芽する一本の新芽をダメ元で育ててきた。

現在では背丈も2mを超え、幹も太くなってきた。

昨年から花がチラホラと咲き始めた。

そして、今年、38年目にして満開を迎えた。

すでに、小さなサクランボが結実している。

6月の収穫が楽しみだ。


サンライズ。

先週の土日には組内寺院において大遠忌法要が勤修された。

宗祖親鸞聖人750回忌と中興上人の650回忌法要で愚僧も参勤させてもらった。

50人を超えるお稚児さんが集まり、とても華やかに営まれた。

二日間の法要は成功裏に円熟された。

ご門徒さんも『大遠忌法要をお勤めさせていただいた。』という達成感と安堵感に満ちあふれている。


しかし、『誰のため?』と尋ねると、十中八九は『宗祖親鸞聖人と中興上人の供養のため』という応えが返ってくる。

もっと素直に『私のため』と言って欲しかったが、まあ、田舎故に仕方がないと言えば仕方がない。


『我が身を鴨川に捨ててくれ!』と言い残された親鸞聖人である。

聖人は、無碍の一道を貫かれた絶対他力論者であった。

亡骸(なきがら)に縋ることなく真実を見つめられた方である。

真宗教義を伝えるのは本当に難しい。


サンライズ


昨年、坊守がチューリップの球根を買ってきた。

植える適地が見当たらず新聞紙に包んだままだった。

ところが、『まだ生きているぞ!』と言わんばかりに新芽が新聞紙をこじ開けている。

”いのち”は粗末にできないものだ。


もったいないことをしてしまうところだった。

急遽、裏庭にブロックを並べ、にわか花壇を準備した。

ひとつ一つ丁寧に球根を植えさせてもらった。

ちゃんと応えてくれるか、初夏が楽しみである。


サンライズ

 


またしても、松の盆栽が枯れかかっている。

70鉢近くあった盆栽はご門徒さんや知人に引き取っていただいたが、まだ、数鉢残っている。

仕方なく、水分や肥やしを欠かさないで世話しているがどうも調子が悪い。

つまり、愚僧に盆栽のこころが解っていないのだろう。

戦前、ロシアである実験がおこなわれた。

それは、同日に生まれた数人の赤ちゃんを2グループに分け、決まった時間に同じ量のミルクを双方に与えるという実験だった。

唯一、異なるところは、語りかけするのとしないでミルクを与えるとの違いだったようだ。

結果、語りかけした赤ちゃんは表情豊かにすくすくと育ったという。

盆栽といえどもやはり生き物。

直接、盆栽に語りかけるには無理があるが、次回から心で語りかけてみようと思う。


サンライズ

幼少の頃、食べ物に好き嫌いがあった。

当時、両親から酷く怒られたものだ。

おかげさまで、今は好きはあっても嫌いはない。

そうした記憶の下、最近の母は『こんなものは食べられない!』、『こんなんは嫌い!』と平気でのたまう。

正直なこと極まりない。

母以外は皆、『美味しい!』と喜んで食べてくれるのに・・・。

言ってはいかんと思いつつも、『嫌いなら、食べなさんな!』と口を尖らせてしまう。

味覚が変わってしまったのだろうか。

昨年まで好んで食べていた料理が今は食べられないのだ。

無理が無理と判っていても、その無理を受け入れていかねばならない。

目下、老々介護真っ只中である。


サンライズ