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ひのきょうのブログ

このブログは、滋賀県内の真宗寺院を預かる愚僧のブログです。

このブログで、世の中の道理と無理を顕かにしていきたいと思います。

 よろしければ、ご意見、ご相談などお寄せください。


        なむあみだぶつ ・・・ 合掌


実は、『モイモイ』という名のモルモットを飼っている。

恐らく、自分の名がモイモイとは認知できていない。

次男坊が入手し、凡そ8年を経過したが元気そのものである。

ところで何か取り得があるかといえばこれも皆無に等しい。

ただ、空腹時に鳴いて餌を喰らうタダの小動物なのだ。

で、腹が減ると『モイモイ』と鳴く。


先の、熊本地震の前夜も鳴き呻いていた。

その時は、『クウクウ』だった。

私達人間は腹が縦の状態で生きているが彼らは常に横向き。

何かの地殻変動を腹で察知しているのかも知れない。

よく解らないが、何か本能的な予知能力が備わっているのかも。

いつもと、鳴き方が違っていたのは事実である。

クウクウ(喰う喰う)だから、ただ単に腹が減っていただけかもな。


サンライズ

先日、叔父が入院闘病しているとの知らせが舞い込んできた

互いに、もう遇えないのではという思いの中、叔父のお見舞いに96歳の母を連れ、とある病院に向かった。

部屋にはHCU(ハイ・ケアー・ユニット)という表示が掛かっていた。

つまり、最も看護管理が必要な患者さんが入る病室だ。

叔父も92歳の老爺さん。


そして、面会は互いの涙から始まった、

叔父も母も聴覚障害が増長してきており、大声での会話となった。

手が痺れて胸から下は不随とのこと。

すると、母は、『あんた、わかるか?』と弟の手を強く握る。

やはり、どこまで行っても兄弟だ。

隣のベッドには若い頭部損傷の患者さんが入院されていたが、お構いなしに葬儀の話題に進展していった。

『ごちゃごちゃした金ピカの祭壇はまったく望んでいない。』とか、『質素な葬儀にして欲しい。』とか、『義理で来る人は仕方ないが、本音は家族とご門徒さんだけで葬ってほしい。』と自らの心中を明かした。

でも、叔父の顔色はとても良い。

早く大部屋に移れることを願うばかりである。

所構わない兄弟同士の力強く逞しい会話を見せていただいた。

『兄弟ってこういう風にありたいな!』といただいた次第である。


サンライズ


先日、あるご門徒さんからご質問をいただいた。

『勤行の最初に称えられるアノお経は何ですか?在家勤行集にも載っていないし、どういうものですか?』と聞かれた。

つまり、『伽陀(かだ)』のことである。

伽陀は、サンスクリット語のgatha(ガーター)の音写で、漢訳では偈頌(げじゅ)と訳される。

一般的には偈頌といっても何のことか余計に解らなくなる。

まあ、簡単に申せば一句を七文字で表現し、四句をもって一偈とする詩みたいなものである。

最も代表的なのは『先請伽陀(ぜんしょうかだ)』で『大経伽陀(だいきょうかだ)』とも呼ばれており、仏説無量寿経(大経)を読経する時に用いる。

先ず、その原文と意訳を掲載させていただこう。

・先請彌陀入道場
 先ず彌陀を請じたてまつる。道場に入りたまえ。
・不違弘願應時迎
 弘願に違せず時に応じて迎へたまえ。
・觀音勢至塵沙衆
 観音・勢至・塵沙の衆。
・從佛乘華來入會
 仏に従い、華に乗じて来りて会に入りたまえ。

『先請伽陀(ぜんしょうかだ)』は最初の句が『先請』で始まるからそう呼ぶのだが、『平たく申せば、先ずは頼みますよ!ということです。』と説明させていただいた。

誰に何をといえば、『阿弥陀さんにお迎えに来てもらいたい。』という趣旨なのである。


サンライズ
 


雨上がりの後、書院の上がり小口の廊下に動物の足跡が残っている。

昨年、工務店に依頼してアライグマの経路は完璧に遮断した。

どうやら野良猫というところかな。

アライグマとかハクビシンなら前爪の痕跡が著しく残るが、そうでもなさそう。

そこで、中途半端な扉や塀も変だし、スダレもしっくりとこない。

やはり、お寺らしく結界(けっかい)を設けることにした。

とは言っても古い欄間を利用しての話しだ。


そもそも結界とは聖なる域と俗域を分ける意味があり、聖域の秩序を保つために区域を定めることである。

本来は仏教用語だったが、今や神道や茶道でも同様の概念から結界という言葉を用いている。

真言密教や天台ではなかなか厳しい界域があるとのことだ。

時に、大和言葉では端境(はざかい)とか境(さかい)とも言うらしい。

でも、当寺の結界は単に野良猫用の『通せんぼ衝立』だ。

なかなかの出来映えに仕上がったぞ。



サンライズ

今日も、熊本地震のニュースが続いている。

現地から放出される映像は何とも言い様がない。

内閣総理大臣の語り口調は『・・・と思われます。』とか『残念な結果であります。』など、極めて他人行儀な感じで薄情な気がしてならない。

国の代表としての言葉としてはお粗末だ。

対処療法しかできない官僚の原稿通りに読まされている感じだ。

何故、自分の言葉で語れないのかな。

この沙汰は世界中が注目しているというのに。

埴輪のような顔つきで、床の間の置物のような発言はいらない。

逆に、『どうしてこんな時期に地震がおきてしまったのか。』と嘆いている心中が手に取るように見える。

これからどう集結していくのかを具体的に自分の言葉で語りなさい。

『そんなことをしていたら、一回戦で負けてしまうぞ!』

ん・・・!

どこかで聞いた言葉だな。


サンライズ


連日、熊本地震のニュースが流れてくる。

健気におにぎりを頬張る幼児の姿、学校庭には『お水ください。』そして、『お水ありがとう、がんばるけん!』の文字。

辛い中、感謝の言葉を忘れない人々にひとりでに涙が出てきた。

最大限の支援をしていきたいものである。


我々は大自然の力を少し甘く見ていたようだ。

娑婆世界では、地震イコール災害と名付けているが、地震は自然そのものの姿である。

普通のことが普通に起こるのが自然界なのである。

46億年間歩み続けてきた地球を相手に、人間は娑婆世界を制覇したかのように勘違いしてきたのだろう。

未だに、川内原発は止めないと豪語しているのだからまだまだ地球を舐めている。

そんなに舐めても甘くはないような気がするがな。


サンライズ


金魚は金色でもないのなぜ金魚と呼ぶのかな?

最初は錦鯉の仲間と勘違いされていたようだが、フナの変異種で原産地は中国だった。

んで、『金色』というのはラテン語が発祥とのことで、オレンジ色のことを「金色」とも表現するらしい。

でも、孵化して暫くはフナと同じ黒色で、成長につれて徐々に赤や白色の模様に変化していくとのこと。

体の色が成長とともに変化するのだ。

そういう意味では、人間とよく似ているのかも知れないな。


ところで、僧侶が羽織る法衣の色の殆どは黒色である。

これを、我々は黒衣(こくえ)と呼んでいる。

幼少の頃に父から教わった。

黒衣には、どんな境遇に晒されようとも『何色にも染まらない。』という絶対的な意味が込められているとのことである。

まあ、そういう意味では花嫁の白無垢は『何にでも従います。』という従順な意味が込められているのだろう。


こんな話しはついでだが、昨日、金魚水槽を久しぶりに清掃させていただいた。

綺麗な透明淡水の中で金魚たちが英々と泳いでいる姿は何とも言えない。

金魚もドス黒いフナも皆兄弟なのだ。

人間もみんな同じなのである。

見た目の違いはあっても、質の区別はあってはならない。

人権擁護委員としての第一歩に繋がれば幸いである。


サンライズ

 


熊本で大きな地震が発生している。

坊守の故郷であり、すぐさま親戚筋に連絡したところ『今のところ大丈夫』とのことだった。

被害状況がこれ以上拡大しないことを願っている。

現地から次々に出てくる言葉は、『大地震は、余所のことだと思っていたのに、・・・』である。

日本列島は断層帯そのものであって他人事ではない。

総国民が同じ土俵に立ってるのである。


滋賀も同じで、特に野洲川周辺は液状化地帯と言われている。

早速、我が家の防災グッズを確認したが、家の中に置いておくようでは意味がない。

命を失われた方々に哀悼の誠を捧げるとともに怪我された方々の早期ご快癒を願う次第である。


サンライズ


去る11日、人権擁護委員の委嘱状伝達式に出席させていただいた。

大津法務局人権擁護課からの招集だった。

はじめに、礼の仕方、歩き方、受け取り方などひとつひとつの説明が念入りに行われ、なかなか厳粛な伝達式だった。

当日は9名の新任者が委嘱状を受け取った。

続いて担当課長から諸般のレクチャーがあった。

職業柄、とてもスローリーで優しい口調は無理もないが、睡魔に襲われそうだった。

もしも、この場で眠ってしまったら懲罰もの。


でも、委嘱状を確認すると4月1日付けだ。

すでに、4月1日付けで愚僧の名前や自宅電話番号がオープンになってしまっている。

この11日間に電話はなかったが、正直不安だった。

『さすがの法務省!!』とは言えない面もある。

早速にも、この15日には総会・交流会があるとのこと。

これから先、何かにつけて大変だろうが、世のため人のために一踏ん張りせねばな。


サンライズ


日本の若者に対してある外国人から質問があった。

『君たちは今の日本のお年寄りと比べて幸せか?』という問いかけをしたのは、世界一貧しいと言われているウルグアイ国の前大統領ホセ・ムヒカだ。

まあ、『幸せ』の概念や価値観は個々の受け止め方で様々である。

さて、今の日本の若者達はどう応えるのだろう。

『幸せ』の実感が認識できない若者達は躊躇していた。

ある若者は『そこそこ幸せ!』と返答した。

例えば、『自分の好きなことができて、家族もみんな健康!』と言う。


さらにムヒカは、『では、本当の幸せとは何だ?』と聞き直した。

どう応えて良いか解らない数分が続いた。

彼は戦中戦後の日本の生き延びてきた復興の姿をお手本にしてきた。

他国には見られない勇姿だったと言う。

不都合な出来事が生じても、それをご縁として逞しく受け入れていく。

彼は、『本当の幸せ』というのは、『こうした復興の過程で味わうべき!』とはっきり言い切った。

恥ずかしながら魂が抜けつつある日本の若者の姿を見透かされている。

最初の質問の意味がここで理解できよう。

こんな質問に即答できない日本の若者達をムヒカは『悲しい』と嘆いている。

決して戦争や災害を肯定するものではない。

これが理解できなきゃ家庭も築けないし、家族も護れない。


今後の聞法活動に取り入れていきたいところだ。

最早、幸せ呆けの中で本当の幸せを棚上げし、我が身だけの勝ち負けや比較にうつつをぬかしている場合ではないな。


サンライズ