ある信者さんからご質問をいただいた。
その方のお母さんは彼が中学校の頃に亡くなられ、父は後に再婚された。
多感な時期に父一人では面倒を見切れなかったのだろう。
当然の事ながら実母への想いが強く、後妻さんとはうまくいかなかったようである。
その後、継母を実家に残し独立されたが、後妻さんに子供がいなかったので継母の生計も気にしておられた。
そして、父も無くなり、程なく継母も亡くなられた。
しかし、当家の墓に『継母の遺骨は入れたくない。』という納骨の相談だった。
今更、好き嫌いは消しようがない。
愚僧はそのお家の一部始終を知る由もないので一般的なお話をさせていただいた。
佛教の教えに『怨親平等』というのがある。
『怨親』とは敵対する者と、親しい者を意味する。
あの、天下分け目といわれた関ヶ原の合戦も、後に至っては、敵味方に関係なく忠魂碑が建立されている。
当時は、怨恨極まりなくとも戦い(=命終)が終わればすべて平等なのである。
『 敵を憎まず、味方を贔屓(ひいき)せず、両者を平等に扱う。』ということである。
つまり、佛教では敵味方を区別することなく平等に慈しみ、極楽往生を願う教えが存在する。
彼に怨恨があったかどうかは別にして、わだかまりがあったのは事実であろう。
かといって、別に墓石を建てるのも理にかなわず、お父さんの再婚も何かのご縁として受け入れていくしかないということを諭させていただいた。
大なり小なり、そのおかげて『彼も育まれた。』という了解そのものが合掌なのである。
きっと、後妻さんも喜んでいるに違いないことを申し添えた次第である。
サンライズ
西大津バイパスを通って約50分だ。
北は北海道から南は九州南部までの組長が一同に会するが、歩いて1分以内という方もおられる。
まあ、車で50分はありがたい方だ。
さて、会議では最新の議題について縷々説明がなされた。
折角、遠方より来たので何かを話さないと気が済まない人、答えが解っていても敢えて質問する人など、質問を聞いていると結構面白い。
また、応える側もそれ以上の強者で、少しずつ的を外して応えなさる振りもなかなか面白い。
つまり、組長会はガチンコ会議ではないのである。
過去には、こんな大人の会合を経験したことがある。
昔、ある要人方ご列席の会合に呼び出され、県の担当者と二人で出頭し、質問攻めを喰らったことがある。
ひとつ一つが核心に触れる追求質問で、『今、明かす時期ではない。』という問いばかりだったので、とにかく最後まで惚けまくることにした。
『ちゃんと答えなさい!』とか、『答えになっていない!』などと叱責されたが、県の担当者も私も答えにならない答弁を何度も繰り返した。
途中で笑えそうになったが、しっかりと舌を噛みつつ真剣なまなざしだけは崩さなかった。
常に、相手側は都合の良い答えを導き出そうとするが、こちらも都合良く応えている。
つまり、答えを出さない応えである。
そして、最後は『もういい、返れ!』と怒鳴られて部屋を後にしたのを想い出す。
部屋を出てお互いに『あんたもよくやるね!』と褒め称えた次第である。
サンライズ
サルビアは鮮やかな赤色を呈し、幹の頂点に重なって花が咲く。
いくつもの花が互いに重なり、支え合って咲くことから、滋賀県ではサルビアを人権の花に指定している。
そんなことから、昨日は地元小学校を訪問させていただいた。
子供達が春に種を蒔いてくれたのだが、今年は不作だったとのこと。
でも、毎日当番を決め、子供達が欠かすことなく人権の花の水やりをしていてくれたおかげで、そこそこ芽を吹いているのがありがたい。
校庭に出て、子供達と一緒に小さな苗をひとつひとつポットに小分けした。
もう少し苗がしっかりしてくれば、再度、プランターに植え替えて完成だ、
熱心な子供の行動に自然と会話が生まれてくる。
つい、『ここまで熱心だったかなー?』と幼少の頃を想い出してしまった。
子供達の笑顔は、まさに青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光を放ち、それぞれが微妙香潔であった。
運動会の頃が楽しみだな。
サンライズ
古来より、『目は口ほどにものを言う。』というが、少林寺を止めて25~6年が経過しようとしている。
道院では大した力にもなれなかったが、沢山の後輩拳士が立派に育っていった。
当時、抜き技の練習を思い出すに、抜けなくて必至になって腕を抜こうとする拳士がいた。
結局、技ではなく力で抜こうとしていた。
これでは力の強い者が勝つ。
つまり、腕より肘、肘より肩、肩より身体、そして運歩法と体捌きですべてが決まってしまう。
ところが、相手の片方の腕は空いている。
いつ、突きが飛んでくるかわからない。
まあ、言われた通りにやるのも良いが、片方の拳はいつも空いていることを常に知っておく必要がある。
結局、教範どおりにやろうとするからそういうことになる。
どんな技を掛けようとも、掛けられようとも相手の目を見ていなければ命取りとなる。
乱捕り(グローブを付けての実践練習)も演武(技の披 露)も同じだ。
いかに技が早かろうが、切れ味が良かろうが、互いが相手の目を見ていなければ単なる体操になってしまう。
しかし、目をみていれば何が起こるかが読める。
練習も本番も常に相手の目を見ていなければ、気迫も欠けてしまうのである。
サンライズ
人と一人との繋がりは深く、また重い。
加えて、家族同士の絆もまた深い。
さて、人か、家族か、ということ難しいものがあるが、どちらも疎かにはできない。
況んや、人も家族もご縁で結ばれている。
三ヶ月ほど前、闘病中の倅の嫁の父をお見舞いに仙台まで相方と一緒に寄せていただいた。
最初の言葉は、『初めまして、ありがとうございます。』だった。
ここまで育ち、育てていただいたことがありがたい。
励ましの意味を込め、『元気になられたら、一緒に飲みましょう。』というのが最後の言葉になってしまった。
一緒に酌み交わしたかったなぁ。
もう、会 話はできないが、いつも傍におられると信じている。
今まで、何遍となく別離の情を言葉にしてきたが、我が身に振り返ると至極残念としか言い様がない。
願わくば、諸仏のお仲間入りをなされ阿弥陀さまの傍に納まるのではなく、いつでも、どこにでも還ってきてほしいものである。
サンライズ
長男嫁の父が亡くなられた。
子供達は3月に入籍したばかりだったが、既にお父さんは病魔に侵されていたのだ。
滋賀での挙式はいつでもできるという思いのもと、父に花嫁姿を見せたいという二人は仙台で小さな結婚式を挙行した。
それでも父は病室を離れることはできなかった。
当家も高齢の母と法務の都合で、身動きできない状況だったので弟が代表出席してくれた。
その状況は、病室と式場と当家をSKYPEにて三次元配信で目に飛び込んできた。
病室から父の喜ぶ声が滋賀まで届いてきた。
去る6月17日(金)のことだ。
子供達は3月に入籍したばかりだったが、既にお父さんは病魔に侵されていたのだ。
滋賀での挙式はいつでもできるという思いのもと、父に花嫁姿を見せたいという二人は仙台で小さな結婚式を挙行した。
それでも父は病室を離れることはできなかった。
当家も高齢の母と法務の都合で、身動きできない状況だったので弟が代表出席してくれた。
その状況は、病室と式場と当家をSKYPEにて三次元配信で目に飛び込んできた。
病室から父の喜ぶ声が滋賀まで届いてきた。
去る6月17日(金)のことだ。