さてさて、このシリーズも年を跨いで不定期連載ながら、ようやくここまで辿り着いた・・。先ずは皆様の記憶を呼び起こして頂くために、直接繋がる前回の拙ブログを貼らせて頂きたい。

 

 この話題の最後にアップした「神戸2き48-01」を付けた日本高速バスのブリキ玩具を発見、後にそれが「実物の国鉄バス」に付いていたことから広げた話題であるが、ここに至るまでにネット環境その他で色々新たな発見があり、それぞれ関係者の方々に拙ブログ掲載許可を頂き、充実することが出来た。

 先ずはこの2枚の写真。上は昔撮影していた交通科学館の展示写真で不鮮明ながらどうみても「神戸ナンバー」に見えたので取り敢えず証拠写真として押さえていた1枚。下はそれから10年近く経って、一番初めにカラーで私が見つけることが出来た「神戸2き48-00」番台。児童向け写真図鑑の一頁からで知人所有の書籍からの転載。元の図鑑名失念であるが、一度入手したハズなのだが何故か見当たらないので図鑑名が不明のまま(1枚目と2枚目写真発見の間に件の日本高速のブリキ玩具を発見し、この48-00番台が本来は国鉄か日本高速のどちらか?或いはどちらかの中古が色変えて走っていたのか・・で長年頭を悩ませることとなった・・)。

 「やらせ写真」なのかどうか分からないが、ツーマン運行の名神ハイウェイバスである。この写真を見て少なくとも「48-00」番台は国鉄枠であることが分かった。その後、ネット等で色々検索を始めたところ・・。

 名神ハイウェイバス開業時のパンフなどを発見、後に某オークションで入手している。上はそれ。先の神戸ナンバーと同じ車種と思しき車が活き活きと取り上げられていた。写る車はいずれも「京2い50-50」番台で京都営業所の車のようだ。他にも名古屋の「愛ナンバー」車もおり、名神間で車両が相当数用意されていることも分かった。またこの車をリアルに表現したブリキ玩具の存在も知り、それらをコレクションされていたフォロワー様の「ポルシェ356Aカレラ」氏のブログに詳しく書かれていた。今回の企画に当たり、氏の拙ブログ写真掲載とリンク掲載をご快諾頂けたのでご訪問頂きたい。↓

https://ameblo.jp/porsche356a911s/entry-12814877266.html

 

 一連の写真はポルシェ356Aカレラ氏撮影である。私はここで国鉄バスのナンバーに注目した・・。地域名こそ京都では無く「東(東京を指すと思われる。当時、玩具でも地方名だと売り上げに響くらしく、首都圏の地域名が入った玩具(警視庁・消防庁・東京ナンバーなど)がセオリーであったが、地方(神戸)に住む私はそれが残念であった・・)」であるが「カナ」「一連指定番号」が上のパンフレットの国鉄バスを模しているのが明らかだったからで、製作は実物の国鉄バスを参考にしたのであろう・・と推測する。また同じ金型?で当時の共同運行会社であった日急バスも製品化、実車でこのタイプは無かったと思うがなかなか元がリアルだけに格好良い。この日急も「50-55」で番号自体は流用であろう。

 これは買い取った写真で昔の名神ハイウェイバス乗り場に佇む国鉄バス。これも不鮮明ながらナンバーが「4×ー××」に見え、後に「兵2あ44-00」番台も国鉄枠であることが分かり、恐らくそのどれかであろう。なお、これは販売写真でブログ掲載許可は頂いている。

 

 それから数年後、国鉄バスと言えばバス研時代の先輩F氏であり、同氏に「神戸2き48-00」番台のことをお聞きした。氏のお話から神戸営業所では「48-01~48-10」がいたことが分かったが、残念ながら写真はお持ちでないとのことであった。しかし氏から有力な情報を頂き今度はもっと決定的な写真を発見した。

 最近になっていにしえのバスシリーズの写真集を発行されている神奈川バス資料保存会のこの本である。頁をめくるとそこには・・。

 ずっと探し求めていたトップナンバーがハッキリと写っていたのあった。なお、アップに際し保存会代表の方に趣旨を説明、拙ブログ掲載許可は頂いている。

 これはF氏ご提供図面から車体部分のみ私がトレースしたもの。上の写真のキャプションにもある通り探し求めていたバスは「S40年式三菱ふそうMAR820-富士重工」であり、神戸は「744-5901~5910」。全体的には「~5915」まで存在していたそうだ。他にも日野RA100Pで「747-5901~15」もいたが、こちらは神戸配置はなかったとのこと。なお、冒頭パンフの「京ナンバー車」は開業時の車で年式が1年旧く、1964年式MAR470S-富士重工とのこと。

 この写真はオマケでライトベゼルが名神車などハイウェイ仕様と同じに見えるが、広島で1983年に撮影した三菱標準車体の中距離用路線バス。富士重工車体と窓上などは趣が異なるがベゼルが同じなので、撮影当時一見、元観光・高速系に見えた。

 

 かくして「神戸2き48-01~」は国鉄枠ということが分かったが実は国鉄枠、本来?はまた別に篠山(ささやま)地区では「54-01~」が割り当てられていたことは分かっていたので、なぜこの名神用だけ飛び枠なのかは未だに謎である。しかし、冒頭の「日本高速」が玩具ながらこれを付けている・・ということから本来日本高速の神戸営業所用にこの番号が割り当てられていたのではないか?その資料で当時日本高速のブリキバスが製作されるも実際は神戸配置が無かったので丁度空いた番台のところに「国鉄名神車」を割り当てたのではないか?という少々ロマンを感じた推測を立ててみた。

 今となっては真相を知る由もないが、発端が玩具とはいえ、長年夢を与え続けてもらえ、未だに真相に辿り着くバスに乗っている感覚なのである・・。

 

 さて、漸く国鉄バスまで記事化が出来た。次回このシリーズの時間軸はいよいよ国鉄バスで神戸に到着。拙い記憶から少し話を広げてみたい・・。