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kumikoのブログ

吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

皆様はこの言葉をよくご存知ですね

「因果応報」

言葉をご存知でも、この漢字の意味はお分かりでしょうか?


まず、因果ですが

これは原因と結果という意味です

そして

応報は、したことに対する報い

(むくい)です

この二つはセットですね


つまり

良い行いも悪い行いも、それに見合った報いが未来に待っているという事なのですね

人を助けると、その徳はみな我に返り
という言葉があります
これは人助けをした後、その事に対して見返りを求めなければ
それは徳となり、いつか形を変えて自分に返ってくる
他にも沢山意味はあると思いますが、私はこの意味が一番腑に落ちます

自分さえよければ良い

深い欲を持ったり、人が持つ物を欲しがったり、人の悪口や妬みや恨み事ばかりを口にする人間にはその吐いた言葉や行為が、未来で必ず形や環境を変えて自分に返って来ます

私の母親が良い例です
口を開けば不平不満、人の悪口
や自分の自慢話ばかりを話す
自分が何でも一番でないと気が済まなくて、食費も全て自分の衣類の購入費に充てる
とにかく私の母親は、孔雀の様に着飾ってご近所を練り歩き、「いつも高そうな服を着ておられますね」と言われないと気が済まない老婆でした

この老後は、誰が面倒見るんや
と、父、兄、私に怒鳴り付けて来た事がありましたが、私は名古屋だから無理とはっきり断り、結局母親の世話をするのは兄になりましたが、その後母親の認知が進み、骨折もありましたので母親は入院となりました

入院代金の支払いは私でしたので
年に一度は母親が入院している京都の病院に書類を書きに出向きました
その時に、母親の病室を覗きに行きましたら
毛玉だらけでボロボロの擦り切れたパジャマを着た白髪の老婆が
天井を見つめたまま指を同じ方向に動かせてベットに横になっている姿が目に飛び込んで来ました
その老婆は私の母親でした

あれだけ着飾り、高価な貴金属ばかり身に付け女帝の様に振る舞っていた人物が…
その変貌した姿を目にして私は驚いてしまいました
しかも兄には十分すぎる程母親の日用品を購入するお金も渡していましたから…

母親の洗濯物は病院のサービスを使っていましたが、兄に全てを任せていましたので、流石にあまりにもの哀れな姿を見て3度くらいに驚きました

でもその時に、この「因果応報」という言葉が私の頭を過ったのです

人生の最終章で、私の母親は
特大の因果応報を受けている

そう感じました

困った人に手を差し伸べた事も生涯無かった人
目下の者と食事に行っても必ず奢らす人
実の娘の私には、10円のお金も使うのが惜しいわと言ってお菓子一つ、パン一つ与えてくれなかった人

言葉は話せなくなりましたが
耳は聞こえていた母親
生前強欲だった為、三途の川も渡れなかった母親
亡くなった時、母親の実家や身内からお花一つ届かなかった母親

母親が亡くなりました時、流石にこれはいけないと思い
母親の身内何件かに母親が亡くなった事を電話で伝えましたが
お香典一つお花一つありませんでした
これが応報なのですね

私は、本当に良い教材(母親)に出会えたと思います
私は幼い頃からこの因果応報の意味を知っていました
それは、出張以外は時間があれば私にずっと一般常識を教えてくれていた父がいたからでした
私が物知りなのは、いつも沢山の事を学びとして父が私に教えてくれたからでした
そんな尊敬する父が、なぜあんな変な人間を妻にしたかだけがどうしても腑に落ちなかったのです
人間には毛皮がありません
ですので直ぐに皮膚に傷が付きます
ですから衣類は必要なのです

あまり裕福でないのに見栄を張り
高価な衣類を毎月購入するのは無駄以外何もありませんね
でもそれ(無駄)に気付けないまま
生涯を終える
これは来世にまで引き継いでしまう事になるかも知れません

現世での自分の過ちに対しては、出来るだけ早く気付きを得て、人の為に何かをさせて頂くという精神に切り替えて人生の道を歩みますと、現世で持った負は消滅しますので来世には持ち込めません
無理に自分の我を通したり
欲を通すのではなく
物事を受け入れ、笑顔で過ごす
そして気付きを大切にする

本当にこれだけで良いのです
これだけを行いますと、人生も好転して来ます

又お時間がありましたら
一度実行されてみて下さいね










先日のブログの続きです

昨日は、ブログを書けなくてごめんなさいね🥲


奈々と宿泊しました夕日ヶ浦木津温泉海舟(かいしゅう)

私達はお部屋に案内され、展望台へ行き、お写真を撮ったりしてお部屋に戻ってゆっくりしていましたら、館内放送がありました


綺麗な夕日が見えています

是非ご覧下さい


私はこの様な館内放送は初めて聞きましたので、奈々と二人でまた展望台へ飛んでいきました


逸る気持ちを押さえ展望台へのドアを開けますと…





とんでもないくらい美しい夕日が
目に飛び込んで来たのです
私は、19才からほぼ毎年丹後半島に来ていますが、この様な美しい夕日に出逢ったのは初めてでした

とにかく奈々と二人でお写真を撮り、美しい夕日を目に焼き付けていました
夕日に満足しました私達は他のお客様も沢山来られましたのでお部屋に戻ろうとして歩いていた廊下を振り向きましたら


おとぎの国への入り口の様な
夕日が目に飛び込んで来ました

何故か胸が一杯になり
私の過酷な修行が終わりを迎えるんだ…
その時にそんな気持ちが湧きました
それを思うくらい美しい絵画の様でもありました
さてさて、いよいよ夕食です


奈々ちゃんとカンパーイ


🦀さん登場


奈々ちゃんはアワビの躍りを動画に撮ったりと大喜びでした
ただ、申し訳無い事に、私はまだイレウスが完治していませんのでお刺身やアワビ、🦀さん等はほんのひとくちしか口に出来ません
ほとんど奈々が食べてくれましたが、無理をさせてしまいました


カニのしゃぶしゃぶも奈々は真剣に行っていました
私も、無理をして食事をしてまたイレウスになりましたら、多分こちらでは手術になってしまいますので、今期のカニは諦めて雰囲気を楽しむ旅に致しました

食事の後は二人で温泉に入り
奈々にネイルをしてもらい、母娘で沢山話し、笑いました


朝、温泉に入り二人でゆっくり朝食を頂き、海舟さんを後にしました


また来年も元気で来たいです


帰りの列車の中で、私はふと父と一緒に夕日ヶ浦木津温泉に来た事を思い出しました
父が倒れるひと月前に、私は両親と長女とカニカニツアーに来ています
最後の親孝行になりましたが
父は本当に喜んでくれていました

皆に沢山いい思い出を残してあげたい
いつも来る度に私はそう思います

その為にも、体が元気でなければいけませんね
皆様もどうかお体を大切になさって下さいね
私の様に、頑なに人の言うことを聞かないのではなく
人からの忠告や注意も必ず聞く耳を持ち、我が身を振り返って下さいね

私も心を入れ替えます




昨日と本日は、2日前の長女夫婦とのカニカニツアーに続き、私の次女奈々との二人旅の日でした


この二人旅も、2ヶ月前に宿泊と電車の予約を入れており、キャンセルをして日を変更する事が無理な為、自分で体調管理をしながら

行く事に決めました


奈々との二人旅としては初めてではないかな…?

そう思いながら2ヶ月前に二人でワクワクしながら予約を取っていました

まさか旅行が近くなってから、自分がイレウスになったり、眼瞼下垂の手術を受けるなんて夢にも思っていませんでしたが、先にパイナップルを半分に切りましたら

切り口が黒と黄色が混ざった色の負の夢を観ておりましたので

自分自身に何かあるとは感じていました


元々、一度決めました予定を変更するのは絶対嫌な私

ですので、奈々との二人旅も

実行致しました


行き先は長女夫婦と同じ

夕日ヶ浦木津温泉です



二人の旅行目的は、とにかくゆっくりする事でした

今回の列車の旅は、まず名古屋から新幹線で京都駅まで行きます
実は京都駅から、夕日ヶ浦木津温泉駅までの乗り換え無しで、1本で行ける列車があるのです
私達はその列車に乗りました

その列車とは…


こちらです
車内は




車内は優しい木目で、座席に座りますと何となく部屋でくつろいでいる様でほっと致しました
列車が発車しましてから、景色を観たり話をしたりしていましたら
あっという間に夕日ヶ浦木津温泉駅に到着

宿泊先の海舟さんのマイクロバスにお迎えに来て頂き5分程で旅館に到着

海舟さんは展望台があり
私達は荷物をお部屋に置きましてから、展望台に行きました




爽やかな海風、柔らかい夕日
綺麗な空間に足を踏み入れられて
私達は感動していました

本日はここまで書かせて頂きます

続きは、また明日書かせて頂きますね