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kumikoのブログ

吉田九美子(四柱推命鑑定士・医学気功師・除霊師九氣.遠隔治療技術士)は、人のお役に立つためのブログを書かせて頂いております。人生の歩みの方向性を見失われた方、霊に悩まされておられる方等、様々なお悩みを解決し、アドバイスもさせて頂いております。

本日、今年の新しい大須マップが配布されました

今年の大須マップにも

私のお店の紹介を掲載して頂きました



そして、こちらが今年の大須マップの表紙です


一頁目は


地図が掲載されています




地図の次のページからは沢山のお店が掲載されています
詳しく観ていますと、本当に1日があっという間に終わってしまいますね😅

そして
最後のページには


私のお店の紹介を掲載して頂いている占いのページがあります

ただ…残念なのが
このページには、昨年まで
合点承知ビルのオーナーの皆様のお店の紹介が掲載されていました
龍生館の瀬上先生、桃源院の先生、メグさん…
ビルが廃館となり、皆バラバラになってしまい、その淋しさは
何とも表現が出来ません

でも、お友達のひちふく堂の葉月先生のお店の紹介が掲載されていましたので、嬉しい限りです🥰

私も、改めて一人で頑張っていかなければいけないと、この大須マップを見て感じました

私のお店もまだまだ落ち着きません
明日でだいたい片付く予定です
とにかく、早く石等も綺麗に並べたいですね

そして、これからも新しいお店で皆様のお役に立てる人物として、しっかり働かせて頂きたいと思います

皆様、今後とも
四柱推命鑑定士 吉田宗秋
医学気功院 吉田九美子
除霊師 九氣
をどうか宜しくお願い申し上げます











九美子、お願いがある


三年半前の12月24日に亡くなりました私の兄が、この一年の間によく私の観る夢に出て来る様になりました


そして、決まって同じ事を話すのです

「九美子、僕のウクレレを取りに行って欲しい。そしてそれを持っていて」

と


あまりにも何度も同じ夢を観ますので、兄の自宅を管理している兄の妻の母親(義母様)に何度かお電話を致しました


ご無沙汰をしております

私の兄が夢に出てきて…とそこまで話しますと、私も体が悪いからお兄さんの家の鍵は渡せない

と、話されます

でも、どうしても気になり

何度か義母様に、兄の家の鍵をお渡し下さい

とお願いしても、やはり断られてしまいます

兄は、私の父のネクタイも

何本か持って帰ったままです


父のネクタイも返して欲しいし

ウクレレも、どうしても受け取らないといけないのです


義母様に何度もお願いをしましたが、拒否

私はとうとう諦めてしまい

義母様とは連絡を絶ちました


そうしましたら、先日急に義母様から連絡ががあり、大阪の枚方にあります兄の自宅に行く事になったのです


兄の家に行ける…

そう思うだけで、兄に触れれる気がして仕方がありませんでした

そして先日29日

私は京都の実家に帰りました次の日、大阪の枚方市に向かいました

そして、空き家になりました兄の自宅に三年半ぶりに入る事が出来たのです



三年半の間

兄の自宅は空き家となり

門は壊れていました

ただ、生前の兄はご近所様と仲良しでしたので、今でも皆様が兄の自宅前を掃除して下さっているのだそうです


そして、義母様と一緒に兄の自宅に入りました



兄の自宅の玄関は、兄が愛した小物がそのまま飾ってありました



兄は画家でもありましたので
自宅に飾ったままのこの絵画は持ち帰ろうと思いました
そして、亡くなってからもずっと気にしていた兄のウクレレ


私はやっと手にする事が出来たのです
私は思わずウクレレを抱き締めてしまいました

たった二人の兄妹
私達兄妹は、母親業が出来ない
母親から生まれました
ですので、生きていくのに本当に苦労をしました

兄は母親に溺愛をされていましたが、母親は食事を作るのが嫌いでした
ですので、兄とよく雑草を食べるため、空き地にヘビイチゴや
柔らかい草を探しに出掛けていました

いつも二人で山陰線の二条駅や二条城まで食べ物を探しに出掛けていました

私は確か三歳くらい
今思いますと、六歳の兄は三歳の私を連れて柔らかく食べれる雑草を探しにかなりの遠方まで連れて出てくれていたのですね…

お話は戻りますね
兄の自宅の中を調べていましたら


兄の手書きの便箋や封筒が出てきました

実は、兄はクリスチャン
私は実家の曹洞宗を継いでいます
お互い宗教が違いますので
私達は本当によくもめました

でも、心優しい兄でした

兄の自宅で
父のネクタイ、兄の携帯、兄のウクレレを見つけて受け取り
私と義母は兄の自宅を離れました

この家は売却されるそうです

最後にウクレレを手に出来て
兄の絵画も受け取れて
父のネクタイにも再会出来て
私は感無量となりました

そして本当に兄とお別れなんだという実感が湧きました

九美子の幸せをいつも祈ってるよ

兄の自宅を出る時
優しかった兄の声が聞こえた気が致しました

お兄ちゃん
ウクレレ持って帰って来たよ
もう、安心してね
…









私達昭和世代の怖いものと言えば、殆どの人が父親の姿を思い浮かべたのではないでしょうか?


その50年後の現代

子供達を教育する為に叱り、子供の体に触れた(叩くその他を含む)父親が逮捕される

?


私は大変厳しい父親の元に生まれました

三歳年上の兄と喧嘩をしただけで、喧嘩両成敗

父にほうきの柄で頭を叩かれ

頬を叩かれ玄関から外へ放り出されました


兄は外でわんわん泣き、直ぐに母親に抱かれて自宅へ入ります


私は絶対泣かなかったので

母親はそれが腹が立つたみたいで何時間も裸足で自宅の前に立たされていました


喧嘩両成敗の父

兄を溺愛する母


特に母親の私に対する苛めは別格で、兄と喧嘩をしました時、私を殴ると手が痛くなるからと言って、わざわざタオルを濡らしてその濡れタオルで私の顔を集中的に叩きました

父が止めましたが、母は教育や

文句あるんか

と父を怒鳴り返していました


昭和の時代はこれも自宅内の

出来事ですので、世間には知れません

母親は教育やと言って本当によく私の頬を叩いていました


今では虐待で直ぐに逮捕ですね


でも、本当にそれでいいのでしょうか?

私は、父の体罰があったからこそ、直さなければまた叩かれる

という気持ちが湧きましたので、何故叱られるかを身をもって考えました


父の私に対する体罰は、私はよく受け入れていました

それは、父が怒る時は必ず理由があり筋が通っていたからです


父は、何故怒り私を叱るのか?

その意味を必ず後で

お父さんが何故怒ったか分かるか?

お前の為なんだよ

お前は利己主義だ

それを正さないといけない

と、いつも私を見て叱ってくれていました


まだ幼稚園に行く前ですから

4歳くらいから私は父からこの様な教育を受けていました


体罰とフォロー

幼少期からのこの教育は

今では私は掛け替えの無いものとして私の心に息づいています


子供が親に逆らい、暴言を吐く


それはその子供が家庭内での優先順位を勘違いしているのではないかと感じます


親が何に対して自分を叱っているのか?

その様な一呼吸置いた考えを理解出来れば、子供は何故親に叱られたかが分かると思います


よくも私を叱ったな

という気持ちか

何故叱られたのか?


このどちらかの気持ちを持つ事によりこれから先の子供の人生は変わるかも知れません


でも、我が子をどれだけ大切に育てても、親を恨みどうしたら親が傷つくかを執拗に考える子供もいます


教育に関しましては、昭和初期の教育が素晴らしいなと思います

これから日本はどの様に変わっていくのでしょうね


厳しくしつける大人が居なくなっていく…

うーん

これも時代なのでしょうか…