今から35年くらい前に、私がデザインをして作りました子供服があります
この子供服の名前はイチゴのサンドレス
当時の地方か何かの新聞にもこのお写真が掲載され、少し人気が出ました
この頃の私は専業主婦
子育てに専念する為に公務員を退職し、子育ての合間に洋裁の腕を生かし子供達の服をデザインし、ミシンで制作していました
私のメインの趣味は洋裁
子供達が座っている実家のソファーのカバーも私の作品です
夫一人の収入では、やはり生活は苦しく、子供服を買う余裕は全くありませんでした
両家の実家からの援助はもちろん1円もなく、子育ての厳しさは身をもって体験致しました
ママ友達は競ってブランド服を買って子供に着せていましたが、私にはそんな余裕は無く、生地を買っては子供服やバック、リュックを作っていました
やがてそれが口コミとなり、洋裁を教えて欲しいというママ友が増え、
私の自宅は毎日お友達が来て賑やかでした
そんな賑やかな中で育ちました唯と息子
二人は明るく人懐こい子に育ちました
当時の生活は苦しかったのですが、その中でお金では買えない手作りのお品の温かさを知る事が出来ました
特に長女の唯は、ママが作ってくれた服しか着ない
そう言って同じ服を大切に着てくれていました
お弁当を包むハンカチも私のお手製です
上履き入れも体操服入れも同じ生地で縫って持たせていましたが、唯は凄く喜んでくれていました
当時の九美子家の1ヶ月の食費はお米代を抜いて2万円
1日600円での生活です
その中で私は夫にお弁当を作って
持たせていました
それが出来た時代だったのです
家族四人の食費は1日600円
牛乳は 200円ですが子供に毎日飲ませるので必ず買っていました
後残りは400円
100グラム68円の牛肉やお野菜等を買いますが、子供達はおやつが欲しいと泣き出します
30円のラムネを二つ買って息子をベビーカーに乗せて唯と手を繋いで
スーパーを後にします
スーパーから自宅までは結構距離がありました
でもバスに乗らず必ず歩きました
バス代が捻出出来なかったからです
そんな私の趣味はもう一つありました
それは貯金
とにかく遣り繰りをして目標金額を貯め、家用にに車を買ったりしていました
生活苦ではありましたが
食費と貯金はきちんと分け、特に貯金は絶対手を付けないでいました
…
今の私があるのは、やはり苦労を重ねて来ているからです
どんなに生活が苦しくても、誰にもお金を借りず遣り繰りをして来ました
息子がおうどんが食べたいと言った時は、小麦粉にお水を混ぜて練らせ
広げて包丁で細く切って、茹でる事を教えて、お出汁をかけて自分で作りましたおうどんを食べさせてました
私は子供達が欲しがる物は直ぐに与えず、我慢をさせて質素に育てました
そして、お金は何時でも使えるけど
貯めるのは今しか出来ないという事を教えて来ました
子供は親を観ています
自分がどの様に育てられたかを記憶しています
子供が一生懸命話しかけて来ているのに、スマホ画面に釘付けの親
私の子育て時代とは全く異なる今
昭和の時代を駆け抜けた私には
今の令和時代には追い付けないという実感を強く感じてしまいます
